河原に落ちていた日記帳

趣味や日々の暮らしについて、淡々と綴っていくだけのブログです。

【オカルト本を読む】(後編)ジョージ・アダムスキー『空飛ぶ円盤実見記』

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ジョージ・アダムスキー(『第2惑星からの地球訪問者』より)

 

kawaraniotiteitanikki.hatenablog.com

 本稿は前後編の内の後編です。まず前編からお読み下さい。

 

円盤に神が宿るとき

 UFOが世界中に知られ始めるのは1940年代後半辺りからだが、「地球外にも知的生命体は存在する」という考え方自体はかなり古くまで遡ることができる。詳しく述べようとすると遥か筆者の手に余る話になるので大幅に端折るが、17世紀という西欧近代科学の発展期から、地球外知的生命の実在は多くの科学者が支持する学説となっていた(長尾伸一『複数世界の思想史』)。

 とは言え、今のような「宇宙は広いんだからどこかに宇宙人もいるだろう」という考え方とは少し違う。現在でこそ科学と宗教は対立するものというイメージがあるが、かつて科学の発展はキリスト教信仰の正しさを証明するものだと考えられていた。科学と宗教は分かち難く結びついており、科学的に観察できる自然上の現象は、全て神の大いなる叡智により形作られたものと解釈された。

 そうした時代にあって、科学者は広大な宇宙に散らばる星々に何を見たか。数多くの天体が、何の意味もなく存在しているとは思えない。きっと大いなる神は、地球外の星にそれぞれの世界を創造しているはずである。そうでないと、何故こんなに星があるのか説明がつかない。

 ごく乱暴に言えばこんな発想で、地球外には人間のような知的生命が遍く存在しているのだと信じられた。当時、地球外生命の存在は可能性の話ではなく、存在していなければならないものだった。余談だがアダムスキーも『宇宙のパイオニア』の序文で以下のように書いており、自然神学的な発想が現代まで存続していることを窺わせる。

 宇宙には何兆もの惑星や太陽系があります。その中には地球よりもずっと大きくて、もっと豊かな天然資源に恵まれている星もたくさんあるでしょう。なのに多くの人たちは、こんな小石のようなサイズの地球にだけ人間が住んでいると考えています。それはとてもおかしなことです。万物を生み出した存在を創造者と呼ぶとすれば、人間という生命体は彼の最高の表現形態です。広大な宇宙空間に多くの星々を作っておきながら、遥かに小さな地球にだけ人間を住まわせていると考えるのは、創造者の聡明さをほとんど信頼していないことになります。そんな世界を創造する理由などないはずです。

(『地球人よ、ひとつになって宇宙へ目を向けなさい!』p7-8)

 時代が下ると、地球以外の惑星は生命が存在できそうにない環境だということも科学的に明らかになっていったが、それでも19世紀末の時点で、望遠鏡での観測により火星に人工の運河を「発見」した人物もいる(横尾広光『地球外文明の思想史』)。

 地球の外にも世界がいる。そう考えると、実際にその世界の様子を見たくなってくるのが人情である。で、本当にそうする者が現れた。

 19世紀末とは、チャールズ・ダーウィンによる進化論の提唱など、科学史的に大きな進展のあった時代だが、他方で宗教界は大きく動揺していた。人間が猿から進化したとすれば、聖書に書かれていた物語は間違っていたのか。伝統宗教への信仰が揺らぎ出したとき、代替的に人々が惹かれたのが「心霊主義」、スピリチュアリズムという思想であった。

 心霊主義では、人の死後もその魂は存続し、生者に向かって様々なメッセージを発しているはずだとする。そうした考えを科学者たちは真剣に考察し、やがて気軽に霊の実在を感じられる交霊会が西欧社会で大流行した(詳細は吉村正和『心霊の文化史』など)。

 霊と交信し、その声や姿を現世に伝えることのできる者を霊媒と呼ぶ。霊媒は人々の求めに応じて、依頼者と親しかった者の霊を呼び出したりもしたが、交霊会にてはるか昔の著名人の霊などを呼び出す者もいた。そうした霊媒の中に、火星の住民の霊を呼び出す者まで現れた。その名はカトリーヌ・ミュレヌというスイス人女性である。

 彼女は交霊会の中で、自分自身の前世を巡る長大な転生譚を語った。時には15世紀のインドの土豪の王妃、時には18世紀のマリー・アントワネット、そして時には火星に転生した魂の物語を語ったのである。ミュレルは火星の暮らしや風景などの様子を言葉のみならず絵画で描写し、それどころか火星の言語や文字までをも詳細に伝えたのである(稲生平太郎『定本 何かが空を飛んでいる』)。

