河原に落ちていた日記帳

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【読書備忘録】『近現代日本の民間精神療法』(2019)

近現代日本の民間精神療法: 不可視なエネルギーの諸相

近現代日本の民間精神療法: 不可視なエネルギーの諸相

 

「疑似医療」や「ニセ医療」などと呼ばれる界隈があります。病院や医院で診てもらうようないわゆる通常医療とは区別されるものですが、しれっと普通の療法のような顔をして世間に浸透していることもあり、時おり話題に上がってきます。

 正直私は医学について全く不案内なので、医学的なエビデンスのある医療と全く無いものとの区別がさっぱりつかないのですが、恐らくニセ医療はそうした層の需要を見込んでいるのでしょうね。

 紛らわしいものも色々ありますが、こうした世界の中にはいわゆる「手かざし」や気功治療など宗教的な要素の強いものもあり、それらは近代日本において「霊術」や「精神療法」などと呼ばれました。これらの民間医療は、医学と宗教の狭間を漂いながら、通常医療の間隙を縫う形で近代医学史の中に根強く存続してきました。

 本書は近代以降、西洋科学が急速に広まっていった日本社会において、どのような民間医療が誕生し発展していったのか、その諸相を明らかにする論文集です。

〈内容紹介〉国書刊行会公式HPより引用
 大正時代には霊術・精神療法と呼ばれる治療法が流行し、最盛期の施術者は三万人ともいわれる。暗示、気合、お手当、霊動などによる奇跡的な治病だけなく、精神力の効果を示すための刃渡りのような見世物的危険術や、透視やテレパシー、念力のような心霊現象が彼らのレパートリーであったが、最終的には健康法、家庭療法、新宗教へと流れ込んで姿を消していった。
 本書は、さまざまな領域に姿を現す民間精神療法の技法と思想の系譜をひも解き、歴史研究の基礎を構築することを目指す。
(中略)
 明治以降のグローバリズムの波を受けて流入したエネルギー概念や心身技法に、日本の伝統的宗教技法が混じりあって生み出された民間精神療法は、〈呪術の近代化〉という点で西洋の近代オカルティズムに相当し、〈催眠術の呪術化〉という点ではアメリカのニューソート運動と並行する。しかも、それらはグローバルオカルティズムという輪の中につながっていたのである。その全体像をさまざまな視点から横断的に描く、初の本格的論集。

 

 それでは本書は、どういった民間精神療法が論じられているのでしょうか。まずは目次を引用してみましょう。

序論(吉永進一

Ⅰ 流入する科学的エネルギーとヨーガ

  • 第一章 物理療法の誕生—不可視エネルギーをめぐる近代日本の医・療・術(中尾麻伊香)
  • 第二章 松本道別の人体放射能論—日本における西欧近代科学受容の一断面(奥村大介)
  • 第三章 ウィリアム・ウォーカー・アトキンソン別名、ヨギ・ラマチャラカ(フィリップ・デスリプ、佐藤清子訳)

Ⅱ 産み出す〈気〉と産み出される〈思想〉

  • 第一章 政教分離・自由民権・気の思想—川合清丸、吐納法を以て天下国家を平地す(栗田英彦)
  • 第二章 玉利喜造の霊気説の形成過程とその淵源—伝統と科学の野合(野村英登)
  • 第三章 霊術・身体から宗教・国家へ—三井甲之の「手のひら療治」(塚田穂高
  • 第四章 活元運動の歴史—野口整体の史的変容(田野尻哲郎)

Ⅲ 還流するレイキ

  • 第一章 大正期の臼井霊気療法その起源と他の精神療法との関係(平野直子)
  • 第二章 臼井霊気療法からレイキへ—トランス・パシフィックによる変容ジャスティン・スタイン、黒田純一郎訳)
  • 第三章 「背景化」するレイキ—現代のスピリチュアル・セラピーにおける位置づけ(ヤニス・ガイタニディス)

Ⅳ 民間精神療法主要人物および著作ガイド(栗田英彦・吉永進一
第一章 萌芽期    1868~1903年
第二章 精神療法前期 1903~1908年
第三章 精神療法中期 1908~1921年
第四章 精神療法後期 1921~1930年
第五章 療術期    1930~1945年

あとがき(吉永進一

 聞いたこともない人名や単語がたくさん出てきますが、とりあえず「なんか凄そう」ということは分かります。多分こうした話題が好きな人はよく知っているのでしょうが、にわかオカルトファンである私にはよく分からん世界です。

 しかし一口に「民間精神療法」と言っても、具体的にどういうものがあるのか。とりあえず、序論の表2「民間精神療法の時代区分と特徴」〔p13〕から、療法や概念の名称を抜き出してみました。

惑病同源論、気合術、無病長生法、催眠術、精神霊道、養気療法、静坐法、霊気・邪気説、息心調和法、心身修養療法、太霊道、気合術、人体ラジウム、ヨガ呼吸法、霊掌術、整体・プラナ療法、霊気療法、カイロプラクティック、電気療法、指圧、藤井物理療法、手のひら療治、etc,etc…

 聞き覚えのある単語が「催眠術」「ヨガ」「指圧」くらいしかないのですが、大まかにまとめるならば「精神的(霊的)な不可視のエネルギーによって身体の治療を行おうとする療法」とでも言えばいいのでしょうか。どうなんでしょうね。

