河原に落ちていた日記帳

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【読書備忘録】小池壮彦『心霊写真 不思議をめぐる事件史』(2005)

心霊写真 不思議をめぐる事件史 (宝島社文庫)

心霊写真 不思議をめぐる事件史 (宝島社文庫)

 

 明治時代から現代に至るまでの「心霊写真」の歴史を、様々な資料を辿りながら追った労作です。

 著者は、バラエティ番組『奇跡体験!アンデリバボー』の「怪奇探偵」として知られる作家、小池壮彦氏。……と、著者紹介に書いてあるのですが、テレビをまともに観なくなって久しく、小池壮彦氏の名前もテレビとは全く関係のない媒体で初めて知りました。不勉強で申し訳ない。

 本書は元々2000年に宝島社新書から刊行されたもので、2005年になり増補・改訂版が文庫として出されており、私が読んだのもこちらの再発版となります。

〈内容紹介〉※Amazon商品紹介欄から引用
 写ったのは本物か否か? 明治の写真師が、日本初の「心霊写真」を撮影した歴史的瞬間から、疑惑のカットが全国規模で大騒動を巻き起こした戦後、そして家庭用ビデオに「幽霊」が発見された現代まで…ニッポン人は、写真や映像の中に、いかにして「幽霊」を発見してきたのか?「怪奇探偵」として名高い筆者が、徹底リサーチによって、異端の「心霊事件史」を炙り出す不朽の名著。

 

 本書の目次構成は、以下の通り。最後の「補章」は、文庫化に当たって増補された部分です。

まえがき

序章 幕末日本に「心霊写真」はあったか
写真術の輸入/写真に死装束が写る

第一章 日本最古の「心霊写真」
国産初の「心霊写真」はどこで撮影されたか/三田弥一が撮った「心霊写真」/事件の年月を特定する

第二章 明治の日本と「心霊写真」
「重ね撮り」の技術開発/「心霊写真」を修整する

第三章 「幽霊写真」VS「念写」
「心霊」という語/「心霊写真」は「念写」か

第四章 「心霊+写真」の成立
大正初期の心霊事情/「霊写」VS「念写」/「心霊写真」VS「幽霊写真」/「心霊写真」という語の定着

第五章 エロ・グロ・心霊
大正の「心霊写真」事件簿/「心霊写真」とモダニズム/国家が邪教を育てる/石川雅章VS心霊科学/浅野和三郎福来友吉

第六章 「心霊写真」のポスト・モダン
魔術眼論争/徳島発・競艇写真の怪/写らない兵士の悲劇/跋扈する反動的心霊主義/「心霊写真」のポスト・モダン

第七章 亡者たちの宴の始末
手軽に撮れる亡者たち/「心霊写真」の俗語化/石碑に浮かぶ幽霊/テレビに映る亡者たち/怪談を零落させたもの

終章 世紀末の「心霊ビデオ」
「念写」研究のその後/霊能者の罪障/世紀末の心霊ビデオ/逸脱する亡者の映像

補章 新世紀の「心霊写真」
デジタル時代の"ゴースト"/ある写真の逸話/母の声/幕末日本の心霊写真

あとがき/文庫版のためのあとがき

参考資料 ①ビデオリスト ②DVDマガジンリスト ③文献リスト ④年表

 小池氏は怪奇・怪談系の著書や記事を多く著している作家の方ですが、よくぞこんなに詳しく調べ上げたものだと驚くべき内容です。日本のオカルト界、また怪談界の一角を担ってきた「心霊写真」というジャンルについて、これほど優れて整った通史はないでしょう。

 本書ではそもそも「心霊写真」という言葉がどのように成立し、いつ頃一般化したのかという点にも触れられており、学術的な参照にも答え得るレベルの高い「日本心霊写真史」が叙述されています。

 小池氏は本書のまえがきにて、「「日本心霊写真史」の記述というのは、先例となる仕事がないことから、当面は本書が唯一の通史ということになる。もとより、私なりの考えに基づく鳥瞰図を作ってみたに過ぎないが、これだけでも今後の研究の叩き台にはなるだろうと思う〔p6-7〕」と述べています。実際に、本書の旧版の後に出た論文集『心霊写真は語る』*1では、多くの論考で小池氏の仕事が引き合いに出されており、「今後の研究の叩き台」として十分な役割を果たしていると言えるでしょう。