 つまり言ってしまえば、アダムスキー以前にもコンタクティの先駆者が存在したのである。思い起こせば、彼が金星人との意思疎通として使用したテレパシーという手法は、心霊主義の実践の中で発展したものだ。そうした点では、アダムスキーの宇宙人交流譚は19世紀の心霊主義を引き継ぐものとも言えるが、霊的な地球外存在を具体的な姿かたちを備えた宇宙人として顕現させたことが、コンタクティとしての彼の新しさだった(なお彼自身は、心霊術と同一視されることを嫌った)。

 そして『同乗記』で披露された世界観には、直接的な根元が存在する。それが心霊主義全盛の時代から新たに生まれた、神智学という宗教運動である。

 神智学は、ウクライナ人女性のヘレナ・ブラヴァツキー[1831-91]によって1974年にアメリカで創始された。彼女は元々、各種の交霊会に参加する霊媒として活動していたが、やがて心霊主義や仏教、神秘思想、西洋オカルティズムなど様々な宗教思想と、宗教界を揺るがせていた進化論とを融合させた特異な思想を説き始めた。

 神智学で語られる複雑な創世神話を要約するのは至難だが、なるべく単純化して示したい。神智学の世界観では、人間は輪廻転生を繰り返して「霊性」を進化させることで、より高次の存在になることができる。初めに地球上に生み出された原初の人類は、霊体のみの存在であり肉体を持たなかったが、進化の果てにやがて肉体を持つ人類が誕生する。しかし彼らの中で物質的な快楽に浸るものは霊性を喪失して動物的存在へと退化し、一方で快楽に身を委ねず絶えず霊性を進化させ続けた人類は、やがて物質的な身体から解放され、神的な存在へと近づくことができる。

 大田俊寛氏が「霊性進化論」という言葉で表す世界観は、明らかにアダムスキーの体験談の中にSF的な装いをなされて流れ込んでいる(大田俊寛『現代オカルトの根源』)。またアダムスキーは王立チベット教団の指導者であった時代に、神智学的な教えを広めていたことが明らかになっている。

 アダムスキーの体験談が、近代オカルティズムの系譜に連なることは間違いない。従来ではチベットやインドに比定されていたオカルティズムの聖地を、彼は遥か彼方の宇宙に場所を移し、偉大なる「マスター」の居る場所もそこに移し替えた。そうして成立した体験談への信奉者が増えていくにつれ、そこに宗教的な集団が形成されるのは自然な成り行きであった(コンタクティの宗教史的位置づけについてより詳しくは、吉永進一「円盤に乗ったメシア」)。

 

UFO宗教の形成

 アダムスキーを初めとしたコンタクティたちの物語は、人々に宇宙へのロマンや平和への共感を掻き立てるに止まらず、宇宙人を神のように崇め奉るグループが多数現れるようになり、中には教団化するものも出てきた。

 まずアダムスキー自身が、1959年に「International Get Acquainted Program」(通称「GAP」)という団体を創始しており、日本でも信奉者の久保田八郎[1924-1999]により1961年に「日本GAP」が設立されている(久保田の死去により1999年解散)。他に有名な団体としては、異星人「エロヒム」が人間を創造したと説く「ラエリアン・ムーブメント」や、とある事件を起こした「ヘブンズ・ゲート」などが挙げられる(後述)。

 一つのケーススタディとして有名なものでは、社会心理学者のレオン・フェスティンガーらによる『予言がはずれるとき』で取り上げられた、ドロシー・マーチンのUFOグループがある(本書内では「マリアン・キーチ」という仮名で呼ばれている)。本書は一つのUFOグループが終末予言を唱えてから外れるまでの様子を詳細に参与観察しており、UFOグループ内部の雰囲気を今に伝える貴重な成果となっている。

 これらのグループを、界隈では「UFOカルト」と呼ぶことが多い。これは『現代宗教事典』にも立項されている用語だが、現在「カルト」という語には強烈なニュアンスが含まれることが多いため、あえて本稿では「UFO宗教」としたい。

 稲生平太郎(=横山茂雄)氏はUFO宗教の教義に顕著な特徴として、「(a)宇宙人は科学的にも精神的にも人類より遥かに高度な段階に達しており、(b)太古から人類を見守ってきた、あるいは太古に人類を創造したという「事実」、(c)核兵器(主として五〇年代から六〇年代のコンタクティ)、あるいは環境破壊(七〇年代以降)、あるいは愚かな指導者たち(時代を問わず)のせいで、地球は破滅の危機に瀕しているという警告」という3点を挙げている(稲生平太郎『定本 何かが空を飛んでいる』)。

