河原に落ちていた日記帳

趣味や日々の暮らしについて、淡々と綴っていくだけのブログです。

【読書備忘録】『怪異学入門』(2012)

怪異学入門

怪異学入門

 

 小松和彦氏による民俗学・人類学ベースの「妖怪学」に対し、歴史学ベースでの「不思議な物事」の研究を目指す、東アジア恠異学会。変換しにくい

 本書は当会の提唱する「怪異学」のエッセンスを纏めた入門書となります。

〈内容紹介〉岩田書院公式HPより引用
 東アジア恠異学会創立10周年を記念し、『怪異学の技法』『亀卜』『怪異学の可能性』に続き、これまでの研究成果を「入門書」として刊行。
 第1章では、王権と怪異、怪異の流出、知識人の系譜、を柱に、怪異学の視点を語る。
 第2章では、不思議なコトやモノを分析する方法を具体的に提示した論考5編を収録。
 第3章では、学会創設者へのインタビューを通じて、新しい学問が誕生する軌跡を辿る。

 

 以前、東アジア恠異学会の最新著書である『怪異学の地平』の紹介記事を書きましたが、そもそも「怪異学」が何を目指す学術的営みなのかを整理したく思い、本書を読んでみました。全部で150頁ほどのコンパクトな分量なので、気軽に読むことができます。

 まず本書の目次を紹介しますと、以下のようなモノとなります。

はじめに(大江篤)
特別寄稿:『怪異学入門』発刊によせて(京極夏彦

第一章「怪異学を語る」
◎座談会「怪異学の成果と課題」大江篤×榎村寛之×化野燐(司会・久禮旦雄)
✧コラム「柳田國男」(大江篤)/「亀」(島田尚幸)/「縁起」(鬼頭尚義)

第二章「怪異学を学ぶ」
・古代史料(史書・法典)と怪異(久禮旦雄)
・説話集と怪異(久留島元)
・古記録と怪異(高谷知佳)
・近世学芸と怪異(木場貴俊)
・中国社会と怪異(佐々木聡)
✧コラム「神社」(榎村寛之)/「志怪」(佐野誠子)/「城」(南郷晃子)/「疫病神」(笹方政紀)/「白澤」(熊澤美弓)

第三章「怪異学を辿る」
◎インタビュー「怪異学の軌跡」 西山克(聞き手・高谷知佳)
✧コラム「化け物」(木場貴俊)/「妖怪」(化野燐)/「魔」(久留島元)

附録 さらに学びたい人のために(ブックガイド)

 全体的な構成としては、第一章で怪異学の成果がまとめられ、第二章で怪異学の具体的な研究方法が古代~近世に至るそれぞれの史料から例示され、第三章で怪異学誕生の経緯が振り返られる、という流れになっています。

 そして本書で一番重要なのは、第一章ではないかと思います。第一章では、大江篤氏・榎村寛之氏・化野燐氏の3者による座談会という形式で、「王権と怪異」「怪異の流出」といった怪異学の重要な視点がまとめられているからです。

 正直ここは座談会形式にするよりも、普通に論考として書いた方が良いのではと思ってしまいました。3人(司会を含めれば4人)の会話という形式上、全体として話が整理されていないと言うか、だいぶこんがらがっている感じがしまして。

 その辺はいったん置いて内容について少し紹介してみると、小松和彦氏主導の「妖怪学」と比較して特徴的に見えるのが、「怪異の流出(流出論)」という怪異学独特の考え方です。

 これは、古代社会では怪異は国家によって管理されていたが、時代が下るごとに民間に怪異が流出していく、という見通しです。

 まず古代においては、何か異常現象が起こった際には国家が卜占などの手段を通じて「怪異」を認定し、神の意思表示などと説明して処理が行われる。しかし時代が下るにつれ、「怪異」は国家の管理から流出して王権周辺で「お化け」的な存在として語られるようになり、近世に至って「怪異」は完全に王権から離れて「俗化」していく…という流れかと思います。

 この見通しは、政治史的な怪異の位置づけを考える上で興味深く思うのですが、では古代・中世において民間側は積極的に「怪異」を語る主体とはなり得なかったのか? という点が気になったりしてしまいました。まぁ史料に残っていない以上、論じるだけ無駄なことだとは思うのですが。「史料に残っていないがきっとあったはずだ!」という議論は無意味以外の何物でもありませんし。

 また、近世で国家が怪異を手放すのだとすれば、怪異学は近代以降をどのように扱えるのか、という疑問も湧きます。第二章の個別事例研究は面白いですが、時代は近世までしか及んでいません。

 ちなみに第三章は、東アジア恠異学会発足の当事者である西山克氏のインタビューを通じて怪異学の軌跡を振り返るというものですが…うーん、ここは要るのかな。 

 しかし、西山氏と「小松妖怪学」との決別のエピソードは、少し興味深いですね。

 僕が報告したときだったと思うけど、小松さんが「歴史の研究者はすぐに話を王権に持っていく」という意味のことを言われた。たぶん批判的に。僕はそれにカチンときたのです(笑)。そもそも王権が怪異を認定するわけだから、王権を外したら、古代・中世の怪異は語れなくなる。〔p135〕

 詳しい文脈は分かりませんが、こうした視点のズレが顕在化したことがきっかけで、西山氏は小松氏主導の共同研究から降りた、とのこと。

 小松氏は妖怪学の研究には学際的な視点が必要だと述べていますが、やはり異なる学問同士の方法論や視点の違いは厳然と意識されることがあり、「学際的研究」の難しさが窺えるエピソードです。東アジア恠異学会も学際的研究を目指しておられますが、そこら辺の折り合いはどうつけているのでしょう。

 

 では最後に私が一読した印象をまとめますと…本書で怪異学の理論的な枠組みを押さえるのは、少々厳しいのではないかと思います。

 とは言え単純に私の理解不足が大きく祟っているだけとは思いますので、東アジア恠異学会によるその他の著作も読んで、怪異学の枠組みをできるだけ理解したく思います。