河原に落ちていた日記帳

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【読書備忘録】杉原たく哉『天狗はどこから来たか』(2007)

天狗はどこから来たか (あじあブックス)

天狗はどこから来たか (あじあブックス)

 

「妖怪」と呼称されるモノの中でも、一際知名度の高い「天狗」。

「天狗になる」などの慣用句もあり、恐らくその名前を知らないという人はいないのではないかと思うくらいには、日本で馴染み深い妖怪です。

 しかし有名な割には、その歴史には謎も多いのが天狗という妖怪の特徴でもあります。

「天狗」という語自体は『日本書紀』にも登場するくらいに由緒の古い語彙なのですが、その言葉が指し示すものは空を駆ける流星であり、現在イメージされる鼻高天狗や烏天狗とは似ても似つかないものでした。

 元々は天体現象を指す言葉だった「天狗」が、平安後期以降なぜ突然に人民を脅かす妖怪として跳梁跋扈するようになったのか。なぜ、仏教に仇なす存在として描かれるようになったのか。そもそも、「天狗」という言葉はなぜ「天の狗(いぬ)」なのか。

 長い間、謎とされてきた天狗イメージの源流を、「図像学」の立場から考察したのが本書となります。

〈内容紹介〉※大修館書店公式HPより引用

 天狗イメージの源流を探る!

 日本を代表する妖怪である天狗。
 しかし、その正体は多くの謎につつまれている。
 天狗はどのように誕生したのか?
 天狗の鼻はなぜ高いのか?
 そもそも、天狗とは何者か?
 図像学的アプローチにより、天狗誕生の謎を解く、天翔る者たちの文化史!

 

 では早速、目次から本書の構成を見てみましょう。

まえがき

◆第1章 天狗は空から降ってくる
 1 空から降る怪異
 2 生きていた中国の天狗

◆第2章 初期天狗の誕生
 1 天狗登場
 2 天狗復活
 3 比叡山と天狗

◆第3章 『今昔物語集』の天狗たち
 1 復活天狗の大活躍
 2 幻影装置としての天狗
 3 天狗説話のバリエーション

◆第4章 天狗再登場のメカニズム
 1 発生初期の天狗イメージ
 2 「天狗さらい」の系譜
 3 天狗の鼻はなぜ高い
 4 密教と天狗
 5 浄土教と天狗

◆第5章 天狗イメージの源流を探る――海を渡った有翼の鬼神たち
 1 雷神イメージの変遷
 2 仏画のなかの鬼神たち
 3 カルラのイメージ
 4 日本に飛来した有翼鬼神
 5 飛来するものたちへの視線

あとがき

 本書で重要な方法論として用いられている「図像学」とは、杉原氏の言葉を援用すると、美術作品を歴史文化資料として位置付け、文献だけでは窺い知れない知の構造を明らかにしようというもの〔まえがきvi〕。美術作品に表現された図像を通して、その時代の人々が持っていた世界観を読みとっていくものです。

 先述の通り、天体現象としての「天狗(アマツキツネ)」が、仏教に敵対する妖怪としての「天狗(テング)」として突如変貌を遂げた謎など、天狗には何かと不可解な歴史が纏わりついています。杉原氏は主に図像学の方法により、そうした謎の数々を打開する画期的な新説を提唱しています。

 

 第一章では、古代中国における天狗について論じられます。天狗という語彙は元々は中国のものであり、その概念が日本にも輸入され、『日本書紀』で用いられることとなりました。しかし中国の天狗は日本のそれとは全く別の存在です。

 中国の天狗とは、文字通り「天の狗(犬)」です。天から降ってきて何らかの災厄を社会にもたらすもの、すなわち流星現象ですが、それが「天狗」と言い表されることによって、中国の天狗は羽の生えた犬の姿でビジュアル化されました。中国の天狗は現在でも、子どもの産育に何らかの悪影響を及ぼす妖怪として人々の間に生き残っています。

