河原に落ちていた日記帳

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【読書備忘録】横山茂雄『聖別された肉体』(1990)

 第二次世界大戦中、ナチズム下のドイツでは人種主義が極端に推し進められ、多くのユダヤ人が迫害・虐殺された……という事実は、わざわざここで言うまでもなく世界史の一般常識となっています。たまに否定したげな人もいますが。

 ナチスによる負の遺産は相当なものだったため、今でもナチスまたはヒトラー関係の書籍は数多く出版されています。それだけに内容は玉石混交で、オカルト的なネタとして消費されることも多いですが(ヒトラーの予言とか)、実際にナチスとオカルティズムは決して無関係ではなかったのです。

 本書はナチズムが台頭してくる時代において、オカルト的な思想がいかに人種主義と接合され、フェルキッシュ(民族至上主義的)な思想や反ユダヤ主義が形成されていったかを丹念に追った、オカルト研究史上の名著です。1990年の原著刊行以来、長らく入手が難しくなっていましたが、今年になってめでたく再刊され、容易に手に取ることが可能になりました。

《内容紹介》※創元社公式HPより引用
ナチ・オカルト研究の名著、ついに増補再刊

 現在においても、公認文化から排斥され、深層に抑圧された無意識的な概念の表出する舞台であるオカルティズム。
 それは近代ヨーロッパにおいて社会ダーヴィニズムと接合し、とりわけナチ・ドイツにおいて、フェルキッシュな人種論として先鋭化、ついには純粋アーリア=ゲルマン人種のホムンクルスを造らんとする計画が「生命の泉」で実行に移されようとするまでに至った。
 ヨーロッパの底流に流れるそのオカルティズムの全体と本質を初めて明らかにした幻の名著がついに増補再刊。

 

 本書はオカルティズムに関わる多くの人物が紹介されているほか、ただでさえ複雑怪奇なオカルト思想が嫌というほど取り上げられており、内容の濃さでなかなか読むのに難儀しますが、この方面に興味のある方には必読の書です。目次は以下の通り。

第1章  ウィーン=バビロン
第2章  鉤十字の城
 1 ランツの『神聖動物学』
 2 ヒトラーと『オースタラ』
 3 「新聖堂騎士団
 4 アリオゾフィの展開
第3章  根源人種の彼方に
 1 オカルト・リヴァイヴァルと神智学協会
 2 ブラヴァツキーの『秘奥の教義』
 3 人と獣の交合
 4 ユダヤ人とチャンダーラ
 5 反ユダヤ主義とオカルティズム
 6 帝政末期ロシアのオカルティズム
第4章  予言者たち
 1 『神智学とアッシリアの獣人』
 2 独墺における神智学の展開
 3 リストの「アルマーネンシャフト」
 4 「北極」の白色人種
 5 「リスト協会」の設立
 6 シュヴァービングとアスコーナ
 7 ヘッケルの唯物論的一元論[モニスムス]とフェルキッシュ思想
 8 「血はまったく特製のジュースだ」
第5章  ナチ出現前後
 1 「トゥーレ協会」の影
 2 ゼボッテンドルフと右翼政治運動
 3 ゴルスレーベンと「エッダ協会」
 4 アリオゾフィの復興
第6章  「二十世紀の神話」
 1 弾圧されるオカルティズム
 2 ローゼンベルクと「北方」のアトランティス
 3 人種論と性的妄想
 4 親衛隊大佐シュヴァルツ=ボストゥニッチュ
 5 オカルト人種論とナチ人種論
 6 「新たなる貴族」の育成
第7章  「祖先の遺産」
 1 ヒムラーとオカルティズム
 2 アーネンエルベと宇宙氷説
 3 ヴィリグート、親衛隊のラスプーチン
 4 「聖杯の城」ヴェーヴェルスブルク
第8章  ホムンクルスの流産
 1 「生命の泉」
 2 優生学の悪夢
 3 オカルト人種論という暗渠

附録
 Ⅰ 歪んだ性意識――ヴァイニンガー、シュレーバー、ランツ
 Ⅱ 玄米、皇国、沈没大陸
 Ⅲ J・ランツ=リーベンフェルス博士『神智学とアッシリアの獣人』(抄)

 まず初めに述べておくべきなのは、本書で扱う「オカルティズム」について最も大きな影響を与えた思想が、やはりあの神智学という宗教体系であるということです。

 神智学について概要はこちらに書いていますが、これはブラヴァツキー夫人という人物が19世紀後半に創始した宗教運動で、東西の様々な宗教思想と、当時世間に衝撃を与えていた生物進化論とを無理やり組み合わせたものです。神智学の世界観によれば、人間はかつて霊体のみの存在だったのが進化の果てに肉体を獲得し、その後霊性を絶えず進化させていく「神人」と、堕落して獣と交わり霊性を退化させていく「獣人」とに分かれたというのです。

 一見して分かるように、この論理は容易に民族至上主義や人種差別思想へと接合されます。例えば「我々アーリア人は神へと至る神聖な民族であるが、ユダヤ人は獣姦によって生まれた人種であり、人間ではない」というように。

 そしてこの神智学的観念は、実際に20世紀ヨーロッパに様々な形で広まり、グロテスクで妄想的な人種主義が知識人の間にじわりじわりと広がっていったのです。

 そのなかで一際重要視される人物が、アドルフ・ヨーゼフ・ランツ(1874-1954)なるウィーン生まれの男です。彼は修道院で生活していた青年時代から、どういうわけか正統的なカトリック思想から逸脱し、反ユダヤ主義者としての道を邁進します。

