河原に落ちていた日記帳

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【読書備忘録】礫川全次『サンカと説教強盗』(1992)

サンカと説教強盗---闇と漂泊の民俗史 (河出文庫)

サンカと説教強盗---闇と漂泊の民俗史 (河出文庫)

 

 在野の立場で「歴史民俗学研究会」を立ち上げ、数々の異端的な学問の一端を紹介し続けている礫川全次氏。

 つい最近は『独学で歴史家になる方法』なる、そこら辺のビジネス書にありそうな胡散臭い題名の本を出版した礫川氏ですが、初期の氏による関心の対象の一つが「サンカ」でした。

 以前に氏の『サンカ学入門』を読んだことがあるのですが、本書は礫川氏による最初期の著作であり、同時に2000年代の「サンカ」研究ブームの奔りとなった本でもあります。

〈内容紹介〉批評社公式HPより引用
 大正末期から昭和初期にかけて「帝都」を震憾させた説教強盗。背後に見え隠れするサンカ。事件の全貌を克明に跡づけ、実像と虚像が同居し、原像までが交錯するサンカ(山窩)を三角寛のサンカ論を批判しつつ解明する。

 

 本書の初版は1992年ですが、1994年に増補版が出版されており、私が読んだものもこちらの増補版となります。増補版には「サンカ」に関わる大正~昭和期の貴重な史料が紹介されており、本文とは別で読む価値が高いです。以下、増補版の目次を紹介します。

はじめに

第一章 説教強盗とは
第二章 説教強盗事件の地理
第三章 翻弄された捜査陣
第四章 説教強盗捕縛さる
第五章 新聞記者三角寛の挑戦
第六章 説教強盗「山窩」説
第七章 「山窩」の虚像と実像
第八章 「サンカ」とは何か
第九章 サンカの漂泊性と被差別性
第十章 三角サンカ学の意味
補章  サンカ再論

資料編①~⑧

あとがき

 本書で主に問題とされている「説教強盗」とは、大正末から昭和初期にかけ東京の新興地で数々の強盗を働いた実在の犯罪者「妻木松吉」のこと。押し入った先の家で強請りを行った後、家人に防犯の心得を説くという特異な行動から、マスコミから「説教強盗」という通称で呼ばれました。

 しかし何故この説教強盗が、「サンカ」の話題と関わることになるのでしょうか。それは当時の警察内で、説教強盗の正体を「サンカ」だとする噂話が流れており、その噂に触発されて「サンカ」に興味を持ったのが、当時新聞記者であった三角寛(本名・三浦守)だったからです。

 本書の狙いとして、「はじめに」で礫川氏は以下のように述べます。

 従来のサンカ論にあきたらなかった私は、三角寛がサンカと関わることになった説教強盗事件について詳しく調べなおしてみようと思いたった。この事件がなければ、三角のサンカ小説もなかっただろうし、サンカの存在が広く知られることもなかっただろうからである。〔p3〕

 そのため本書の構成は、説教強盗事件の経過を追った前半部と、「サンカ」の実像に迫った後半部の、大きく2つに分かれています。

 礫川氏は様々な史料を駆使しながら、事件当時における時代性を分析しています。当時の地図や新聞記事などが豊富に紹介されており、説教強盗事件を通して見る一つの風俗史として、非常に興味深い内容となっています。

 説教強盗が繰り返し犯行を成功させることのできた要因として、礫川氏は当時の東京の地域性と、警察組織の纏まりの悪さという2点を指摘しています。

 説教強盗が犯行を働いたのは、関東大震災以降に新興住宅地として発展した地域でした。こうした新興地には比較的裕福な中間層が多いことや、住民同士の連帯や警察の警備能力が未形成だった、などといった要因が、説教強盗の犯行を後押ししたのだと礫川氏は主張します。

 また氏によると、当時の警察組織にも大きな原因があると言い、警察同士の連絡の悪さや対立、また組織の旧態依然とした性格を指摘しています。説教強盗を追う立場である警察側の内部事情もまた、説教強盗の仕事を助ける一因となったとします。

 説教強盗は昭和4年(1929)、警察の尽力によりついに捕縛されます。しかし礫川氏は、公式発表されている逮捕劇の経緯に疑義を挟み込んでいます。詳しい解説は本書を参照して頂きたいのですが、簡潔に言えば公式発表の経緯は、警察の不祥事を隠すために急ごしらえされたストーリーであり、一種の「謀略事件」としての一面を持っている、と主張します。

 また礫川氏は、警察よりいち早く説教強盗の正体を掴んだのが三角寛であった、という驚きの「事実」も明かしています。三角は不眠不休の超人的な取材活動により説教強盗の尻尾を掴み、警察へ逮捕を促すために自らの尾行による調査を新聞記事として書いていたのだ、と言います。しかし警察はこの記事を黙殺し、結果的に事件の解決を遅らせることになった、とします。