 では何故、日本における天狗は、中国とは全く異なる展開を遂げていったのか。杉原氏はその最初の要因として、古代中国における天狗概念が日本に輸入された際、微妙にその意味合いにズレが生じたことを指摘します。

 杉原氏によると、中国における天狗とは流星現象そのものを指していたのですが、『日本書紀』では天狗と流星現象が全く別のものとして解釈された、とのこと。それにより日本の文献では流星を天狗として解釈することがなくなり、天狗概念は中国と全く別の道を辿り始めた、と言います。

 その後日本の文献で天狗が登場するのは、初登場から400年後、平安後期の物語文学においてです。そこでは山中で怪音を発し、また人をどこかへ連れ去る妖怪として天狗が描かれています。こうした天狗の性質は狐との類似性を示し、天狗と同じ意味合いで「天狐」なる言葉が使われることもあったといいます。

 ちなみに『日本書紀』内で天狗に「アマツキツネ」の訓が充てられたのは、杉原氏の弁では平安中期以降とのこと。妖怪としての性質から、日本では犬よりも狐の方が意味合いとして合致すると考えられたことにより、和訓で文字と読みとのズレが生じたと杉原氏は主張します。

 また天狗は、再登場の初期から仏教(特に比叡山)の敵対者としての性格が強く、その頃から既に天狗の視覚イメージは、有翼・有嘴のいわゆる「烏天狗」として固まっていたようです。仏教関連の文献に登場する天狗は、僧侶を堕落させたり「憑き物」のように人に憑く性質を持ち、また堕落した僧侶が「天狗道」に堕ちることで天狗となり仏教に敵対する存在となる、と認識されていました。

 物語に登場する天狗は、比叡山の僧侶に挑戦するも見事に返り討ちにあう間抜けな姿で書かれるか、あるいは天台以外の僧侶を惑わし堕落させる存在として書かれます。これは天台宗が自らの宗派の正当性を主張する材料として、天狗という妖怪を物語に利用していたということを示唆します。

 

 では日本における天狗は、初登場から長い年月を経た再登場で、どうしてこのような変容を遂げることになったのでしょう。杉原氏は日本における初期の天狗イメージを、以下のように整理します。〔p96-97〕

  1. 本来、天狗は流星であり、その姿は中国では犬であったが、日本ではトビ、もしくは半鳥半人となった。
  2. 山中で怪音を発する。
  3. 人をたぶらかして連れ去り、あらぬ所に置き去りにする。
  4. 郊外の寂しい場所に出没し、人々に死をもたらす。
  5. 狐と同様の性質を持つ。
  6. 比叡山の僧との関りがきわめて強い。
  7. インドや中国にも天狗は存在し、むしろ平安期においてはそちらが本場だと考えられていた。
  8. 幻影を見せる力を持つ。

 杉原氏は、こうした複雑に展開する天狗イメージを単純化すると、「「流星の災厄」、つまり「天空から突然降りかかり、強烈な音を伴い、戦乱・騒乱をもたらす天体現象」の展開形といえるものがほとんど〔p98〕」であると主張します。

 戦乱や騒乱は、社会の対立構造のなかから生まれる。災厄をもたらす妖怪・天狗は「流星のイメージに、対立ファクターを掛け合わせて生み出されたもの」ともいえる。対立ファクターとは、仏教内部であれば山門と寺門の対立、天台・真言両派の確執、藤原氏内部の外戚争いの確執を背景にした仏教僧の対立などである。天狗はそのなかで出現し、育成されたといってよい。〔p98〕

 そうして「流星の災厄」から派生した天狗イメージが、後世の民間における「天狗笑い」など怪音を起こす妖怪として引き継がれるようになったとします。

 しかし天狗は、400年の長き眠りの間、どうして唐突に仏教の敵対者として再登場するようになったのでしょうか。初期から天台宗との結びつきが強いのに関わらず、仏教における天狗の位置づけを示した仏典が存在しないことが、天狗研究史上の大きな謎とされてきました。

