河原に落ちていた日記帳

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【読書備忘録】松尾恒一『日本の民俗宗教』(2019)

日本の民俗宗教 (ちくま新書)

日本の民俗宗教 (ちくま新書)

 

「日本人は無宗教だ」という言い方がよくなされます。

 しかし実態としては、「無宗教」の自意識を持っている人でも普通に神社やお寺に参拝するし、地域のお祭り見物にも行くし、国内に住んでいる人なら基本的にはどこかの神社の氏子という扱いになります。

 言ってしまえば日本人には、宗教とは意識せずに宗教的な実践を行っている人が多々いるわけです。そうした「意識しない当たり前の宗教」は、多くの場合「日本独自の伝統」という言説の中に取り込まれていきます。

 しかし「伝統」と聞くと遥か昔からあるように思えてしまいますが、どんな文化であっても何らかの歴史的な背景から生まれてくるものです。本書は、現在当たり前のように社会に溶け込んでいる宗教や宗教的実践=民俗宗教がどのような歴史的な展開から形成されたのか、通史的に論じたものです。

〈内容紹介〉Amazon商品紹介欄より引用
「日本独自の文化・伝統」はどのようにして生まれたのか。天皇のもと稲作中心に営まれた古代日本社会に、中国大陸から仏教が伝来して以降、さまざまな文化との交流、混淆、対立が繰り返される。大嘗祭祇園祭り、盆踊り、元寇ねぶた祭り南蛮貿易、寺請制度、かくれキリシタン。古代から現代まで、数々の外来の文化の影響を受けて変容し形成された日本の民俗宗教を、歴史上の政治状況、制度の変遷とともに多角的に読み解く。

 

 著者の松尾恒一氏は、芸能史や民俗宗教を主要な研究テーマとしている民俗学者です(参考リンク)。

 その上で『日本の民俗宗教』という書名を見ると、様々な民間信仰や年中行事、祭礼といったものを横並びにして、それぞれの由来や展開などを紹介する本をイメージするかもしれませんが、本書はそうではありません。日本の歴史という縦軸を基準として、それぞれの時代の宗教に関わる話題が論じられているのです。

 言うなれば「日本民俗宗教史」と評すべき内容であり、民俗学関連の本としては新鮮な印象を受けました。(そもそも民俗学者が書いているからと言って「民俗学の本」と言ってしまっていいのかどうか分かりませんがまぁいいや)

はじめに

Ⅰ  仏教伝来と天皇【古代】

第一章 仏教伝来以前――天皇と稲の祭り
 1.一年のはじまりはいつ?
 2.国家儀礼としての稲の祭り
 3.門松は何のため?――収穫祭と正月の始まり
 4.天皇と稲の祭り――祈年祭新嘗祭大嘗祭
 5.天皇と祭祀を行う宗教者、呪術者

第二章 鎮護国家の仏教と列島の景観
 1.仏教伝来
 2.転輪聖王の思想と国家統治
 3.列島の里山の景観を作った国家仏教

Ⅱ 浄土への希求、国難と仏教・神道神道

第三章 民衆の仏教への変容
 1.平安京と都市祭礼の誕生
 2.浄土への願い
 3.因果応報の思想と遊行の宗教者・芸能民

第四章 中世の仏教、神仏習合と八幡信仰
 1.神仏習合――仏と神との出会い
 2.本地垂迹の思想とかたち
 3.国難により高揚する八幡信仰
 4.海と八幡信仰

Ⅲ キリスト教と仏教東漸【近世】

第五章 日中・日蘭交易と信仰――江戸時代の文化
 1.ヨーロッパの大航海時代と日本・中国――変わる国際秩序と信仰、儀礼
 2.媽祖信仰と黄檗宗――新たな仏教東漸

第六章 キリスト教の衝撃
 1.南蛮貿易キリスト教
 2.魅惑の南蛮文化
 3.キリシタン禁令と鎖国、寺請制度
 4.かくれキリシタンの受難と解放

Ⅳ 伝統となった「民俗文化」【近代】

 終章 民俗宗教――「文化財」への道
 1.明治政府の宗教政策と芸能
 2.地域文化が「日本文化」となるまで――第二次世界大戦以前
 3.近代の都市祭礼と熱狂、乱闘――ねぶたの場合

