河原に落ちていた日記帳

趣味や日々の暮らしについて、淡々と綴っていくだけのブログです。

【読書備忘録】『予言がはずれるとき』(1956)

  何だか詩的な題名ですが、小説ではなく社会心理学の研究書です。

 Wikipediaに「UFO宗教」という、奇妙な響きの項目があります。恐らく英語版の「UFO religion」から翻訳された記事だと思われます。

 これは文字通り、UFOに乗ってやってくる宇宙人を〝神〟のように信仰する信仰体系です。オカルト話ではしばしば、宇宙人が何故か地球人に対して親切にも世界滅亡の警告をしてくれたりしますが、こうした言説は元を辿れば「UFO宗教」へと行きつきます。

 有名な例で言えば、ジョージ・アダムスキーという人物が挙げられます。彼は現在最もポピュラーなUFOの形状としてイメージされることの多い「アダムスキー型UFO」の目撃者として有名ですが、同時に彼はしばしば宇宙人と「接触」し、地球に訪れる危機を警告された、と主張しました。彼はその経験を多くの著作で披露し、熱狂的な信奉者を生み出しました。

 このように宇宙人と積極的に接触し啓示を受け取る人を、UFO界隈では「コンタクティ」と呼んでいます。

 一見荒唐無稽な話に見えますが、50~60年代のアメリカや日本のオカルトブームにおいては決して珍しい話ではなかったようです。日本で有名な事例としては、宇宙友好協会(通称CBA)というUFO研究団体が終末予言を行ったとして世間からの困惑と嘲笑を受けた「リンゴ送れ、C事件」という出来事があったりします。

 さて今回取り上げる『予言がはずれるとき』も、こうしたUFOカルト団体による終末予言に関わる本です。

 簡単に内容を紹介すると、「終末予言がはずれたとき、それを唱えた団体はどうなるのか?」という問いを「認知的不協和理論」から明快に説明した、社会心理学の古典的な研究書です。

〈内容紹介〉Amazon商品紹介欄より引用
 予言がはずれた後、かえって布教活動が活発になり、信者も増大して大きな教団になっていく…。予言を教義の中心的要素とする宗教グループや教団の布教活動にかかわる社会心理学的・文献的および実証的研究の書。

 

 本書は「認知的不協和理論」のみならず、終末予言を行った宗教団体を詳細に調査した研究書としてオカルト界隈でも時おり引き合いに出される名著ですが、原著が発表されたのが1956年と少し古めの時代なので、本文の前に巻末の訳者解説に目を通しておくと理解の助けになると思います。

 まず本書の主題となっている認知的不協和理論とは何か…ということについては、有名なのでググれば簡単に説明してくれているページが一瞬で出てくるのですが、一応本書の訳者解説を参考にここでも説明を入れておきます。(私は心理学専門でも何でもないのでちょいとおかしいかもしれませんが、どうぞ悪しからず…)

 例えばある人が、深夜無性に腹が減ってカップ麺を食べたとします。しかしその人は同時に、夜食は健康によろしくないという常識も持っていたとします。このとき彼の中では、「深夜にカップ麺を食べる」という認知要素Aと「夜食は不健康である」という認知要素Bが互いに矛盾してしまい、心理的な葛藤や不快感を覚えてしまいます。このように、人が矛盾した認知を同時に抱えてしまった状態を「認知的不協和」と呼びます。

 こうした場合、人は何とかして2つの認知要素の矛盾を解決し、不快感を低減させようとします。上の例であれば、「深夜飯を我慢する」という風に認知要素Aを変化させてしまうのが根本的な解決法です。

 しかし深夜の空腹に耐えきれずカップ麺を食べてしまった場合、認知要素Aは最早変えることができなくなります。そうなると必然的に、人は何とかして認知要素Bを変えようとします。具体的には、「夜食をとったからといって死ぬわけじゃない」という風に自分を誤魔化すやり方があります。または「夜食にはストレス軽減効果がある」と、真逆の認知に至るかもしれません。「夜食の健康的効果という真実を隠すために医学者たちが〝夜食は不健康〟だと嘘を広めている」という陰謀論に至るかもしれません。