 上記の要素(b)については、いわゆる宇宙考古学的な発想と関わってくる。UFO宗教には宇宙考古学が付き物で、アダムスキーも後の著者で聖書の記述を円盤と絡めて解釈している(ジョージ・アダムスキー『空飛ぶ円盤の真相』)。

 要素(c)は要するに終末論で、多くのUFO宗教が黙示録的な世界の破滅を主張している。破滅から逃れる方法としては、宇宙人から示された方法を実践し、霊性の段階をより高めていくことで世界の救済が訪れると説くものがあるが(ラエリアン・ムーブメント、イセリアス協会など)、もう一つの方向性に、円盤で地球外へ離脱することにより終末を回避することを唱えるものが目立つ。先述のドロシー・マーチンのUFOグループや、ユナリアス科学アカデミーといった教団がそれに当たるが、中でもヘブンズ・ゲートは終末論に起因する悲惨な事件を起こしたことで有名だ。

 ヘブンズ・ゲートは、アップルホワイトとネトルズという2人組の男女が啓示を受けたことから始まった団体で、70年代半ばから布教活動が始められた。当初はほとんど組織化もなされていない緩やかなグループだったが、次第に閉鎖的な集団となって信者同士での共同生活に入り、一般社会との関係を断ってしまう。教義の変容の過程はよく分かっていないが、時を経るにつれ段々と終末論的傾向が深化していったらしく、最終的に彼らは肉体的な「コンテナ」から離脱し、円盤に魂をセーブするため、自らの命を絶つことにした。1997年、39名の信者が「現世」を去った(詳しくは吉永進一「円盤と至福千年」)。

 ここまで絵に描いたような「カルト事件」をUFO宗教に一般化するわけにはいかない。とは言え、これはUFO宗教に限らずだが、終末論を声高に唱える教団は、メディア等の批判や公権力による取り締まりなど、一般社会との軋轢を生じやすい。そして外的圧力を受けるほどに集団が内側に凝集し、社会からの孤立を深めていきがちである。特にUFO宗教は「宇宙人」という要素のキャッチ―さとともに世間から奇異の目で見られやすく、集団が内閉化しやすい傾向にあるのではないか。そういった点で、ある種の危うさを感じるのは確かだ。

 そしてUFO宗教の元素であるコンタクティという存在は、UFO肯定派にとって必ずしも歓迎できる存在ではなかった。

 例えば、1956年に発足した全米空中現象調査委員会(通称NICAP)という、民間としては最大規模を誇るUFO研究団体があった。 NICAPは政府に対し、UFO問題の公聴会開催を要求するなどといった活発な運動を行なっていたことで知られる。その一方でコンタクティに対しては敵意を剥き出しにし、会誌上でアダムスキー含む8人のコンタクティへ公開質問状を突き付けるなど牽制を行なっていた(カーティス・ピーブルズ『人類はなぜUFOと遭遇するのか』)。なお当のコンタクティたちは無視した。

 いま一つの例に、空軍によるUFO調査に初期の頃から関わっていた天文学者のジョーゼフ・アレン・ハイネック[1910-86]の場合を挙げよう。ハイネックはUFOについて最初は懐疑論者だったが、後にUFOは真剣に研究すべき対象だと考えを改め、現在では科学的なUFO研究のパイオニアとして知られている。

 科学者でありつつUFO目撃例をどちらかと言えば肯定的に見ていたハイネックだったが、コンタクティについてはかなり辛辣な視線で見ており、ある対談の場では「ほとんどのコンタクティは実験可能な情報は与えません。きまり文句だけです。爆弾を廃止しろ、おとなしくしろ、われわれは傷つけるつもりはない、援助の手を差し伸べに来たのだとか、まったく陳腐この上ないですよ」と吐き捨てている(J.アレン・ハイネック、ジャック・ヴァレー『UFOとは何か』)。

 ハイネックと共に代表的なUFO研究家として挙げられるジャック・ヴァレ氏[1939-]もコンタクティやUFO宗教には否定的で、それどころかUFO宗教の裏には何者かによる陰謀が存在すると主張するようになったらしい(稲生平太郎『定本 何かが空を飛んでいる』)。

 そこまでいくと話の信憑性はコンタクティとどっこいどっこいだが、科学的なUFO研究を志向するものにとって、コンタクティは目の上のたんこぶだったのだろう。UFOを学術的な議論の俎上に乗せることを目指す人々には、コンタクティはUFO問題に対する世間の評価を下げているものにしか見えなかった。

