河原に落ちていた日記帳

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【読書備忘録】堀江宗正『ポップ・スピリチュアリティ』(2019)

ポップ・スピリチュアリティ: メディア化された宗教性

ポップ・スピリチュアリティ: メディア化された宗教性

 

 あけましておめでとうございます。だいぶ経ちましたが新年一発目の記事です。

 元日の朝にテレビをつけてみたところ、NHKで「京の都を守る霊山『祈り』の道」という特集をやっており、神社仏閣の中でも特に霊験あらたかとされる場所を「あらたかスポット」として紹介していました。

 言葉こそ違いますが、要するにパワースポットですね。「最近元気が出ないのでパワーをもらいにきた」と語る参拝者の姿も放送されており、何らかの「パワー」を求めて神社仏閣に訪れる人は一般的になっているようです。

 他局の番組でも同じように、神社の「ご利益」を紹介するものがちらほらと見られ、神社や寺など宗教的なものに惹かれる人々の願望を映し出しています。

 しかしパワースポット巡りをする人々の多くは、神社仏閣などの伝統宗教に対してそれほど強い信仰心を持っているわけではありません。むしろ、パワースポットと言われる場所だけに訪れて、メインの本殿に参拝せず出ていく人すら珍しくありません。特定の神仏に関係なく、霊験のありそうな場所で何らかの超越的な「パワー」に触れることが、一番の目的となっているのです。

 このように、自身が超越的存在と繋がっているという感覚や、その感覚を得ようとする実践のことを、宗教学などでは「スピリチュアリティ」と呼んでいます。伝統宗教が退潮傾向にあると言われる現在ですが、対してスピリチュアル的な言説は今でも人気です。

 このスピリチュアリティという、世間に膾炙しつつも実態の捉えにくい「宗教的なもの」に対し、専門的に論じた著作が今回紹介する『ポップ・スピリチュアリティ』です。

〈内容紹介〉Amazon商品紹介欄より引用
江原啓之ブーム」とその後。「前世療法」と現代の輪廻転生観。「パワースポット」体験。サブカルで関心が高まる「魔術」。軽視されがちなこうした現象は、実はグローバルに連動し、日本ではテレビ、小説、アニメから、ネット、SNSへと拡散と深化を続ける。現代日本の「ポップ・スピリチュアリティ」を考える本格的研究。

 

 まず、本書の目次を挙げてみましょう。

はじめに

第1章 スピリチュアリティとは何か――概念とその定義
第2章 2000年以後の日本におけるスピリチュアリティ言説
第3章 メディアのなかのスピリチュアル――江原啓之ブームとは何だったのか
第4章 メディアのなかのカリスマ――江原啓之とメディア環境
第5章 スピリチュアルとそのアンチ――江原番組の受容をめぐって
第6章 現代の輪廻転生観――輪廻する〈私〉の物語
第7章 パワースポット現象の歴史――ニューエイジ的スピリチュアリティから神道スピリチュアリティ
第8章 パワースポット体験の現象学――現世利益から心理利益へ
第9章 サブカルチャーの魔術師たち――宗教学的知識の消費と共有

参考文献
あとがき

 ところで書名にある「ポップ」なスピリチュアリティとは何ぞや、ということですが、これはスピリチュアリティの中でも理解しやすく、実践しやすい、世間に広く受容された「人気(ポピュラー)」のスピリチュアリティ、と著者は位置づけています。こうした実践は、SNSなどで一般人自らがメディアとして情報を発信・拡散させることが特徴です。

 裾野の広いスピリチュアリティでも共通して語られるのは、「霊」というものの存在です。例えばスピリチュアル・ブームを引率した江原啓之氏は、死者の霊のメッセージを遺族に伝える「スピリチュアル・カウンセラー」として人気を集めました。

 こうした「霊」また「死後の世界」「生まれ変わり」というものに対し、人は古来より篤い関心を有し、それらの存在を説明する役割を負ってきたのが、宗教という文化でした。そういう意味では、現在のスピリチュアリティも立派な宗教と言って差し支えないように思われますが、当のスピリチュアリティ言説は、自身の宗教的な色彩をなるべく薄くしようと努める傾向にあります。