 兎も角も本書の「序論」では、これら民間精神療法の戦前までの歴史が概観されています。民間精神療法の近代初期における萌芽としては、宗教的な実践行為(禅など)が宗教の文脈から離れ、医療的な治療法として用いられるようになったことが挙げられます。また催眠術など、海外における実践の紹介が始まったのもこの時期です。

 明治後期は福来友吉の「千里眼事件」に象徴されるように、心霊研究に大いに関心が寄せられていた時期ですが、同時期に民間精神療法は最盛期を迎えたとされており、規模の大きな治療団体が出現して独自の宇宙論的な教理体系を形成しました。

 しかし第一次大本事件(1921)などの発生でブームが沈静化したのち、民間療法界には代わって指圧や整体などの物理的な療法が勢力を伸ばしていきます。一方で精神療法の技法は、生長の家など宗教周辺に存続することになった、と整理されています。

 近代と言えば西洋科学に基づいた合理主義が広まった時代だというイメージがありますが、一方でその周辺にオカルト的な思想や言説もまた盛んに広まった時代でした。19世紀末、放射線や電磁波などといった「不可視のエネルギー」の発見により、「目に見えない力が人の内にもあるのではないか」という発想に現実感が与えられていたという状況も手伝ったでしょう。

 こうした時代背景の中で誕生した民間精神療法の多くは、歴史の紆余曲折の中に姿を消していったわけですが、現在においては宗教の周縁的な立ち位置にあるスピリチュアルの一要素として、その思想や実践が生き残っていると言えそうです。

 いまだ研究の手が深くまで及んでいない民間精神療法という世界の、ほんの一断面が本書を通じて明らかにされています。

 第Ⅰ部「流入する科学的エネルギーとヨーガ」では、海外から輸入された当時における最新の概念が、精神療法界にどう受容されていったかが述べられます。第三章で論じられる、通俗的ヨーガを世界中に広めたアメリカの著述家、ウィリアム・ウォーカー・アトキンソン(筆名:ヨギ・ラマチャラカ)の評伝は脱帽です。

 第Ⅱ部「産み出す〈気〉と産み出される〈思想〉」では、外来の概念を吸収した精神療法がいかなる思想的な発展・変容を遂げていったかが論じられます。

 そして私が本書の白眉だと思っているのが、第Ⅲ部「還流するレイキ」です。ここでは、「レイキ」という精神療法の形成・発展過程が3つの論考に渡って論じられています。

 レイキとは「霊気」のことで、臼井甕男(ウスイ ミカオ)という人物が大正期に創始した精神療法です。臼井本人に関する史料はあまり残されておらず、彼自身の持っていた思想も具体的にはよく分かっていないようですが、彼の弟子がレイキという療法を(変更を加えつつ)語り継ぎ、それは海を渡って遥か日本を離れたアメリカで独自の発展を遂げることとなりました。

 第Ⅲ部第一章では、レイキが考案された当時の精神療法の状況からその形成過程が考察され、続く第二章では海外で普及する際になされた「翻訳」により、レイキがどのように変容したかが述べられています。最後の第三章では、アメリカで広まったレイキが日本に逆輸入され、いかにスピリチュアル文化に受容されたかが論じられます。

 私はこれまでレイキというものについて全く知りませんでしたが、試しに「レイキ」で検索をかけてみると、日本における様々な実践者がヒットし、かなり有名なセラピー文化の基盤となっていることが分かります。一つの文化が広まり、そして変容していくモデルとして、非常に興味深い世界が垣間見られました。

 そして最終部の第Ⅳ部、民間精神療法主要人物の資料集にも注目したいところ。紹介されている人物は以下の通り。

第一章:萌芽期(1868~1903)

原坦山/川合清丸/釈宗演と鈴木大拙井上円了/ジョン・B・ドッズ/近藤嘉三

第二章:精神療法前期(1903~1908)

岡田虎二郎/藤田霊斎/加藤咄堂/木原鬼仏/五十嵐光龍/桑原俊郎/小野福平/品田俊平/古屋鉄石/村上辰午郎/竹内楠三/渋江易軒/玉利善造/濱口熊獄

第三章:精神療法中期(1908~1921)

檜山鋭/横井無憐/肥田春充/平井金三/忽滑谷快天/ラマチャラカと松田霊洋/田中守平/栗田仙堂/江間俊一/松本道別/渡辺藤交/清水芳洲

第四章:精神療法後期 1921~1930年

岩田篤之介/大山霊泉/石井常造/高木秀輔/西村大観/桑田欣児/松原皎月/秋山命澄/臼井甕男/中村古峡

第五章:療術期(1930~1945)

佐藤通次/平田内蔵吉/野口晴哉/江口俊博

 さて、皆さんどれくらい知っているでしょうか。私は井上円了くらいしか分かりませんでした。(ちなみに井上は催眠術の日本への紹介者として述べられています)

 本書を通読してみても知らない名前ばかりで、オカルト的な世界の広大さを思い知らされます。

 しかし「医学」とは明確に区別されていたとはいえ、医療と宗教の狭間にあるこれら民間精神療法も、広い意味では間違いなく「医療」だったのでしょう。精神療法家たちは本気で患者を治療しようとしていたはずですし、それにより何らかの形で救われた人々も少なくはなかったはずです。そう考えればオカルト的な関心に限らず、近代医療史の文脈でも無視できない領域だと思います。

 オカルト研究本でもあまり取り上げられることのない、医療史の忘れられた世界を窺うことのできる論文集です。