 このように、2つの認知が不協和の状態にある場合、人は自身の態度や行動を変化させて不協和を解消させようとする、というのが「認知的不協和理論」です。合ってますかね。そしてこの著名な理論を提唱したのが、本書の著者の一人であるレオン・フェスティンガーでした。

 しかし2つの認知要素をどちらも変えることができず、不協和状態を軽くすることもできない場合、人はどうするのか? というのが、本書の主要なテーマとなっています。

 本書の場合では、「終末予言を信じている」という認知要素Aと、「終末が訪れず予言が外れた」という認知要素Bが想定されています。Aの場合、生活の全てをその宗教団体に捧げてしまっているなどして、辞めるに辞めれず認知を変えることが難しいことが想定されています。そしてBを変えることができないのは言わずもがな。終末予言を深く信じれば信じるほど、この不協和は大きくなります。

 想像するだけで死にたくなる状況ですが、終末予言は歴史上幾度となく繰り返され、そして外れ続けてきました(参照)。中には上のような状況に陥ってしまった人も少なくはないはずです。

 では終末予言を行った宗教団体は、その予言が外れてしまったあとどうなるのでしょう。普通に考えればその団体は求心力を失い消滅してしまう…ように思いますが、本書の結論は逆です。むしろ予言を外した宗教団体は、その後布教活動が活発になり信者の結集も強くなっていく…というのです。

 

 本書で調査対象となるのは、1954年にアメリカの一般主婦、マリアン・キーチ夫人が興したUFOグループです*1。彼女は元々オカルト的なものに興味を持っており、神智学やUFO研究団体のセミナーなどに足を運んでいたようですが、いつしか夫人は「サナンダ」と名乗る地球外の超越的存在と交信するようになります。

 キーチ夫人の宗教手法は、いわゆるチャネリングというものです。彼女は地球外の惑星にいるというサナンダからのメッセージを、自動筆記によって記録し人々に伝えるという、チャネラーとしての役割を負っていました。

  本書の記述によると、サナンダはイエス・キリストの現在の姿であり、宇宙には地球よりずっと文明の進んだ惑星があると言います。彼ら地球外の存在は地球人より高い「波動周波数」で存在しており、肉体的な死というものは存在しない…などという、書いているだけで頭がクラクラしてくるような「真理」が語られます。

 常識的に見ればこれらの主張は荒唐無稽なトンデモ思想ですが、当時のアメリカの思想的な動向からすれば特に突飛な言説でもなかったようです。これは後に日本で「精神世界」として輸入されることになる、「ニューエイジ」という思想運動の中から生まれてきた、一つの宗教グループと位置付けられます。*2

 当初は地球に訪れる漠然とした危機を夫人に伝えていたサナンダですが、そのメッセージは段々と終末論的な色彩を帯び始め、そしてついに明確な終末予言のメッセージが発信されます。

【8月2日のメッセージ】

「地球に住む者たちは、煮え立つ湖の大沈下と地方都市の高いビルの大崩壊によって目ざめるだろう――それは、湖からその地方全体にわたって一陣のものすごい風が吹くほどまでに、湖の底が沈み込むような沈下である。」〔p74〕

【8月15日のメッセージ】

「このさだなかに、岩石の山々に大波が打ち寄せることも記録されよう――それによって覆いつくされる地域の人々は、新たな死者たちの群れとなるだろう。山々の東側の斜面には新しい文明が始まり、その上に、光のなかで新たな秩序が生み出されるだろう。記録されるところでは、三つの山々が連なって守護霊たちのもとに位置するが、それらは、アレゲニー、キャッスル、それにロッキーの山々である。」

「しかし、この国は、まだ水没はしないだろう。だが、一番高いところまで海に洗われるだろう。それは、地上に住む者たちを浄化し、新たな秩序を生み出す目的のためである。しかし、その秩序は、光に満ちているだろう。(中略)そこでは、最初は混沌が支配するが、やがては秩序が君臨するのだ。」〔p74-75〕

