河原に落ちていた日記帳

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【読書備忘録】礫川全次『サンカ学入門』(2003)

サンカ学入門 (サンカ学叢書)

サンカ学入門 (サンカ学叢書)

 

 木地屋マタギといったいわゆる「漂泊民」を対象とした民俗誌的研究は数多く存在しますが、その対象が「サンカ」となると急に信頼できる研究が激減するのはいかなる訳なのでしょうか。恐らくそれは、「サンカ」なる言葉には常にある種の胡散臭さが漂っているのが原因ではありますまいか。

 私自身、「サンカ」という存在自体は以前から知ってはいましたが、それについて書かれた本となるとどうにも如何わしい匂いを感じてしまい、ずっと敬遠していました。多分ネット上に散見されるオカルト的な「サンカ」像が、無意識の内に脳裏に刷り込まれていたからでしょう。

 しかし試しに手元にある『精選 日本民俗辞典』を手繰ってみると、意外や意外、ちゃんと「さんか」という単語が立項されているではありませんか。執筆者は石川純一郎、『河童の世界』が代表的な著作でしょうか。以下に石川氏による「さんか」の概要を抄出してみます。*1

さんか 定住せず、山川を舞台に竹細工ならびに川漁などを生業として生活をおくる漂泊民に対する一般的呼称。(中略)さんかは岩窟・土窟を住処とすることに基づいた命名らしいが、他に天幕を張ったり、小屋掛けをしたり、社寺の床下に宿ったりと地域や集団により居住形態が異なっていた。「山窩」という漢字は明治初期における警察吏の考案というのが定説になりつつある。無籍者は犯罪を犯しやすいということで、警察の取り締まり対象とされ、猟奇的な事件があると彼らの仕業と考えられた。

 以降は「さんか」とされた人々の生業などの解説が続き、学術的な辞書としてまずまず無難な叙述がなされているのですが、私が注目すべきと考えるのが以下の文章です。

一説には全国的な支配組織のもとに国ごとの組織があって統制を行い、独特の文字を有するなどともいわれているが実証性に乏しい。

 さりげなく流されていますが、これは要するに俗に流布した「サンカ」のイメージを、なるべく穏当な表現で否定したものでしょう。

「サンカ」という存在は、辞書に立項されているという事実から少なくとも民俗学において完全に無視されている訳ではないと思います。ただし辞書の記述でもわざわざ断りの文言を入れておく必要があるほど、幻想的な「サンカ」のイメージは一般に膾炙してしまっているのだと言えます。

 こうした「サンカ」イメージの創出に大きな役割を果たしたのが、小説家の三角寛による一連の仕事であった、というのは現在の通説になっています。

 オカルト業界では「ユダヤ陰謀論」のガワだけ取り替えた「サンカ陰謀論」や、偽書『上記』との関連による「サンカ古代民族説」などが取沙汰されているようですが、そうした偽史的なイメージを「サンカ」から取り払ったときに見えてくるものは何なのか。

 そんなことを考えたく思い、とりあえず手始めに内容が無難そうな本書を読んでみることにしました。

〈内容紹介〉Amazonの商品紹介欄より引用
「サンカ」とは、日本に存在していた“漂泊民”である。「サンカ」につきまとうイメージは、ある時は古代からの伝承を伝え、独特の「サンカ文字(神代文字)」を使う一群の人々であり、ある時は山野を疾駆する漂泊の民であり、また、ある時は警察を出し抜く犯罪者集団…、など様々だ。しかし、近代以前からの「制外の民」としての「サンカ」像には、さまざまな疑念がつきまとっている。柳田国男、鷹野弥三郎、荒井貢次郎、宮本常一から三角寛といった人々にいたる「サンカ」研究を網羅、解説。「サンカ」という言葉を初めて聞いた人から、「サンカって、どうもよく分からない…」という人まで、格好の入門書。

 

 著者は、ノンフィクションライターで「在野史家」の礫川全次氏。礫川氏は自ら「歴史民俗学研究会」を立ち上げ、『男色の民俗学』や『人喰いの民俗学』といった〈歴史民俗学資料叢書〉シリーズを編纂するなど、活発に活動を継続している在野の研究者の方です。図書館でそのインパクト抜群な背表紙に心動かされた人も多いのでは。