 この辺りの論証については、「ノンフィクションものとしては面白い」と思います。しかし礫川氏の「推理」が果たして正しいのかどうかは、私には何とも判断できません。氏の筆力は流石のもので、読んでいると本気にさせられてしまうぐらいの力はあるのですが、しかし史実として正しいとまで断定する勇気は、私にはありません。特に三角による新聞記事については、彼の「研究」に信用の置けない部分が多い以上、それなりに信頼性を疑う必要があるのではないでしょうか。

 そんなわけで礫川氏の推理については、あくまで「読み物としてはすこぶる面白い」という評価に止めておきたく思います。

 さて、説教強盗の次は「サンカ」についての話題です。先述の通り、当時の警察内では説教強盗を「サンカ」であるとする噂が語られていたらしく、三角寛はその噂話を端緒として「サンカ」への興味を深めていきました。

 そこで第6章からは、いよいよ「サンカ」と呼ばれた人々の実像へと迫っていく流れとなるのですが、実はこれ以降の章は後の著書『サンカ学入門』へ、順番を入れ換えて転用されています。つまり私にとっては既に読んだ内容であり、正直なところ以前の記事から付け足すべきことはほぼありません。

 しかし敢えて言うなれば、本書は前半で説教強盗を、後半で「サンカ」を論じるという構成自体が、少なからず問題を抱えています。一言で言えば、前半と後半で内容が断絶してしまっているのです。

 警察は説教強盗を「サンカ」だと噂しましたが、結局ただの噂話に過ぎなかったようで、説教強盗と「サンカ」は特に関わりがなかったようです。そのため本書の前半と後半は、お互い特に関係のなかったものについて論じられていることになり、当然内容の上で両者の乖離は激しいものとなります。

 礫川氏自身、「この不可解な事件にややページを割きすぎたかもしれない〔p3〕」と認めてはいるのですが、私の印象からすると氏は説教強盗事件一つをテーマとして、一冊の本を十分書くことができると思うのです。それだけ内容的に興味深い事件だと思うのですが、それに「サンカ」を絡ませてしまったことで、前後半で内容のちぐはぐな本が出来上がってしまったように思えます。

 恐らく礫川氏としては、当初「サンカ」にテーマを絞って書くつもりであったろうと思われるため致し方のない部分ではありますが、では肝心の「サンカ」論はどうかと言えば、これがまた若干尻すぼみな論考になってしまっているように感じられてしまうのです。

 これは、説教強盗事件については大胆ながらも魅力的な結論を導き出しているのにも関わらず、「サンカ」については結論を保留するような書きぶりが多いということが、こうした印象に陥る一番の理由かと思います。

 この点は、後の『サンカ学入門』を読んだときは特に気にならなかったのですが、内容が同じでも本全体の性格が異なるだけで、こんなにも印象が異なったものになるのかと思ったものです。

 ちなみに本書のサンカ論の中で、どうしても紹介しておきたい部分が一つあります。それは第7章「サンカの虚像と実像」において、近代以降警察が「山窩」と呼んだ犯罪者グループの実体を推測する部分です。

 ここでやや大胆な仮説を提示するが、これらの実体の一部は「忍者」またはその流れを汲む者であったのではないか。〔p118〕

 やや大胆な仮説って、いや大胆すぎるでしょう。「忍者」という単語があまりに唐突すぎて、読んでいて流石にたまげました。アイエエエエ! ニンジャ!? ニンジャナンデ!?

 この「山窩グループ=忍者説」を裏付ける明確な証拠が示されることは特になく、彼らが持っていた泥棒道具や犯行時の黒装束などから「犯人が忍者系であったと考えれば説明がつく〔p119〕」などと断言するガバガバすぎる論証がしばらく続きます。ここまで無茶にこじつけられると、かえって読んでいて愉快な気分になれます。*1

 ちなみに後の『サンカ学入門』では、この「山窩グループ=忍者説」については特に言及がなかったように思います。礫川氏自身、自説に何か思うところがあったのかどうかは不明です。

 以上の通り、全体的な構成に無理があったり、部分的に不可解な記述も出てくる本書ではありますが、個人的にはそれを含めて本書の見所だと思います。

 礫川氏自身が認める通り、本書を「サンカ論」として読むと物足りない印象は受けるかもしれません。しかしこの著作が一つの土台となって、後の「歴史民俗学研究会」の活動へと繋がっていくのだと考えれば、氏の学問遍歴を見る上で興味深い作品だと言えるかもしれません。

*1:「サンカ」と忍者を結びつける言説は、どうも三角寛によるサンカ小説が大きな影響を及ぼしたようですが、礫川氏もこの点はp123の注釈という形で、「三角が「話」をおもしろくするため、サンカに忍者的イメージを与えた可能性もなくはない」と述べています。しかし「なくはない」とお茶を濁すより、確実に三角の作り出したイメージだと考えた方が自然では。