【8月25日のメッセージ】

「これは、一部の地域に限ったことではない。というのは、アメリカの国は、沈下により真っ二つに引き裂かれることになるからだ。ミシシッピー地域では、カナダ、五大湖ミシシッピー流域から、メキシコ湾、中央アメリカに至るまで、変動を被るだろう。東の方向にアメリカの国土は大きく傾き、中部の諸州に沿って、つまり新たな大海に沿って、南北に――南部に至るまで、山脈がつくられるだろう。」〔p75〕

【8月27日のメッセージ(著者らによる要約)】

エジプトはつくり変えられ、砂漠は肥沃な谷になるだろう。ムー大陸は太平洋から隆起するだろう。「大西洋の海底の隆起」によって「大西洋沿岸の土地は沈み込む」だろう。フランスは大西洋の底に沈み、イギリスもそうなるだろう。そして、ロシアは、一つの大きな海になるだろう。〔p76〕

 予言の内容が、日を追うごとに詳細に、そして規模が大きくなっていることが窺えます。後に終末の大洪水が起こる日付は12月21日だと特定され、世界が終わる直前に空飛ぶ円盤が、選ばれた人々の救済に訪れるのだと言います。

 この予言はマスコミに公表され、事が世間の明るみに出てくることとなりました。公表したのはグループの中でも特に強く夫人を信奉していた、トーマス・アームストロング博士。そしてその報道を見た著者らの研究グループが、「自分の説を検証するまたとないチャンスだ」とばかりに飛びつき、キーチ夫人たちへの接触が始まります。

 グループへの調査手法はオーソドックスな参与調査ですが、要するに潜入調査のようなものです。普通に考えて終末予言というものはまず当たりませんから、「予言が外れたときの様子を信者のふりして観察してやろう」という、見方によっては意地の悪い調査とは言えるかもしれません。

 とにかくそうした経緯で、研究グループは何人かの調査者を派遣してしてキーチ夫人らのグループへ取材を始めます。ここから予言が外れるまでの数か月間、調査者らはグループ内全体の様子や、個々のメンバーの終末予言に対する姿勢などを詳細に調査、記録しており、非常に臨場感溢れる記述がなされています。

 キーチ夫人のグループは終末の日が近づくにつれ、どんどんと秘密主義的な性格を強め、その内実も「カルト」と呼びうるものに近づいていきます。メンバーたちは仕事や財産などを片付けて終末に備えることが推奨され、実際にそのように行動に移したメンバーもいました。

 彼らの行動や主張などは盛りだくさん過ぎてとても要約できませんが、いくつか目につくトピックを挙げてみると…

  • 女性メンバーの一人、ベルタ・ブラツキーが突然「造物主」を名乗る存在からのメッセージを代弁し始め、サナンダを批判しグループを乗っ取りかける。しかし自分の夫に諫められたことで委縮してしまい失敗。その後「造物主」の言葉は、サナンダのメッセージと協調的になる。
  • アームストロング博士、宗教活動に邁進していたことを大学事務局に問題視され免職される。しかしそれも救済への道筋の一つとして正当化。
  • 「体に金属を身に着けていると救済に支障がある」とのことで、ズボンのジッパーから下着の金具までありとあらゆる金属をみんなで必死に剥ぎ取る。
  • ある日「宇宙人」を名乗る男から電話があり、「夕方ごろ空飛ぶ円盤で庭先へ迎えに行く」と告げられる。恐らくいたずら電話と思われるものの、夫人らはあっさり信じて庭先に待機。案の定何も起こらず。

 傍から見ている読者からすれば、この人たちは揃いも揃って一体何をやっているのかという風に思えてしまいますが、やっている本人たちはいたって真面目です。本書はこれらの様子を嘲笑するような風合いはほとんどなく、非常に淡々と事実のみが記されているのですが、それがかえってグループの異様な雰囲気を強く浮かび上がらせています。