 本書は、以下の目次から構成されています。

【序章】なぜ今「サンカ」なのか
【第1章】サンカとは何か
【第2章】サンカと犯罪
【第3章】サンカ研究者としての柳田國男
【第4章】柳田國男と鷹野弥三郎
【第5章】サンカと下層民
【第6章】サンカの漂泊性と被差別性
【第7章】サンカ近代発生説
【第8章】三角サンカ学について
【第9章】沖浦サンカ論を読む
【終章】再びサンカとは何か

【補章1】説教強盗と三角寛
【補章2】八切止夫のサンカ五部作を読む

【付録1】サンカに関する文献123
【付録2】インターネット「サンカ」案内

 本書の全体的な傾向としては、「サンカ」の実態に迫ったものと言うより、「サンカ」関連の先行研究を手堅く整理したものと言えます(ただし本書の刊行当時はまだ筒井功氏のサンカ関連著作が出ておらず、その点は留意が必要)。

 本書末尾にはインターネット上の「サンカ」関連サイトまで紹介されており、ネットが一般に普及してきた時代の雰囲気を反映しているようで面白いです。しかし本書で紹介されているサイトの多くは、現在リンク切れにより閲覧不可になっており、非常に物悲しい気持ちにもなります。*2

 本書のスタンスとして礫川氏は、「サンカという存在に既成の歴史・民俗に収斂されないものを見出したり、近世身分制を超える契機を読みとったりすることは無理だろうと私は思う。少なくとも本書では、そういった発想に立つことなく、あくまで現実的に、また「歴史民俗学」的な手法によって、サンカの実像に迫ろうとした〔p4〕」と言います。

 何故か冒頭では「歴史民俗学的手法」について特に説明がないのですが、本書第三章にて次のように説明されています。

〈歴史民俗学的〉手法といった場合、私としては、日常生活のさまざまな事象・および心意にかかわる、目に見えにくい、あるいは気づきにくい変化を、その背景に注目しながら、かつ歴史的な時間軸を意識しながら考察するような手法――をイメージしている(ただし、これは定義ではない)。〔p48〕

 正直なところ、私は通読してあまりピンと来なかったのですが、とりあえず一時期アカデミズムの方で流行っていた「歴史民俗学」とはまた別物と捉えた方がよさそうです。

 本書の具体的な研究手法としては、なるべく信頼できる資料や先行研究を整理することで「サンカ」と呼ばれた人々の実像を探っていく、というのが中心となります。礫川氏の目線はあくまでも現実的・客観的なものであり、マトモな研究としてはどういったものがあり、またその問題点はどこか、といった点が要領よく整理されています。

 ちなみに、現代の「サンカ」イメージに最も影響を与えたと思われる三角寛の「サンカ」論文についても当然触れられていますが、礫川氏は「三角の研究全てが虚構とは言えない」という立場であり、全否定していないことは印象的でした。*3

 本書は「入門書」という立ち位置故ゆえ、礫川氏自身の見解はあまり表に出されていない印象ですが、唯一「サンカ近代発生説」という見解が強く押し出されています。

明治期に、ある種の犯罪集団(あるいは準犯罪集団)を意味する「山窩」という言葉(表記)が定着してゆき、それと平行する形で、各地の漂泊民を「サンカ」という共通語で括るようになっていったのではあるまいか。「山窩」が近代以降の言葉であると同様、各地の漂泊民を括る「サンカ」という概念もまた、近代以降のものではあるまいか。〔p27〕

 この仮説は同著者による『サンカと説教強盗』で初めて示されたものということで、追々そちらも読んでいきたいのですが、兎も角も「『サンカ』は近代に作られたもの」という指摘は重要です。

 今まで「サンカ」という単語をわざわざ鍵括弧に括ってきましたが、それは「サンカ」なる存在には実体が無いからに他なりません。「サンカ」と呼ばれた人々がそれを自称することはなかったというのは有名な話で、実際には別々の漂泊民を外部の人間が「サンカ」なる言葉で括ってきた、というのが現実のようです*4。文献上では「サンカ」表記は幕末までは遡れるようですが、この言葉がどの程度一般に膾炙していたかは疑問です。

 そうした現実を踏まえながら種々の資料を整理していき、最終的に礫川氏は本書全体の結論として「サンカ」という存在を以下のように定義します。

サンカ 箕作り、川漁等を業とする漂泊民ないし回遊民を指す民俗学上の用語。あるいは、それら漂泊民を中心とする多様な職掌の人々の総称。「サンカ」という言葉の起源は不明だが、この呼称が使われるようになったのは、幕末期に発生した流民が「サンカ」と呼ばれ、さらに明治期に発生した漂泊系の犯罪集団が警察から「山窩」と呼ばれたこととも関わるといわれる。〔p125〕

