【読書備忘録】ASIOS『UFO事件クロニクル』/『UMA事件クロニクル』
折角なので今回は2冊を忘却に備えます。
未確認飛行物体(Unidentified Flying Object)、UFO。
未確認動物(Unidentified Mysterious Animal)、UMA。
なんと甘美な響きでしょう。
私が最初にオカルトに興味を持ったジャンルが、確かこの2つだったと記憶しています。字義通り「未確認」であることからくる、得も言われぬわくわく感に胸をときめかせた幼少期。
「世界にはまだまだ謎がたくさんあるんだ!」というロマンに目覚め、それが微妙に人としての道を踏み外していくきっかけにもなるのですが、それはいいとして。
人々のロマンを掻き立ててきたオカルト2大ジャンルにおける個々の事例を、お馴染み「超常現象の懐疑的調査のための会」ASIOSが、なるだけ客観的な視点から事件の真相に迫るシリーズです。
〈内容紹介〉※Amazon商品紹介欄より引用
『UFO事件クロニクル』(2017)
1947年6月、実業家のケネス・アーノルドがアメリカ西海岸のワシントン州を自家用機で飛行中、レーニア山付近で超高速で飛行する謎の物体を目撃する―これがすべての始まりだった。
この日以降、世界中の空で未確認飛行物体が目撃され、従来の常識では説明できないような数々の〝怪事件〟が巻き起こるようになる。
首都ワシントンの上空を複数の未確認飛行物体が襲った「ワシントンUFO侵略事件」、大勢の人々がUFOとその乗員を目撃した「ギル神父事件」、森林作業員がUFOのさらわれた「トラビス・ウォルトン事件」、日本の貨物機がUFOと遭遇「日航ジャンボ機UFO遭遇事件」…。
なぜUFOは現れるのか。
その謎を解くべく、UFO史に名を残す難事件の真相をASIOSが解説。
UFO人物辞典や用語集、UFO事件年表など、付随する情報も網羅。
この一冊を読めば、UFOの謎と歴史がよくわかる。UFOファン必携の書。
『UMA事件クロニクル』(2018)
古代に絶滅したはずの恐竜、進化できなかった類人猿、見る者に恐怖を呼び起こす異形の怪物。
科学が発達した現代でもUMA(未確認動物)の目撃が後を絶たない。UMAはなぜ目撃されるのか。
その正体はいったいなんなのか。
「謎解き超常現象」シリーズでお馴染みのASIOSが、古今東西、UMA史に名を残す怪事件を徹底検証。
ネッシーやビッグフット、雪男、河童、ツチノコ、スカイフィッシュといった誰もが知る有名UMAからローペン、ヨーウィ、オゴポゴ、ジャナワールといったマニアックなUMA、そしてモンキーマンやグロブスター、ニンゲンなど最新未確認動物まで44の事件を徹底調査!
豪華執筆陣によるコラムも充実。UMA研究の決定版です!
まず『UFO事件』についてですが、こちらは基本的に個々のUFO騒動が見開き2~3頁で解説されています。取り上げられている事件は、以下の通り。
第1章 1940年代のUFO事件
- モーリー島事件(秋月朗芳)
- ケネス・アーノルド事件(若島利和)
- ロズウェル事件(蒲田典弘)
- マンテル大尉事件(横山雅司)
- アズテック事件(蒲田)
- イースタン航空機事件(山本弘)
- ゴーマン少尉の空中戦(横山)
第2章 1950年代のUFO事件
- 捕まった宇宙人の写真(本城達也)
- ワシントンUFO侵略事件(皆神龍太郎)
- フラットウッズ・モンスター(加門正一)
- プロジェクト・ブルーブック(秋月)
- ロバートソン査問会(秋月)
- チェンニーナ事件(小山田浩史)
- ケリー・ホプキンスビル事件(加門)
- トリンダデ島事件(加門)
- ギル神父事件(羽仁礼)
第3章 1960年代のUFO事件
- イーグルリバー事件(小山田)
- リンゴ送れシー事件(羽仁)
- ヒル夫妻誘拐事件(本城)
- ウンモ事件(秋月)
- ソコロ事件(加門)
- ブロムリー円盤着陸事件(羽仁)
- コンドン委員会(秋月)
- エイモス・ミラー事件(小山田)
第4章 1970年代のUFO事件
- 介良事件(本城)
- パスカグーラ事件(加門)
- ベッツ・ボール事件(小山田)
- 甲府事件(本城)
- トラビス・ウォルトン事件(秋月)
- セルジー・ポントワーズ事件(若島)
- バレンティッチ行方不明事件(加門)
- ブルーストンウォーク事件(小山田)
第5章 1980、90年代のUFO事件
多い(小並感)。恐らく有名どころ中心に取り上げられているのでしょうが、それでもこんなにあるんですねぇ。
全体の構成としては、まず事件の概略を述べてからその真相を考察するというオーソドックスなもの。第一に現実的・合理的な考察が重視されているため、「星や鳥、気球などの見間違い」などの言ってしまえば〝面白くない〟結論になりがちですが、まぁそれが現実というものです。諦めましょう。