 アダムスキーは多数の信奉者を獲得する一方で、UFO否定派・懐疑派からは絶好の攻撃の的になり、肯定派からも非難の眼差しで見られるなど批判の声に晒され続けた。そして晩年には、「サイレンス・グループ」なる存在からの妨害工作を声高に主張するようになった(ジョージ・アダムスキー『空飛ぶ円盤の真相』)。元々陰謀論と一体のUFO言説から生まれたコンタクティが、更なる陰謀論に流れていったのも当然と言えば当然かもしれない。そうしてコンタクティとそれに起因するUFO宗教は、正統派のUFO研究とは完全に袂を分かち、独自の路線を突っ走っていくのである。

  宇宙人を掘り下げていたらいつの間にか記事が長大になってしまったが、最後に日本においてアダムスキーがどのような影響を与えたか、軽く触れておきたい。

 

合言葉は「リンゴ送れ、C」

 現在、日本で一番有名なアダムスキー信奉者は誰かと言えば、恐らく韮澤潤一郎氏[1945-]であろう。年末のオカルト番組で大槻義彦教授と毎年やり合っている面白UFOおじさんというイメージの強い韮澤氏だが、過去には1995年の参院選に「「開星論」のUFO党」なる政党から「国連大学にUFO研究部局を設置する」という公約を引っ提げて出馬するなど、知れば知るほど筋金入りの人である(こちらで当時の政見放送を確認できる。ニコニコ動画注意)。

 韮澤氏と言えば、普通の西洋人にしか見えない人物の写真を掲げて「宇宙人だ」と強弁したり、何の変哲もない野原の画像を「金星の風景だ」と主張したりする姿が印象的だが、彼がアダムスキー信奉者だということを念頭に置くと色々得心がいくかもしれない。

 そんな韮澤氏について国立国会図書館デジタルコレクションで調べてみると、「テレパシーによって円盤が出現する迄!」という1961年の文章が見つかる。単純計算で韮澤氏が16歳の頃に書いたもので、3度のUFO目撃談や「テレパシー・コンタクト」によるUFO呼び出しに成功した話などが語られており、その頃からUFOにどっぷりだったことがよく分かるが、今見ておきたいのは韮澤氏の個人史ではない。

 注目したいのは、当時の韮澤少年が寄稿した『空飛ぶ円盤ダイジェスト』という雑誌についてである。これは「宇宙友好協会」というUFO団体が発行していた小冊子なのだが、この団体が本邦における初期のコンタクティ・ムーブメントの中心的存在だったのである。だがそれについて述べる前に、日本におけるUFO研究の黎明期を簡単に触れておく。

 日本にアメリカのUFO情報が入ってきたのは存外早く、ケネス・アーノルド事件の数週間後には新聞各紙で報道されている。筆者が直接確認できた範囲で一番古いUFO記事は、1947年7月8日の『朝日新聞』に掲載された「空飛ぶ円盤 アメリカで大評判」と、同日の『読売新聞』に載った「飛び行く「発光円盤」の編隊」である。無論「宇宙人」などといった単語はまだ一言もなく、後者の記事では「戦時中極秘に開発されたレーダー」という仮説が紹介されている。

 ところがこれ以降、日本の新聞紙上ではしばらくUFOの姿が消えてしまい、再び話題になるのは1950年に入ってからのようだ。そして50年代から日本でのUFO目撃談が盛んに報道されるようになり、本格的なUFOブームが到来したのである。もっとも、当時は「空飛ぶ円盤」の語が一般的に用いられていた。

 ところで日本では、いつ頃からUFOの正体を「宇宙人の乗り物」だとする説が優勢になったのかについてだが、筆者の調査能力不足により詳しいことは分からなかった*1。ただUFOという存在が広く認知されるにつれ、日本でも段々とそうした認識が広まっていったのは確かだろう。そして1955年、日本初のUFO研究団体「日本空飛ぶ円盤研究会」(Japan Flying Sauser Research Association、以下「JFSA」と呼称)が発足する。

 創始者の荒井欣一[1923-2002]は後年のインタビューで、54年に邦訳された『空飛ぶ円盤実見記』が仲間内で話題になり、それがきっかけでUFOを科学的に究明する団体を作る流れになったと語っている(和田登『いつもUFOのことを考えていた』)。つまりアダムスキーの体験談こそが、日本で本格的なUFO研究が始められる端緒となったと言える。

 JFSAには数々の知識人・文化人が参加していたことでも有名で、顧問に作家の北村小松漫談家徳川夢声、工学者の糸川英夫らを据え、会員としては作家の三島由紀夫星新一、黒沼健、仏文学者の平野威馬雄など、今見ても錚々たる面々を擁しており、当時UFOが知識人の関心の的であったことが分かる。翌56年には、高梨純一[1923-97]により「近代宇宙旅行協会」も設立され、この両団体が日本における初期のUFO研究を牽引していった。

