河原に落ちていた日記帳

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【読書備忘録】吉村正和『心霊の文化史』(2010)

心霊の文化史---スピリチュアルな英国近代 (河出ブックス)

心霊の文化史---スピリチュアルな英国近代 (河出ブックス)

 

 テレビの心霊番組やネット怪談なんかを眺めていると、よく「地縛霊」や「浮遊霊」なる単語を目にします。

 怪談業界ではなんとなく当たり前のように溶け込んでいますが、実はこれらは「心霊主義Spiritualism)」というヨーロッパ発祥の思想運動から生まれた言葉で、日本には近代以降に輸入された比較的新しい概念です。70年代のオカルトブーム以降、通俗的なイメージで一般に浸透するようになったと考えられます。

 心霊主義とは、要するに「人間の霊魂は実在する」という考え方のこと。死者の魂と交信する降霊会や催眠術などとの関りなど、オカルトネタの元祖的なイメージの強い思想ですが、かつては学問や社会思想に大きな影響を与える一大潮流でした。

 本書は心霊主義の勃興と、その時代を読み解く一冊です。

〈内容紹介〉Amazon商品紹介欄より引用
 心霊主義と一口に言っても、降霊会、骨相学、神智学など、その裾野は広い。当初は死者との交信から始まった心霊主義だが、やがて科学者や思想家たちの賛同を得ながら、時代の精神へと変容を遂げ、やがて社会改革運動にまで発展していく。本書では心霊主義の軌跡を追いながら、真のスピリチュアルとは何かを検証する。

 

 本書を読んだ後にWikipedia心霊主義の項目を見たところ、かなり充実していて驚きました。教育の現場では蛇蝎の如く忌み嫌われるWikipedia先生ですが、項目によっては辞典に引けを取らないくらい内容の濃い記述がなされていたりするので侮れません。ちなみに参考文献の一つとして本書が挙げられています。

 心霊主義のあらましについてはWikiに目を通せば正直十分だと思うのでそれを見てもらうとして、まずは本書の目次から構成を見てみましょう。

はじめに

序章  心霊主義の誕生
ハイズヴィルの心霊主義/降霊会の流行/ハイズヴィル事件の社会背景

第1章 骨相学、人間観察、催眠術
骨相学の創始者たち/『人間の構成』と骨相学の体系/アメリカの骨相学/骨相メスメリズム

第2章 心霊主義と社会改革
オーウェンの社会改革/オーウェンと骨相学/社会改革と心霊主義オーウェン共同体とシェーカー共同体

第3章 神智学とオカルト
神智学協会の創設/マハトマの登場/神智学の霊的進化論/ウォレスと心霊主義モダニズム芸術と神智学―イェイツとカンディンスキー

第4章 心理学との融合
心霊研究協会の創設/マイヤーズと心霊主義/潜在意識とテレパシー/ユング心霊主義

第5章 田園都市心霊主義
ハワードの田園都市/神智学的回心と田園都市/「ショーの理想都市」/田園都市の建設

おわりに
あとがき
参考文献

 本書は1840年代のアメリカ・ニューヨークで起きた「ハイズヴィル事件」から幕を開けます。これはハイズヴィルという鄙びた小さな村に住んでいた家族、フォックス姉妹が、ある日を境にラップ音で心霊と交信しはじめ、大きな話題を呼び起こしたという事件です。

 後に三姉妹のうち2人がトリックを暴露しましたが、その話題性は滞ることを知らず、現在では「スピリチュアリズムの先駆者」と位置付けられるほどの影響を西欧に及ぼします。*1

 現代的な霊能力者の元祖として有名なフォックス姉妹ですが、著者はこの事件を取り巻く歴史的な環境を探ることで、心霊主義の勃興する社会背景を炙り出しています。

 心霊主義は、親しい身内の死による悲哀と自分自身の死への不安という根本的な悩みに答えるという目的をもっていた。(中略)本来このような恐怖や不安に答える立場にあった教会や聖職者は、一八世紀の啓蒙主義以降は徐々に権威を失って退潮傾向にあり、人々は古い神話ではなく新しい神話を必要としていたのである。〔p22〕

 心霊主義の流行の理由として、産業革命以後の急速な文明化の影響を受けて生まれた宗教的・精神的な枯渇状態を挙げることができる。心霊主義は、それまでキリスト教が占めていた隙間に入って、精神的な不安を癒す代用宗教として登場する。〔p23〕

 科学万能の時代が、逆に非科学的な心霊主義を流行させることになった。

 この言い回しは間違いではないでしょうが、同時代の目線に立つと、心霊主義は当時の科学と密接に結びついて広まっていった一面が見えてきます。

  本書では心霊主義の思想史的な意義を、⑴骨相メスメリズム ⑵社会改革 ⑶神智学 ⑷心理学 ⑸田園都市、という5つの切り口から迫っていきます。

  第1章の「骨相学」とはあまり聞き慣れない単語ですが、これは個人の性格・人格が頭蓋骨の形状で決定される、という考え方です。現在では根拠に乏しい疑似科学として忘れ去られていますが、19世紀西欧においては正当な「科学」として受容されていました。