 しかし杉原氏は、実際には天狗について記された仏典が存在すると指摘します。元々インドで書かれた経典が中国で翻訳された際、中国の天文知識で注釈が施された結果、インドの天文現象を示す言葉が「天狗」として説明されるようになったのです。

 杉原氏は、日本において盛んに読まれた『大日経』の注釈書『大日経疎』において、サンスクリット語で「霹靂」つまり雷を意味する「涅伽多(ニルガータ)」が、中国における「天狗」と同じものとして説明されていることを紹介しています。

 この『大日経疎』は曼荼羅の理解において日本では欠かせない注釈書として重用されたことにより、密教僧たちは自然に「天狗」という言葉にも触れることになりました。

 また浄土教においても、中心的な経典である『往生要集』の典拠となった『正法念処経』において、「憂流迦(ウルカー)」という鬼神が「天狗」と解されたことにより、浄土教の僧侶たちにも天狗が目に触れるようになったと言います。

 こうして中国における仏典の注釈や本文において「天狗」という言葉が混入した結果、日本では天狗像の初期から仏教との関わりを深く持つようになったと考えられます。

 では、どうして日本の天狗は、半鳥半人の姿で描かれるようになったのでしょう。杉原氏はその視覚イメージの源流も、中国にあると指摘します。中国の仏画では、飛行する鬼神を半鳥半人の姿で描くことが広く行われており、それは中央アジアにおけるカルラ像に影響を受けたものと考えられます。半鳥半人の鬼神のイメージは、道教由来の雷神の視覚イメージにも転用されるようになりました。

 13世紀頃、日宋貿易を通じて半鳥半人の雷神・鬼神が描かれた『五百羅漢図』などの図像が、日本にもたらされるようになります。そうして日本に半鳥半人の鬼神という図像イメージが混入し、日本における天狗の図像化に影響を与えたと杉原氏は主張します。

 半島(ママ)半人の鬼神像は、このようにして仏教・道教の垣根を越えて広く中国の天神界に成長し、そのうちの仏教の飛行夜叉像が、天台宗の留学僧が持ち帰った寧波の仏画によって日本に流入した。一方、日本の浄土教密教の仏教僧は、天狗を仏教の敵対者、もしくは善にも悪にも転じうる両義的な存在として把握し、腐敗した寺院権門や堕落した僧侶の表象として利用していった。日本におけるその後の天狗の発展は、仏教の敵対者という流れと、本来の流星に伴う怪現象の謎とが結びつくことによって醸成され、広く民衆の深層心理の中で成長していったものであると考えられる。〔p234-235〕

 杉原氏は天狗の図像イメージの源流を上記のように結論付け、天狗研究において巨視的な視点に立つことの重要性を指摘しています。

 

 本書は全体的に読みやすい文体でありながら、天狗の視覚イメージに関する重要な問題を幅広くカバーしており、読み応えのある一冊になっています。本稿では省略しましたが、杉原氏は烏天狗から鼻高天狗への変遷や、「天狗さらい」と猛禽類との関連といった話題にも踏み込んでおり、どれも天狗像を考える上で重要なテーマだと言えます。

 中国の鬼神像が日本の天狗の図像化に影響を与えたという議論については、そのことを示す実証的な史資料が少なく説得性に欠ける印象も受けましたが、天狗という一妖怪の源流を日本に限らず海外にまで範囲を広げて検討するという巨視的な視点は、非常に刺激的です。

 本書は天狗のみが取り上げられていますが、近年の妖怪研究では日本と海外の比較研究が注目されるようになっており、本書の内容は妖怪文化比較論としてすこぶる興味深い話題を提供しています。

 妖怪とは、様々なイメージが重層的に重なり合いながら形成されていくもの。それゆえ妖怪研究は、日本のみで完結できるものではない。そんなことを実感できる一冊となっています。