 ところで押さえておきたいのは、荒井と高梨は「宇宙人が円盤に乗って地球にやって来ている」という確信の下にUFO研究を行なっていたが、コンタクティについては双方とも批判的だったということである。2人が目指したのはあくまで科学性を重視したUFO研究であり、コンタクティは科学以前の怪しげな宗教話というレベルであった。

 つまりアメリカと同様、日本のUFO界隈でも「科学派」と「コンタクト派」の分断が起きていた。だが吉永進一氏によれば、日本では科学派のUFO研究活動はあまり大衆を惹きつけず、むしろ戦後日本の価値観を席巻した「世界平和」を謳うコンタクティがもてはやされた(吉永進一「円盤に乗ったメシア」)。そして初期コンタクト派の代表的な団体が、宇宙友好協会(Cosmic Brotherhood Association、以下「CBA」と呼称)だったのである。

 CBAの発起人の一人に、松村雄亮[1929-?]という人物がいる。松村は元々航空ジャーナリストとして活動しており、その経歴により早い段階から海外のUFO情報に触れていた。彼は1956年の時点で「空飛ぶ円盤研究グループ」を主宰しており、JFSAの機関誌に寄稿するなど当初は科学派とも一定の関係を持っていた。そして1957年、松村は久保田八郎、小川定時、桑田力、橋本健、小川昌子ら計6人でCBAを共同設立した。

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松村雄亮(『経済時代』1958年8月号より)

 CBAは当初から宇宙人とのコンタクトを活動の主軸として展開しており、アダムスキーら海外のコンタクティの情報を機関誌に掲載、書籍を翻訳出版するほか、自身でも「宇宙交信機」なる機器を作成して円盤との交信を試みるなどの活動を行っていた。松村は1958年のインタビューで、宇宙交信機でのコンタクトの様子を次のように語っている(文中の「本社」はインタビュアーのこと)。

本社 日本でも高尾山で、六月七日に円盤観測をやりましたね。あの時の状況をちょっと、お話していただけますか。

松村 あの日は、午後三時から始めて、約一時間にわたってこちらから呼びかけたわけです。「CQCQ、地球、日本CBA、円盤さん応答願います」これを一時間続けました。

本社 それは宇宙交信機によって、呼びかけたんですか。

松村 そうです。これはワイヤレス・マイクによって、光を音にかえて応答するわけです。むこうの答えは光で来るんですね。それを望遠鏡で拡大してまた音に変えるのです。それで約三時間交信をやったんですが、どうも応答がない。七時頃ごろ(ママ)に小雨が降って、一時中断しまして翌朝最後の交信をやりましたところが、はじめて声が入ったんです。側にいる人がよく聞いてますと、日本語で、「皆さん、長い間雨の中をありがとうございました。ありがとうございました」というんです。その言葉が時々かわりまして、ただありがとうございました、ありがとうございましたというのと、日本の皆さんというのと、連続約三十分入ったんです。しかしそうとう雑音が入りまして、スピーカーに耳を傾けないと聞えないですが、十五、六人の人たちが聞きました。

(『経済時代』1958年8月号「UFO四方山話」、p91-92)

 この宇宙交信機を作成したのが、CBA発起人の一人であった橋本健である。橋本はJFSAの会員でもあったが、UFO以外にも超能力や心霊現象などオカルト全般に関わる数々の「発明品」を作り出した人物であり、同時に新宗教団体「生長の家」の熱心な信者でもあった(羽仁礼「CBA事件を起こした宇宙友好協会(CBA)」)。同じくCBA共同発起人の小川定時と桑田力もまた生長の家信者であり、両者の関係はただの偶然に過ぎるものではない。

 誤解なきよう言っておくと、CBAが生長の家関連の団体だったわけではない。生長の家は、元大本信者の谷口雅春が1930年に独自に立ち上げた教団で、欧米の宗教思想、特にニューソートに強い影響を受けた教義が特徴だった。戦後は海外のオカルティズムを日本に紹介する活動が活発となり、その流れの中でUFOに関心を持つ信者がCBAに集まったのだろう(吉永進一「円盤に乗ったメシア」)。

 CBAでは宇宙交信機のほか、数人で円陣を組んで「ベントラベントラ」と唱えながら円盤を呼ぶ、テレパシーの手法でのコンタクトも行われた。そうした活動が重ねられていくにつれ、次第に松村雄亮自身がコンタクティとしての頭角を現していく。

 松村の言うところでは、初めてのコンタクトは1959年7月10日、夜道ですれ違った女性に微笑みかけられ、振り返ると女性の姿はなく、上空にはフットボール大の円盤が空を飛んでいたという。それから彼は数度のコンタクトを経て、7月26日の早朝に3人の宇宙人と会見した際、近く地球に起こる大変動について知らされる。彼らにもその詳しい時期は分からなかったが、一人でも多くの人間を地球外に避難させたいと言い、混乱を起こさないため新聞などを使わずにことを進めるよう松村に命じた(より詳しくは天宮清『日本UFO研究史』)。