 そして、ついにその日がやってきます。グループのメンバーと、彼らを観察する調査者それぞれが、目的は違いながらも強く待ち望んだ、世界の終わるその日が。

 12月20日の時計が最後の秒針を刻み、日付が一つかわったとき、一体何が起きたのか。

 読者は、何か目に見える反応を予期したかもしれない。真夜中が過ぎ去り、何も起こらなかった。大洪水それ自体は、七時間足らず先に迫っていた。しかし、その部屋に居た人々の反応には、ほとんど何も見るべきものはなかった。誰も語らず、何の物音もしなかった。人々はじっと座ったままで、彼らの顔はこわばり、表情がないみたいだった。〔p208〕

 時間になっても救いに来てくれない宇宙人…そう、予言は見事に外れたのです。

 グループに立ち込める動揺と重苦しい失望感、そして何らかの「奇跡」を見出そうと虚しく奮闘する「造物主」の声、空回りするメンバーたちの議論。

 あわやグループ解散かと思わましたが、早朝4時45分になり、キーチ夫人は一つの談話を高らかに読み上げます。

 いわく、「夜を明かして座っていた我々が大いなる光を放っていたので、神がこの世を破壊から救ってくれたのだ」と――。

 外から見れば予言が外れた言い訳にしか見えませんが、この談話はなんとメンバーたちに熱狂的に支持され、グループ内の結束をより強くする結果となります*3。そしてそれまで頑なに予言などの詳細を外部に漏らすことを避けていたのに、ここに至って彼らは積極的にマスコミや訪問客などに終末の回避を宣伝し始めたのです。

 つまり先に述べた通り、予言が外れたことでかえってグループ内の結束は強まり、宗教活動が活発化するという結果が観察されたことになります。

 こうした逆説的な現象が起こるメカニズムについて、少し長くなりますが訳者解説から追加説明を引用します。

ある個人の信念にもとづく予言が客観的にははずれたときでも、その個人のまわりに、なおもその信念を信奉する人がいる場合、そのこと自体がその信念にとって協和的な要素になる。しかしながら、協和の大きさが不協和の大きさと比べて十分大きくなければ、依然として不協和の不快さは残存し、その不協和を低減しようとする動機づけが存在するわけである。そして、この場合に不協和をより低減できる方法は、同じ信念を抱く人をさらに見出し、自己の信念と協和的な要素をより多く得ることなのである。そのため、布教活動が活発化するわけであるが、その結果として信者が多くなれば、予言失敗の正当化を含めて、自分および自分のまわりには現実を同じように見る人々ばかりになる。そして、この皆によって抱かれた「共同主観」は、事実上「客観的現実」に転じるのである。こうして、予言のはずれによっては、もはや信念が揺らぐことがなくなるわけである。〔p371〕

 その後、結局グループは拡大化することなく空中分解するまでで本文の記述は終わるのですが、訳者解説によると本書の出版後もキーチ夫人は地道に活動を続けており、1980年代当時で数千人の信奉者を得ていたとのこと。こういうのは簡単に消えるものではないのですね。

 

 とめどなく書いてきましたが、本書はあくまでも認知的不協和理論の検証を目的とした社会心理学の研究書であり、宗教グループの潜入ルポではありません。

 しかし著者らは、一つの宗教グループが終末予言を発し、それが外れて活動が活発化するまでの過程を、メンバー一人ひとりの反応までをも含め克明に報告しており、結果として社会心理学の文脈だけでなく、宗教学的にも貴重な情報を多く提供しています。

 今でこそド派手な終末予言を行うような団体は影を薄めていますが、かといって「カルト」という存在が消えたわけではありません。客観的にはあり得ないような主張を繰り返すような人物に、なぜ多くの人が着いていってしまうのか…本書は60年以上前に書かれた海外の事例研究でありながら、現在に連なる問題を考えるヒントにもなり得ると思います。

*1:本文中では具体的な人名や地名などはプライバシー保護のため全て仮名となっています。ただし訳者解説によると、その後の研究により主要人物の一部は本名が特定されているのですが、本記事では本文での仮名に準じます。詳しく知りたい人は訳者解説を参照。

*2:ここら辺については、吉永進一 「円盤に乗ったメシア」一柳廣孝編『オカルトの帝国』所収)や、大田俊寛 『現代オカルトの根源』が詳しいです。

*3:ただしそれほど熱心に信じていなかった一人のメンバーは、この時点で離散しています。