 ランツは1905年に刊行した『神聖動物学』で誇大妄想的な人種論を披露し、同年に『オースタラ』という雑誌を創刊してアーリア人至上主義かつ反ユダヤ主義を社会に問いかけていきます。やがてその教説は、「アリオゾフィ」(アーリアの叡智を表す造語)と称されるようになります。

 その具体的な内容というのは、簡潔にまとめるのがすこぶる困難なので実際に本書を手に取って頂きたいのですが、要は上に見た神智学思想の焼き直しです。つまり、世界を統べるべきは神聖民族であるアーリア人(=ゲルマン人)であり、それ以外は猿と同様の劣等人種である……という調子。この単純な差別思想の上に、超古代史や疑似科学などが覆い被さり、複雑怪奇な世界観が形作られているのです。

 オカルト言説は、その他諸々のオカルト言説と混ざり合い、常識では到底理解しえない不可思議な論理となっていくのが常です。ランツの思想もその末にできた誇大妄想的な主張なのでしょうが、重要なのはこの妄想がランツ個人だけのものではなく、当時の人々の一部に共有された意識であった、ということです。著者の言うところでは、「ユダヤ人を初めとする諸民族に圧倒され呑み込まれてしまうという危機感、恐怖を覚えていたオーストリア=ハンガリー帝国の一部のドイツ人にとっては、自分たちをとりまく環境を「地獄」だとするランツの叫びは決して無縁ではなかった〔p28〕」。

 そうした精神史的背景も相まって、ランツの思想は同時代の反ユダヤ言説の中で大きな反響を得るようになっていきます。そしてアリオゾフィはドイツやオーストリアを中心に支持者を集め、ついにはナチズムの源流の一端を成すまでに至るのです。

 ナチスの前身であるドイツ労働者党は、更にその前段階の「トゥーレ協会」なる半秘密結社を母体として生まれた団体でした。トゥーレ協会とはルドルフ・フォン・ゼボッテンドルフ(1875-1945)という人物によって1918年に創設されたアーリア至上主義・反ユダヤ主義団体でしたが、彼らの主張する内容には明らかにアリオゾフィからの影響が見て取れるのです。

 これをもって「ナチズムはオカルトだ!」と言いたくなるのが人情ですが、そこまで話は単純ではありません。実のところナチスは体制的にはアリオゾフィ含むオカルティズムを否定・弾圧しており、組織的なオカルト運動や文章の発表が禁じられていました。国家としては、どう見ても非理性的・非常識的なオカルティズムを許容することはできなかったのです。

 しかしその一方で、ナチス指導者の中には個人的にオカルティズムへ傾倒していたものがいることは看過できません。ナチス親衛隊国家長官、ハインリヒ・ヒムラー(1900-45)がその代表的な人物です。

 ヒムラーナチスの高官として忠実に働きながらも同時に、ヒトラーに釘を刺されるのも構わずオカルティズムへ傾斜していた人物で、アリオゾフィ的なアーリア=ゲルマン人至上主義はもちろん、民間療法や心霊術などありとあらゆるオカルトへの興味を隠しませんでした。彼がアーネンエルベというナチスお抱えの研究機関を牛耳った際には、ゲルマン民族の至高性を明らかにするために常軌を逸した様々な実験が行われ、生体実験では多くの血が流されました。

 最終章では、ヒムラーが画策していた恐るべき計画について言及されています。その計画というのは、彼は「生命の泉」協会という組織を使って、植物や家畜を繁殖させるのと同じように「純粋なゲルマン人」を「繁殖」しようとしていたのだ、と。

 この計画が実行に移されたかどうかは定かでないのですが、著者は「少なくとも実行の瀬戸際にまできていた可能性は強い」と見ています。「高潔な民族」を選び出し、増やし、世界を統治するという、オカルト人種論また優性思想のないまぜとなった歪な欲望が、少なくとも実行されようとしていたという史実は、下手なディストピア小説よりもよほど背筋の冷たくなる事実です。

 手軽なコンビニオカルト本で見るような、ナチスとオカルトを安易に結びつける言説には賛同しませんが、ナチズムには合理的な面と非合理的な面が共存していたことは否めません。

 しかしその非合理的な一面だけを切り取り、「トンデモないことを考えていた奴らがいるもんだナァ」と人ごととして受け取るのでは意味がありません。事実日本でも、ナショナリズムを拗らせてオカルトへ走った人々は数多く存在するのですから。

 著者はオカルティズムという非合理的な営みが存在する意味を、以下のように述べます。

 オカルティズムとは世界を非「正統的」な方法で認識・再編しようとする試みである。そのとき、オカルティズムは、ある意味で、「正統的」世界認識によって抑圧された私たちの無意識の欲望を映し出す鏡として、その欲望を保存し、あるいは肥大化させる容器としても機能する。〔p238〕

「正統的」世界認識によって抑圧された欲望が、表に出てくるに伴い段々と肥大化していった結果が、アリオゾフィでありナチズムの一源流だったのでしょう。日本で言えば平田篤胤の教説や『竹内文献』を始めとするウルトラナショナリズムかもしれないし、更に近年の例で言えばオウム真理教の事件だったかもしれません。

 人間は皆、何らかの形で社会からの抑圧を受けます。それに対抗する形で表出するものの一つがオカルトであるなら、この世からオカルトが消えてなくなることはないのだと思います。

 そのためオカルト自体が悪いとは、私は言うことができません。しかし一歩足を踏み間違えれば、安易に差別主義などに転がり込んでしまう危険性をはらんでいることは認識しておくべきだと考えるのです。

 アリオゾフィ、そしてそれに続くナチズムは、その危険性を歴史でもって証明してしまったのかもしれません。