 この終末予言については、根拠となった本がある。1959年にCBAで翻訳出版された、『地軸は傾く!』である*2。原著者のスタンフォード兄弟もまたコンタクティであり、原書では宇宙人のメッセージとして1960年に地軸の傾く大変動があると記されていた。翻訳では「196X年」とぼやかされたが、CBA内部では破滅の時が近づいていることが喧伝されており、一時期会員として関わっていた平野威馬雄が内部の異様な雰囲気を伝えている(平野威馬雄編『それでも円盤は飛ぶ!』)。終末の時は、Catastropheの頭文字を取って「C」と呼ばれた。

 CBAの会員内では、「C」を告げる極秘文書まで出回っていた。その文書は幹部の徳永光男が作成したとされ、「トクナガ文書」と通称される。内容は、60年か62年に地軸が傾いて大洪水が起き、地上のものは全て洗い流されてしまうが、その前に「宇宙の兄弟」が円盤で地球外へ救い出してくれる。地球人は遊星で数年間再教育を受けてから地球に帰り、その後宇宙人の援助のもと輝かしい黄金時代が訪れる、というものであった(トクナガ文書は数種類あったらしいが、その内の1パターンが天宮清『日本UFO研究史』に掲載されている)。会員には終末の10日前に電報が送られ、電文の内容は「リンゴ送れシー」だとされた。

 トクナガ文書では「C」の公表は絶対に禁止と念を押されていたが、先述の平野威馬雄により情報が新聞社に流され、1960年1月29日の『産経新聞』に「〝地球最後の日が来る〟賛否両論でテンヤワンヤ 空飛ぶ円盤ファンの珍騒動」と記事にされたことでとうとう世間に広く周知されてしまう。これがいわゆる「CBA事件」、またはトクナガ文書で予告された電文から「リンゴ送れC事件」と呼ばれる、UFO界隈では黒歴史として知られる出来事となった。

  なお他のUFO研究団体は報道以前からCBAの動きを把握しており、上の記事では荒井欣一や高梨純一がそれぞれの会誌に載せたCBAへの批判を紹介している。記事によれば、荒井は「宇宙人と交信したり宇宙人による地球人救済説をとなえるにいたっては、科学的な円盤研究家とはいわれない。まさに新興宗教と同じだ」と非難し、高梨も「CBAは狂信徒の集合であり、宇宙人との交信は心霊術のまやかしにすぎない」と吐き捨てた。これに対しCBA側は、「これら二つの円盤研究会には〝悪い宇宙人〟がついている」などと応酬した。

 科学派UFO団体にとっては、CBAは宗教団体のようなものとしか思えなかった。一方のCBAにしたら、自分たちは既に宇宙人と出会い円盤にも乗せてもらっているのに、科学派は円盤があるかないかという幼稚な次元で議論しているように見えたのだろう。

 もともと荒井、高梨による両団体とCBAでは認識の相違により話が合わないことも多かったが、1957年10月には共同で「宇宙平和宣言」という声明を出すなど、必ずしも関係が険悪だったわけではない(和田登『いつもUFOのことを考えていた』)。しかしこの出来事により、科学派とコンタクト派との間の亀裂は決定的なものになり、再び両者が交わることはなかった。

 さて、そういった訳で「リンゴ送れC事件」は日本UFO史上の一大スキャンダルとなったのだが、ヘブンズ・ゲートなどと違って死者など直接的な被害が生じたわけではない。世間的にはせいぜい、UFOは胡散臭いという認識が広まったくらいの出来事であり、現在は一部のオカルトファンやカルト事件マニアなどを除きほぼ忘れ去られている。

 結果的に大事にはならなかったが、とは言えCBAが社会に対し攻撃を加える可能性が全くなかったとも断言しにくい。天宮清氏によれば、実は松村は7月26日のコンタクトの際、地球脱出計画とともに原水爆を処分する任務を宇宙人から仰せつかっていたというのである。それは「H対策」と呼ばれ、「宇宙連合より貸与された核兵器処理装置を核兵器貯蔵施設(宇宙人が示した米軍基地敷地内など)近くで作動させる」という作戦だったらしい(天宮清『日本UFO研究史』)。

 装置は四個に分かれており、四個を接続すると起動する。各個の正面にあるメーターの針が振り切れたとき、装置が発する未知の電磁波が核兵器に作用し、半径数一〇〇メートルにある核兵器を「無効」にするといわれる。
 また核兵器が艦船に搭載されている場合は、松村コンタクトマンだけが円盤でできるだけ接近して艦船に乗り込み、作動させて再び円盤に乗って退去するという。