 本書の内容をここでくだくだしく書くことはしませんが、個人的に興味深く思ったことを一つか二つか三つほど。

 まず幽霊の写った写真、所謂「心霊写真」は、現在確認できる限りでは明治12年(1879)まで遡れるのですが、明治~大正期の「心霊写真」は現代とは全く違った文脈で語られていた、ということが明らかにされています。

 その頃は欧米由来のスピリチュアリズム、つまり「心霊主義」が日本の知識人層にもかなりの影響を与えていた時期でした。そして「心霊写真」は、人間の霊魂がカメラに写し出されたものとしてその実在を証明するものである、というような言説が「心霊科学」として大真面目に語られていた時代でした。

 とは言えこの辺りの潮流はけっこう複雑であり、詳しくは本書を読んだ方が早いくらいなのですが、こうした心霊科学の議論から「心霊写真」という言い回しも生まれてきた、という点は重要でしょう。

 では、現代の怪談文化に直接繋がるような「心霊写真」が現れるのは、いつ頃のことになるのか。小池氏はその時代を、トリックによって意図的に作り出されたタイプの「心霊写真」でなく、背景物やカメラのノイズが偶然人の顔に見えるタイプのものが主流になる昭和40年代に設定し、これを「心霊写真のポスト・モダン」と称しています。

 こうして昭和四十年代は、「心霊写真」にとって新たな時代の幕開けとなった。幽霊の顔が明らかに「切り貼り」によるものだったり、見るからに「二十露出」であるというような写真ではなく、光のいたずらによって見ようによっては幽霊の顔が写っているように見える、というタイプの写真が主流となった。ここに「心霊写真」は、本格的にポスト・モダンの時代を迎えた。それは創作の労力がいらないことから、大量生産が可能であった。(中略)
 ポスト・モダンの「心霊写真」は、要するに、誰でも撮れる普通の写真である。「念写」のように、特別な能力者(奇術師も含む)を必要としない。いつでもどこでも、誰もが手軽に撮ることができる。それが「心霊写真」の大衆化を急速に推し進めた。〔p152-153〕

 そして70~80年代のオカルトブーム全盛期に、一般人が偶然撮れた「心霊写真」をマスコミに投稿し、霊能者等が写真の「鑑定」を行う、というスタイルが一般化したと言います。

 オカルト史の研究書を読んでいていつも思うのですが、70~80年代という時代は、どう考えても異様な時代だとしか思えません。自分がリアルアイムで経験していないということもあるのでしょうが、今現在から見れば、当時の新聞や雑誌がこぞってオカルトネタを記事にしていたという事実は、異常でしかないでしょう。

 ただ、こうした風に話題になりすぎたのと、オウムの一件も手伝い、「心霊写真」ネタは他のオカルトネタとともに飽きられていきます。こうして「心霊写真」は過ぎ去りしブームとして忘れられていく……かと思いきや、なんと世紀末になって息を吹き返します。「心霊写真」はその生息地を、ビデオという当時の最新機器へと移動することにより、新たな息吹を芽生えさせたのです。

 そうして「心霊ビデオ」が盛んに出現した流れに沿って、『リング』などの名作ホラー映画が生まれたのは周知の通り。「心霊写真」は、時代の最新技術に写り込んでいくことで、今日まで連綿と息づいてきたのです。

 さて本書では、最近では「心霊写真」は「心霊ビデオ」や「心霊DVD」に活躍の場を移している、という指摘がなされているのですが、あくまでもそれは刊行当時の2005年現在での話。本書刊行から13年経った2018年現在において、「心霊写真」はどんなメディアで活躍しているのでしょう。

 現在はインターネットやスマホといった技術が高度に一般化してしまった時代ですが、それらにも「心霊写真」は写り続けているのでしょうか。

*1:一柳廣孝編 2004『心霊写真は語る』青弓社