「サンカ」の幻想的なイメージが好きな人にとって、この結論はいささか退屈なものかもしれませんが、私は「サンカ」幻想については無関心なのでこの結論で十分に思えます。

 ただ本書にも、少し問題に感じる部分はあります。例えば礫川氏の全体的な姿勢は「客観的」なのですが、有名な沖浦和光氏の「サンカ」論を第9章で結構手厳しく批判している割には、お仲間の飯尾恭之氏の所論については激甘に受け入れているような印象を受けてしまいました。ただこの点に関しては、沖浦氏と飯尾氏の所論を読んだ上で評価したく思います。

 本書は書名の通り「サンカ」について概略を知ることのできる入門書であり、そう呼ばれた人々の実際の姿が見えかけてくるような気がするのですが、同時に「サンカ」なる存在について知ることは一筋縄ではないという思いも抱いてしまいます。

 とりあえず今後は本書で紹介されている研究等を足掛かりとしながら、礫川氏の他の著書や「歴史民俗学研究会」学派の所論、沖浦氏の著作、また現在においては最も有名な「サンカ」研究家であろう筒井功氏の著作等を、順繰りに追っていきたく思います。

 

2018/11/02追記

 先日Twitter上で、本書における三角寛と沖浦氏の評価についてご質問を頂きました。この点は当初、本稿でも触れようと思ったのですが上手く組み込めなかった部分だったので、折角なので私の返答を一部改稿の上で転載しておきます。

 まず礫川氏が三角論文を完全否定していない理由についてですが、三角は実際に「サンカ」と接触し、何らかの関わりを持っていたことは確かだろうとされているので、彼の研究にもある程度は現実のことが反映されているだろう、と著者は解釈しているのかと思われます。それに加え、著者が主催する歴史民俗学研究会の主要メンバーである飯尾恭之氏が、三角論文を再評価する見解を出していることも大きく影響していると考えられます。

 本書では三角論文についてそれほど掘り下げられてはいないのですが、同著者による『サンカと三角寛』という本があるので、追々そちらも読んでみようと思います。

 

 次に沖浦氏への批判についてですが、礫川氏は沖浦論の問題点を主に2つ指摘しています。

 そのうち一つが近世発生説なのですが、礫川氏の近代発生説はあくまで「近代以降に犯罪者集団として捉えられたサンカ像」についての話であり、それとは別に「伝統的漂泊民としてのサンカ」が近代以前に存在したものと捉えています。本書でその起源についての見解は保留されていますが、それは沖浦氏の想定した近世末より遡るだろうと礫川氏は推測しています。

 もう一つは、各地の漂泊民を括るには問題の多い「サンカ」という言葉を、沖浦氏は緒論で「あまりにも安易」に実体化して使用している箇所が多い、という点が問題視されています。

 ただ読んでいて私が引っ掛かったのは、礫川氏は「サンカ」を実体化して捉えるべきではないと言っている割には、一つ目の沖浦批判にて「伝統的漂泊民としてのサンカ」なる言い回しを用いているところです。結局、礫川氏も「サンカ」を実体化してないか? と疑問に思いながら読んでいたのですが、ここら辺は私の読み込みの問題かもしれないので自身の無いところです。

*1:福田アジオ他編 2006『精選 日本民俗辞典』吉川弘文館、p233

*2:一応、インターネットアーカイブを使って一部を閲覧することは可能。

*3:礫川氏の抱いた三角サンカ論の印象は以下の通り。

「三角が研究の中で強調しているのは、伝承(由緒)、組織(統制)、漂泊生活の三つである。それぞれが全くのフィクションではないと思うが、余りに話が整然としていて、誇張または創作が含まれているとしか思えない。
 逆に三角が伏せているのは、犯罪性、浮浪性、被差別性という問題である。特に犯罪性については、三角はそれまで、いろいろなとこおで書いてきたし、材料はいくらでも持っていたはずなのに、なぜかこの問題の扱いが消極的なのである。〔p104〕」

 ただそうなると、三角論のどの部分が「現実」と言えるのか、という点をはっきり指摘しておく必要があると思いますが。

*4:そうなると結局「サンカ学」なるものは成立するのか、という根本的な疑問も浮かびますがここでは横に置いておきます。