(天宮前掲書、p350

 SFアクション映画さながらの途方もない話だが、松村の大立ち回りはともかく、このH対策はある程度実行に移されたらしい。核兵器処理装置の実態は不明だが、宇宙人の命令が「核兵器施設の物理的破壊」でなかったことは幸いだったと思う。

 

コンタクトの現在

 三島由紀夫の作品に、1962年から連載された『美しい星』がある。平凡な4人家族が、あるとき自分は別の惑星から飛来した宇宙人であるという意識に目覚め、それぞれ胸に使命を抱いて行動し、葛藤を重ねていくという物語である。三島作品としては異質なSF小説と紹介されることも多いが、当時のUFO事情を踏まえて読むと、また違った感慨が湧いてくるかもしれない。

 三島も一時期UFO観測に凝っており、恐らくCBAの一件についても把握していただろう。事件後のCBAでは、松村が世間を騒がせた責任を取って代表から降り、代わって久保田八郎が代表に就くことで事態は収束する。

 だがその後、CBA内部では宇宙人コンタクトを巡る権力闘争が勃発し、アダムスキー信奉者の久保田は代表から追いやられ、代わって心霊術で用いるウィジャ盤で自らコンタクトを行っていた小川定時が代表に就く。久保田はCBAを退会し、先述の通り61年にアダムスキー信奉団体の日本GAPを設立した。

 だがその後、ウィジャ盤を用いていた小川定時、徳永光男、渡辺大起らのグループ(ボード派)と、物理的な宇宙人との接触を主張する松村雄亮との間で闘争が起きる。結果としては松村が代表に返り咲き、ボード派はCBAを脱会。権力を掌握した松村は段々と陰謀論的な傾向を強めて集団を凝集化させていき、活動としては宇宙考古学への傾倒を強めていくのだが、その辺りの話題についてはまた稿を改めたい。

 さて、松村以外にも日本発のコンタクティは出現したが、社会への影響力という点では松村以上に突出した存在は見出しにくい。CBAは日本生まれの「UFO宗教」として現在でも時折話題に上がるが、それ以外に力を持った団体はあまりなく、CBAも70年代には活動を終息させた。現在日本である程度影響力を持つUFO宗教は、「日本ラエリアン・ムーブメント」くらいだろうか。

 結果として、日本ではUFO単体で宗教的な運動にはなりにくかった。だが宇宙人とのコンタクトという手法は、通俗オカルト文化やスピリチュアル文化に薄く広く浸透したと言える。

 現在コンタクティとしてぱっと名前が上がるのは、秋山眞人氏や武良信行氏だろうか。テレビのオカルト番組などでUFOを呼んでいる姿をたまに見かけるが、コンタクティが本来持っている宗教性を除去した、超能力的なパフォーマンスとして扱われることが多いように思う。

 現在では宇宙人と出会ったと主張するものは少なくなったが、むしろスピリチュアル方面ではチャネリングにより宇宙存在と繋がる実践が多いようだ。もはや具体的な身体を持つ宇宙人よりも、チャネラーを通した抽象的な宇宙存在の方がリアリティを感じるようになっているのかもしれない。ある意味、アダムスキー以前の霊的な宇宙存在とのコンタクトに回帰しているようにも思える。

 本人が喜ぶかどうかはともかく、アダムスキーの撒いた種は現代宗教文化の一部にしっかりと根付いたようだ。彼自身は1965年に心臓発作で亡くなり、コンタクティとして活動した時期はそう長くなかったが、宗教のみならずサブカルチャーに与えた影響も無視できない存在である。

 その一方で現代科学が解き明かしたのは、少なくともこの太陽系において、人類は孤独だということである。月や火星、金星に科学と自然の調和する平和な文明などなかったし、土星木星にはそもそも生物の住める大地が存在しない。

 アダムスキーの魂が、死後に金星へ転生できたかどうかは分からない。一つ確かなのは、アポロ11号が月に行くより前に地球上を去れたことは、彼にとって幸いだったということである。

 

