河原に落ちていた日記帳

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【論文紹介】「ネス湖のネッシーと日本湖沼の蛇体・竜」

 どうも遅筆すぎてブログの存在すら自分で忘れそうになるので、ちょっとした記事を定期的に量産できないか思案中です。今回は試しに、気になった論文の類をご紹介。

 先行研究の森に迷える大学生御用達の論文検索サイト、CiNii。そこで変なワードを検索してどんな論文が出てくるか調べる、というのは誰もがやる遊びですよね。ですよね?

 そこで試しに、UMA界の大御所である「ネッシー」という単語を検索してみると、長音記号を認識してくれないのでほとんどノイズが出てきてしまうのですが、僅かながらあの水生獣UMAについて言及した論文も引っ掛かります。

 その中で、個人的に目に留まったものがこちら。

◎渡辺仁治「ネス湖のネッシーと日本湖沼の蛇体・竜」(1993)

 論文名だけを見ると、ネッシーと日本の竜伝説を比較・検討する、比較説話学的な研究かと思ってしまいます。文化派オカルトファンの私としてはワクワクせざるを得ないではありませんか。

 しかし著者の渡辺仁治(わたなべ としはる)[1924-2009]という方を調べてみると、専門分野は陸水学とのこと。珪藻などの研究でかなりの功績がある人のようですが、説話学者ではないどころかバリバリに理系畑の方です。

 なぜそんな人が、専門とは縁の遠そうなネッシーと竜の話を……とは思いましたが、とにかく読んでみなければ何も分かりません。幸いにも近くの図書館に掲載雑誌が所蔵されていたので、早速読んでみました。

 論文内の各節を抜き出すと、以下の通り。

  1. はじめに
  2. ネス湖の立地条件と水質
  3. 付着珪藻
  4. Nessyの謎を追う
  5. 日本湖沼の伝説に生きる蛇と竜
  6. 蛇体・竜そしてネッシー
  7. 爬虫類への恐怖と自然への恐怖
  8. 結び

  初めに書いておくと、これは論文と言うより一種のエッセイとして読むべきでしょう。

 序文を要約すると、「先日ネス湖に行く機会があったので湖水のサンプルを取ってきた」とのことで、論考の前半はネス湖の自然環境や、サンプルから観察された珪藻類についての分析が行われています。正直なところ、ド文系な私には読んでみてもよく分からない内容でしたが、ネス湖の水質や生息する珪藻などの学術的な記述のある日本語文献というのは貴重だと思うので、これはこれで興味深い内容ではあります。

 そして肝心なのが、第4節から突如始まるネッシー考です。著者は1933年から論考執筆当時までのネッシー目撃史を振り返り、「ネス湖では、神秘的な夢を追うロマンは影をひそめ、ネッシーの実在をひたすらに追い求める、科学的ロマンにとって変えられたように見える〔p220〕」と述べます。そもそも渡辺氏の言う2つの〝ロマン〟の間に明確な差があるのかどうか分かりませんが、とにかく氏の感ずるところではそうなんでしょう。

 そして第5節では、日本の湖沼における竜蛇の伝説とネッシーの比較が行われており、過去に報告された伝説集から日本の事例がいくつか引かれています(それにしては、本論考発表当時には既に刊行されていた『日本伝説大系』が用いられていないのが少し気になりますが)。湖沼ごとに、最大深度と平均深度、そして水質(貧栄養湖、富栄養湖など)が解説されているのが、説話学の論考ではまず見られない視点なので新鮮です。意味があるかどうかはともかく。

 そして話は、東洋の「竜」と西洋の「ドラゴン」の比較論へと進み、爬虫類からイメージされた双方の形象は、「万人共通の恐怖の深層心理が投影された姿〔p222〕」なのだと渡辺氏は主張します。こういう文章を読むと、私などは「深層心理に逃げるな!」と思ってしまうのですが、まぁ便利なんですね、深層心理なるワードは。

 そして東洋の竜は女性的であり、西洋のドラゴンは男性的で、その違いは東洋と西洋の植生の違いにある……という、どこかで聞いたような話が展開されます。言ってしまえば典型的なボンクラ比較文化論という感じで、それはそれで別にいいのですが、問題は「竜伝説のある湖の多くは水の美しい貧栄養湖であり、いずれも深い湖」だと述べている点です。

 試しに先に引かれた事例を見直してみると、全12例の湖沼のうち貧栄養湖は5例に留まり、富栄養湖が4例、中栄養湖が2例、酸性湖が1例……と、特別に貧栄養湖が多い印象はありません。湖の深度については、最大深度が20mに達さない例が7例あり、これも特別深いかどうかといえばどうなんでしょう(深度100m越えも4例あるのですが)。渡辺氏はそれっぽい理屈を述べてはいますが、細かく見ると理屈として破綻していませんか。

 そもそも、ネッシーという未確認動物を日本の例と比較するのであれば、イッシーやクッシーなど格好の事例があるのではないか、またネッシーとドラゴン伝承の間にどの程度連続性があるのか、気になるところ盛りだくさんです。

 とにかく本論考の論旨としては、竜やドラゴンに代表される爬虫類の形態は、人類が自然に対し抱いてきた恐怖への深層心理を反映したものであり、ネッシーの深奥にもそうした人類の感性が潜んでいるのである、という要約になると思います。

 正直なところ、細かく読もうとすればするほど、何が書いているのかよく分からなくなっていく論考であり、むしろ全てを感性で読み流した方が通りの良い文章だと思います。特に終盤は、どこを引用すればいいのか迷うくらい修飾的な文体が貫かれており、理詰めでの読みを自然と拒否するものとなっています。それこそ、不自然なほど渡辺氏が強調する〝ロマン〟をどれだけ文章の中に感じられるか、という「美的センス」の話になります。Don't think , feel.

 まとめて言えば、科学的なサンプル分析と、渡辺氏の「ロマン」溢れる比較文化論が混淆する、非常にアンバランスかつヘンテコな論考でございまして、説話学的には恐らく毒にも薬にもならんものでしょう。

  ただ、完全に畑違いの人がいきなり文化論を書くとどうなるのかという点で、ある意味面白い論考ではありました。難解な文章を読んで混乱したい方、一度こういうものもどうでしょうか。