あとがき

 著者は民俗宗教のことを、「理由を説明されずとも、日本に生まれ育った人であれば、多くの人々が感じるであろう安心感や納得感、また家族や地域において、人々と思いを共有する幸福感に支えられた慣習的な営み〔p9〕」と表現しています。

 すなわち、毎年正月やお盆には実家に帰って神棚や仏壇に手を合わせたり、神社のお祭りの喧騒に湧いたり、といったことですが、こうした一見当たり前になっている宗教的な営みがどのように形成されたのか、歴史的に明らかにすることが本書の目的になります。

 本書で強調されるのは、そうした「伝統」が昔から変わらずあったということではなく、国内政治の動きや海外からの影響などにより絶えず変化しながら形作られてきた文化的な所産であるという、文化のダイナミズムです。

 特に日本の宗教への影響が大きかった出来事として位置付けられてるのが、仏教伝来とキリスト教との接触という、外世界からの波です。

 農耕儀礼を基礎とした神祇信仰が定着した古代社会に、仏教という海外の宗教が導入され、従来の信仰との葛藤や混淆を経て、神祇と仏教が併存する日本的な信仰が形作られた。そして西洋世界からやって来た全く新たな宗教、キリスト教との接触とその排除を経て、列島に住む全ての人々が仏教寺院の檀家となる寺請制度が整備され、庶民と寺院との結びつきが強化された。今日の「民俗宗教」の形成を巡る歴史が、以上のように整理されています。

 もちろん現在継承されている文化は、実際には上で大まかに述べたような一直線の歴史を辿っている訳ではなく、様々な分岐や歴史の重なり合いを経た複雑な歴史を背負っています。

 それを示すかのように、本書の記述も古代から現代へと一直線には進みません。節分の起源である追儺の話題からサンタクロースの話に飛んだり(Ⅰ部第一章3節「サンタクロースは福の神?」)、中世芸能者の話題から宇多田ヒカルの母親の生い立ちが語られたり(Ⅱ部第三章3節「瞽女の旅と芸能」)など、時間軸が縦横無尽に飛び回ります。

 一見記述が整理されておらず混乱する印象を受けるかもしれませんが、民俗宗教の歴史的な重層性を象徴する構成であるとも言えます。

 そうして日本の歴史から現代の信仰・文化に関わる話題を通覧した上で、現在「伝統的」と思われる文化が、実際には常に政治や諸外国との接触などの影響を受けながら形成されており、むしろそうした文化の動態が日本の「伝統」を作り上げてきたのではないか、と著者は主張しています。

 民俗に限らず「日本の歴史」や「日本の文化」が語られる際、島国である日本の独自性・特殊性という文脈からそれらが論じられることは今でも多くあります。しかし近年では、日本列島を海で閉鎖された空間ではなく、世界を構成する一つとして日本を捉え、世界的な視野から歴史・文化を論じる向きも目立ちつつあると思います。

「民俗」の話題でも、とある信仰や祭礼、慣習を取り上げて「古くから伝承された日本の心」と素朴に語る向きは今でも根強くあります。しかし本書は、日本の民俗も常に海外との接触によって変容する歴史的な産物なのだと明らかにしています。そういう点でも、本書はいい意味で「民俗(学)の本」としては新鮮に感じました。

 個人的な希望としては、本書の主眼は明らかに前近代にあるため近現代の記述が薄く、近代における宗教政策や文化の変容についてもっと厚く論じてほしかったという感想はあります。しかし「民俗宗教」の主題を通史という大きな枠組みで描いた本書は、きっと民俗学にそう馴染みのない層にも取っつきやすい新書であると思います。