〈参考文献〉

  • ASIOS 2017『UFO事件クロニクル』彩図社
  • G.アダムスキ、D.レスリ 1957『空飛ぶ円盤実見記』高橋豊訳、高文社
    〔原著:Desmond Leslie , George Adamski 1953 "Flying Saucers Have Landed"〕
  • G.アダムスキ 1975『空飛ぶ円盤の真相』久保田八郎訳、高文社
    〔原著:George Adamski 1961 "Flying Saucer Farewell"〕
  • ジョージ・アダムスキー 1990『新アダムスキー全集① 第2惑星からの地球訪問者』久保田八郎訳、中央アート出版
  • ジョージ・アダムスキー 2011『地球人よ、ひとつになって宇宙へ目を向けなさい!』益子祐司訳、徳間書店
    〔原著:George Adamski 1949 "Pioneers of space: A trip to the moon, Mars and Venus"〕
  • 天宮清 2019『日本UFO研究史 UFO問題の検証と究明、情報公開』ナチュラルスピリット
  • 有江富夫 2019「UFOを扱った代表的な研究団体」(ASIOS『昭和・平成オカルト研究読本』CYZO)
  • 稲生平太郎 2013『定本 何かが空を飛んでいる』国書刊行会
  • 大田俊寛 2013『現代オカルトの根源 霊性進化論の光と闇』ちくま新書
  • 新戸雅章 1996「六十年代のハルマゲドン騒動 UFO教団CBAの興亡」(ジャパン・ミックス編『歴史を変えた偽書』ジャパン・ミックス)
  • 長尾伸一 2015『複数世界の思想史』名古屋大学出版会
  • J.アレン・ハイネック、ジャック・ヴァレー 1981『UFOとは何か』久保智洋訳、角川文庫
    〔原著:J.Allen Hynek and Jacques Vallee 1975 "THE EDGE OF REALITY:A progress report on Unidentified Flying Objects"〕
  • 羽仁礼 2019「CBA事件を起こした宇宙友好協会(CBA)」(ASIOS『昭和・平成オカルト研究読本』CYZO)
  • 羽仁礼 2019「大災害発生を信じた集団と報じられ騒動となったCBA事件」(同上)
  • カーティス・ピーブルズ 2002『人類はなぜUFOと遭遇するのか』皆神龍太郎訳、文春文庫
    〔原著:Curtis Peebles 1994 "WATCH THE SKIES! A Chronicle of the Flying Saucer Myth"〕
  • 平野威馬雄編 1960『それでも円盤は飛ぶ!』高文社
  • L.フェスティンガーほか 1995『予言がはずれるとき この世の破滅を予知した現代のある集団を解明する』水野博介訳、勁草書房
    〔原著:Leon Festinger, Henry W. Riecken, & Stanley Schachter 1956 "When Prophecy Fails: A Social and Psychological Study of a Modern Group that Predicted the End of the World"〕
  • 韮澤潤一郎 1961「テレパシーによって円盤が出現する迄!」『空飛ぶ円盤ダイジェスト』第1巻3-4号(1961年9-10月号)
  • 皆神龍太郎 2008『UFO学入門 伝説と真相』楽工社
  • 横尾広光 1991『地球外文明の思想史 多数世界論か唯一世界論か』恒星社厚生閣
  • 吉永進一 1998「円盤と至福千年―ヘブンズゲイト論」『情報科学センター年報』26号
  • 吉永進一 2006「円盤に乗ったメシア―コンタクティたちのオカルト史」(一柳廣孝編『オカルトの帝国―1970年代の日本を読む』青弓社
  • 吉村正和 2010『心霊の文化史 スピリチュアルな英国近代』河出書房新社
  • 和田登 1994『いつもUFOのことを考えていた―UFOライブラリー・荒井欣一さん訪問記』文溪堂
  • Andreas Grunschloss 2009「ユーフォロジーとUFO関連の運動」井上順孝訳(クリストファー・パートリッジ編『現代世界宗教事典―現代の新宗教セクト、代替スピリチュアリティ井上順孝監訳、悠書館)
  • Daniel Wojcik 2009「黙示思想と千年王国思想」冨澤かな訳(同上)
  • UFO四方山話」『経済時代』第23巻8号(1958年8月号)
  • 「飛び行く「発光円盤」の編隊」『読売新聞』1947年7月8日
  • 「空飛ぶ円盤 アメリカで大評判」『朝日新聞』1947年7月8日
  • 「〝空飛ぶ円盤〟は遊星の訪問客」『読売新聞』1950年1月3日
  • 「〝地球最後の日が来る〟賛否両論でテンヤワンヤ 空飛ぶ円盤ファンの珍騒動」『産経新聞』1960年1月29日

*1:管見の限りでは、1950年1月3日の『読売新聞』に「空飛ぶ円盤は遊星の訪問客」という記事があり、従軍記者の「フレツチヤー・ブラツド」なる人物による「当局の発見した円盤から死亡した乗組員が見つかり、現在解剖調査がなされている」という話が載っているのが、日本におけるUFO=地球外起源説の早い紹介例だろうか。

*2:訳者は松村雄亮とされているが、天宮清氏によれば実際に訳したのは桑田力だったらしい(天宮清『日本UFO研究史』)。