 骨相学は、個人の性格は特定の器官によって形成されるものであり、神のような超越的存在の意志で決定されるものではないと提起したことで、近代以降の宗教の在り方を根元から問い直す主張となった、と著者は言います。その上で骨相学は、人の性格は個人の努力により改善できるという発想を持ったことで、「自己宗教の先駆的な形態を示している〔p50〕」と位置付けられます。

 また骨相学は、目に見えない人間の精神を定量化できるという点で、精神世界への興味を惹きたてることになりました。ここにも自己宗教としての萌芽が見て取れます。

 とは言え骨相学はあくまで自然科学として発展したものですが、ここに「メスメリズム」という別の潮流が混ざり込むことで、心霊主義と合流する起点となりました。

 メスメリズムとは、宇宙に充満する「磁気流体(動物磁気とも)」を操作することにより様々な病気治療が可能になる、という説のこと。何だかよく分かりませんが、とにかくこの目に見えない力を操作するという点が、後の催眠術へと繋がっていきます。

 これが骨相学と合流し、催眠術と骨相学をミックスした「骨相メスメリズム」が誕生。医師が患者を催眠状態にしてから、骨相学の理論で精神治療を行うという手法が開拓され、人間精神を人為的に操作する可能性を提示しました。これが降霊会のパフォーマンスに流用されるなど、心霊主義との関わりを強めていきます。

 ちなみにこの当時は技術革新の時代で、労働者階級の困窮化、都市環境の悪化などにより社会主義が台頭してきた時期です。こうした動きの中、降霊会に実際に参加した思想家・社会活動家が心霊主義と骨相メスメリズムをない交ぜにした精神性を受け継ぎ、社会主義的な理想社会を目指す社会改革運動が活発化します(第2章・第5章)。

 

 ところで骨相学は、疑似科学とは言え当時では立派な科学であったわけですが、心霊主義が露骨にオカルトと結び付いた例が第3章で挙げられる「神智学」です。

 神智学とはブラヴァツキー夫人によって創立された一種の新宗教と言えるもので、「神秘的直観や思弁、幻視、瞑想、啓示などを通じて、神とむすびついた神聖な知識の獲得や高度な認識に達しようとするもの」です。あまりに難解で自分には理解不能だったので、概要はWikipedia先生に頼ってしまいました。*2

 ブラヴァツキー夫人は元々降霊会の霊媒としても活動していた女性で、神智学も心霊主義の影響を色濃く受けていると言っていいでしょう。結局、神智学は霊魂観の違いから心霊主義と袂を分かつため、心霊主義の「分派」と見ても間違いないかもしれません。

 神智学の思想はちょっと難解過ぎて自分にはとても着いて行けませんでしたが、思想の根幹に「人間の霊的進化」を目指すという目的があることは確かだと思います。これは同時代に現れたダーウィンの進化論に影響を受けたものですが、個人の精神を「高次の自我」へと進化させるという発想は、形を変えながらも確実に現在の「スピリチュアル」にまで連綿と受け継がれています。

 このように心霊主義自体が多分にオカルト的な要素を持っているので、現代のオカルト文化へ強い影響を与えたことは頷けますが、逆に現在でも正当な科学と見なされている心理学も、心霊主義の影響で発展した分野の一つです。

 心理学も骨相学と同様、個人の性格を可視化できる側面から、自己宗教へと繋がる余地を持っていました。そこへ降霊会などを経験した心理学者たちが、「深層心理」という人間精神の深淵を探求する流れを作っていくのです。集合的無意識論を展開したことで有名なユングも、本質は心霊主義や神智学にかなり接近していた人物であったことはよく知られています。

 

 本書では以上の如く、心霊主義という一つの潮流が社会に与えた影響が幅広く論じられ、複雑なその余波の一端を窺えます。心霊主義とその時代を概観した上で著者は、心霊主義は近代に登場した自己宗教の一形態であると論じます。

 一九世紀は帝国主義社会主義の時代であり、イギリスはそのいずれにおいても主導的な役割を果たしていた。大英帝国の成立により世界のいたるところに植民地を築いていたが、国内では産業革命の進展とともに労働環境が悪化し、社会主義と労働運動が進展する。加えて、近代自然科学は日進月歩の勢いで発達し、人々の生活は数十年単位で変貌していく。伝統的なキリスト教の退潮は前世紀よりさらに切実なものとなり、進化論の登場は決定的な打撃を与えることになる。心霊主義は、この近代後期に登場した自己宗教の一つと理解すべきである。〔p214〕

 近代合理主義や社会主義が台頭する中、伝統的な宗教は影響力を失い、やがて「個人の内面において一人ひとりが聖性を探求するという自己宗教が模索され、心霊主義、神智学、ユング心理学などが誕生した〔p214〕」。

 心霊主義とは、科学万能の時代に生まれた非科学的な動きの一つでした。それは様々な思想や運動、学問と結び付くことによって、間接的に現在まで影響を及ぼことになったと言えます。

 内容的にはかなり難解な部分もあり(特に第3章の神智学)、オカルト史ビギナーな私では議論に着いて行けない箇所もありましたが、オカルトの歴史はもちろん、近代西欧の思想の深みを知るのにも必読の書だと思います。

*1:フォックス姉妹については、本城達也氏によるこちらの記事などを参照のこと

*2:余談ですが、Wikipediaの神智学の項目もかなーり充実してます。