むしろ面白いことは、UFOに連れ去られただの解剖しただのといった派手な事件は、真相を追うとしょうもないでっち上げだったり勘違いであることが多いのですが、現実的に考察してもよく分からない事件ほど、話のインパクトとしては地味だったりすることは興味深い。本当の意味での「UFO」とは、案外こういった地味な事件の中に隠されているのかもしれません。
かと思えば、一般主婦が宇宙人に使用済みストッキングと花束を奪われた「チェンニーナ事件」や、宇宙人に水をあげたらお返しに不味いパンケーキを貰った「イーグルリバー事件」など、どう解釈すればいいのか困る未解決事件もあるので、油断はできないのですが。
ところで本書で必見の記事が、本城達也氏担当の「介良事件」です。これは高知県高知市の介良地区にて、中学生が小型のUFOを捕獲したのち紛失したという世にも奇妙な事件ですが、本城氏はそのUFOと似た灰皿をネットオークションで探し出して検証するという、執念をも感じさせる調査を行っています。懐疑派としての本気を垣間見られる一件です。
次に『UMA事件』ですが、こちらは一つひとつのUMAについて「発見」された経緯や目撃例などを紹介し、その正体を考察するという構成になっています。取り上げられているUMAは以下の通り。
第1章 1930年代以前のUMA事件
- 河童(小山田浩史)
- 人魚(藤野七穂)
- クラーケン(横山雅司)
- モンゴリアン・デスワーム(本城達也)
- ジャージー・デビル(皆神龍太郎)
- モノス(本城)
- コンガマトー(小山田)
- ネッシー(本城)
- キャディ(本城)
第2章 1940~60年代のUMA事件
- ローペン(本城)
- イエティ(皆神)
- エイリアン・ビッグ・キャット(ナカイサヤカ)
- ハーキンマー(スクリューのガー助)(山本弘)
- シーサーペント(皆神)
- モスマン(秋月朗芳)
- ミネソタ・アイスマン(加門正一)
- ビッグフット(パターソン・ギムリン・フィルム)(加門)
第3章 1970年代のUMA事件
第4章 1980年代のUMA事件
第5章 1990年代のUMA事件
第6章 2000年代のUMA事件
- モンキーマン(小山田)
- オラン・ペンデク(本城)
- ニンゲン(廣田龍平)
- グロブスター(横山)
- ナウエリート(本城)
- ラーガルフリョート・オルムリン(本城)
- セルマ(本城)
有名どころが一通り揃って、満足度の高いラインナップです。
子どもの頃に並木伸一郎『未確認動物UMA大全』や、ブログ「UMAファン」の記事を読み漁っていたワクワク感を思い出します。蛇足ですが、久々にUMAファンにお邪魔したところ、今でも更新されていて感激しました。地味にネットブログの古参です。
それはともかくとして、本書は通常のUMA本と同じくUMAの目撃例や写真が紹介されていますが、それらの話にきちんと典拠が示されているのが高ポイント。当然と言えば当然の作法ではありますが、これがあるとないとでは記事全体の信頼性が全く変わってきます。
その上で本書でも懐疑的な立ち位置からUMAの正体が考察されているわけですが、捏造の場合を除けば大抵は「既知の動物の見間違い」、水上であれば加えて「波や流木の誤認」といった結論になりがちです。UMAを合理的に解釈するなら、そうとしか説明のつけようがないので仕方がない。
むしろ私はUMAの場合でも、その正体より「UMAを巡る言説」そのものに興味を惹かれます。
UMAはよくビジュアル化されて図鑑に描かれたりしますが、目撃証言をよくよく見てみると、それぞれ全く別のものを見たとしか考えられないくらいにバラバラだったりします。つまり元々は特に関係ない証言の数々が、個別のUMAの元に情報が統合されてしまい、得体の知れない謎の生物像が出来上がってしまうことがあるようです。
また、元々は在地の民間伝承上で語られる存在だった幻獣が、外部の人間(調査隊など)の眼差しから「実在する可能性のある動物」として認識され、未確認動物としての言説が形成される場合もあるようです(モケーレ・ムベンベ、コンガマトー、ツチノコなど)。こうなるとUMAと幻獣(妖怪)との区別は何なのだろうかと、本筋とは離れたことが気になってきます。
そんなこんなで本書は、資料の出典もきちんと示された価値の高い解説がなされており、「懐疑派によるUMA事典」と言ってしまっても過言ではないと思います。みんなもこれを読んで、自分だけの推しUMAを見つけよう!
ちなみに私は、確実に実在しないと断定できるスカイフィッシュや、謎めいた迫力を持つドーバーデーモンがお気に入りです。
さてこうした「オカルト懐疑本」を読んで、「夢やロマンが壊れた」とガッカリする向きも、もしかしたらあるのかもしれません。
しかし私としては、懐疑的考察の果てに残る一抹の不思議や、こうしたオカルト言説がいつまでも消えずにとめどなく出てくる現象こそが、オカルトの内にあるロマンなのだと思っています。
オカルトの真偽論争を超えたその先にあるロマンを追い求めることが、こうした「オカルト懐疑本」を読む楽しみなのだと考えながら、今日もまたオカルトの深みに足を突っ込んでいくのです。