 実際に宗教としてスピリチュアリティを考えると、従来の宗教とはかなり異なる特色が多々見られます。例えば、様々な宗教の要素をいいとこ取りしてミックスさせた実践行為や、組織的な宗教団体とは反対に、個人主義的な色が強いといったことです。逆に言えばこういった点が、従来の宗教とスピリチュアリティを差別化させているわけです。

 そのためスピリチュアリティを好んでいる人でも、「霊の存在は信じるが無宗教」だという自意識を持っている場合が多いのですが、実態としては様々な宗教思想の上澄みを混合したようなもののため、如何とも言い難い胡散臭さを感じ取る人も少なくはありません。実際、SNSや匿名掲示板などのネット空間においては、スピリチュアリティに親和的な声とともに、「アンチ」的な辛辣な批判も目立ちます。

 批判意見として目立つのは、霊感商法のような胡散臭さや通常の科学を否定する態度への批判など、いわゆるカルト宗教批判とも通じる意見が多いようです。ただしパワースポット関係の批判としては、「伝統宗教に対する敬意や理解がない」など、逆に宗教性の薄さをやり玉に挙げる例も多い気がします。

 こうしたスピリチュアル界隈を揶揄する表現として、「スピ系」という言葉も時おり見られるようになってきました。近年話題になったものでは「子宮系」など、危うさを感じるスピリチュアリティも多々あることは確かです。

 ただ、カルト問題を彷彿とさせる危うい性格を持つ動きではあっても、一方でスピリチュアリティは多くの人々を惹きつけているのも確か。著者はスピリチュアリティについて、肯定・否定の価値判断を留保したなるべく中立的な姿勢で、日本におけるその展開を分析しています。

 著者は、そうした学術的なスピリチュアリティ研究書は「実は意外に少ない〔ⅺ〕」と述べています。スピリチュアリティに関する研究書自体はいくつかありますが、確かにそれに対し「ひいき目」な研究が目につくことは否めません(例えば島薗進氏など)。そうした面で言えば、本書は全体を通じてスピリチュアリティに対し非常に客観的なスタンスを保てている印象を受けました。

 その上で改めて本書全体の構成を見ると、第1章・2章でスピリチュアリティの総論を述べ、続く第3章~5章でスピリチュアル・ブームを代表する人物である江原啓之氏の手法や彼を巡る世論を具体事例として分析し、第6章からはスピリチュアリティにおける死生観やパワースポット現象など、個々のスピリチュアリティ言説について論じるという構成がとられています。

 それぞれの内容は実際に本書を読んでもらうとして、通読して特徴的に感じるのは、ネット上の書き込みが資料として積極的に使用されていることです。

 例えば第5章では、江原啓之氏を巡るファン・アンチの反応をネットニュース上の掲示板や個人ブログの書き込みを駆使して分析し、第8章ではパワースポット巡りに関する個人ブログ記事から、人々がパワースポットにどういった効果を求めているのかが論じられています。

 まさにインターネットが高度に一般化し、個人がメディアとして発信できる現在だからこその研究方法です。ネット上に転がる言説を研究資料として取り扱うには注意が必要であり、学生やその面倒を見る先生たちを悩ませる一因となっていますが、本書は研究資料としてのネットの使い方の手本を示す役割も果たしています。学生でない私も「ネットにはこうした使い道があるのか」と勉強になりました。

 本書は全体を通じて、スピリチュアリティの展開と現状を知る上での重要な情報に溢れています。スピリチュアリティは、オカルトや新宗教との根深い関係を持ちながら、従来の「宗教」への忌避から市民権を得た「個人化された宗教」と言えるかと思います。その隠しきれない宗教性から批判も絶えることがありませんが、結局のところ人は決して「科学では捉えられないもの」への憧れを捨てることはできないのです。

 スピリチュアリティに、問題は多々あります。ただ、スピリチュアリティを「怪しげなもの」として忌むにしても、そうしたものが市民権を得るにはやはりそれなりの背景があると考えなくてはなりません。

「スピリチュアル」な生き方に惹かれる人も、あるいは「スピ系」の広まりに危機感を覚える人も、その社会的・文化的な位置づけを確認することに意義はあるだろうと思います。その最新の見取り図を、本書は描き出しているのです。