河原に落ちていた日記帳

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【読書備忘録】村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 全2巻 完結セット (新潮文庫)

 やれやれ系主人公が跳梁跋扈することで知られる村上作品のうち、4作目の長編小説に当たります。

 古本屋で売られていた文庫版を買ったのですが、何故かその店には上巻しかなかったので、下巻は新しく定価で購入しました。

 ところが運悪く2010年に新装版が出てしまったため、上下巻で装丁が全く違うというちぐはぐな事態に陥ってしまいましたが、読む分には何も問題ないのでよしとします。

 

〈あらすじ〉Amazonの商品紹介欄より引用
 高い壁に囲まれ、外界との接触がまるでない街で、そこに住む一角獣たちの頭骨から夢を読んで暮らす〈僕〉の物語、〔世界の終り〕。老科学者により意識の核に或る思考回路を組み込まれた〈私〉が、その回路に隠された秘密を巡って活躍する〔ハードボイルド・ワンダーランド〕。静寂な幻想世界と波瀾万丈の冒険活劇の二つの物語が同時進行して織りなす、村上春樹の不思議の国。

 

 最初に断っておきますと、本稿において作品内容の解説・解釈は一切行いませんので、ご了承ください。一応ネタバレ注意でもあります。もっとも、本編未読の人が当記事を読んだところで、ただただ意味不明なだけだとは思います。

 さて、村上春樹氏といえば毎年のようにノーベル文学賞受賞を期待されている小説家であり、作品を読んだことはなくとも名前だけは知っているという人も多いはず。

 そして毎年のように「受賞ならず」と勝手に残念がられていますが、そうした一連の流れそのものがもはや年中行事化していると言えましょう。

「ハルキがノーベル賞に落ちてくれないと秋が来た気がしない」という方も何人かはいらっしゃるのではないでしょうか。

 しかし村上作品は、「ハルキスト」と呼ばれる熱狂的なファンの存在もさることながら、親の仇の如く批判するアンチも数多いことで知られます。ここまで好き嫌いが激しく分かれる小説家というのも珍しい。

 ちなみに私はどうかと言えば、そう嫌いではないが、大好きとも言えない……という非常に微妙な線です。しかし、何となく気になるから目についたものを読んで、読了後に「よく分かんねぇな」とモヤモヤする、てなことを繰り返しています。

 とは言えそこまで多くの村上作品を読んでいるわけではないのですが、恐らく何冊読んだところでこの微妙な評価が変化することはないでしょう。

 

 では本題の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』について見ていきますと、あらすじの通り〔世界の終り〕と〔ハードボイルド・ワンダーランド〕という2つの物語が、交互に並行して語られていきます。
〔世界の終り〕は抽象的なお伽噺のような、〔ハードボイルド・ワンダーランド〕はSF冒険活劇のような印象です。

 最初は全く無関係の2つの物語が同時に進行しているように見えるのですが、話が進むにつれて段々と両者の関係が明らかになっていきます。

 結論から言ってしまうと、〔世界の終り〕の物語は〔ハードボイルド・ワンダーランド〕の主人公が持つ深層意識を映像化したものです。何を言っているか分からないと思いますが、読めば分かるとしか言いようがないです。この要約も的を射ているものかどうか自信がありませんが、そう間違っている訳でもないと思います。

 とにかく奇想天外な設定が複雑に交差して展開していく作品であり、そのストーリーを簡潔に纏めることは困難を極めるため、当記事ではあらすじを説明するという試みを全て放棄します。

 私は過去に、同作者の『海辺のカフカ』と『ノルウェイの森』の2作を読んだことがあるのですが、やはり簡潔にストーリーを追いづらい展開だと感じました。しかし今作は、それらにも増して説明しづらい。

 一言で表せば、「変な小説」です。
 村上作品は大体が変だとは思いますが、群を抜いて変なのではないでしょうか。*1

 しかしだからと言って、この作品の何もかもが荒唐無稽なわけではありません。
 むしろ荒唐無稽な設定や展開が非常に緻密に組み立てられたストーリーは、読む者をぐいぐいと惹きつける魔力があります。少なくとも私にとってはそうでした。

〔世界の終り〕と〔ハードボイルド・ワンダーランド〕、この2つがどのように繋がっていくのか。そして真実が明かされてから終盤にかけて、物語は一体どのような結末を迎えるのか。世界は、終わってしまうのか。
 村上氏特有のオシャンティな趣味に関する蘊蓄がだらだらと続く脱線箇所は少し辟易しますが、それでも読み進めざるを得ないような不可思議な吸引力を持つ作品です。

 しかし〔ハードボイルド・ワンダーランド〕の結末をネタバレしてしまうと、結局「世界は終わり」ます。正確に言えば、主人公が自らの脳内にある〔世界の終り〕に陥ってしまう、と言うことですが。
 有体に言ってしまえば、主人公は脳の機能に異常が起きて意識不明の状態に陥り、そのまま物語は終わります。

 しかも主人公は、そのことを事件の黒幕とも言える「博士」に告げられてからも、生き延びようともがくことなく割とあっさり「世界の終り」を受け入れてしまいます。

 一応、「世界が終わる」までに主人公が涙を流すなど感情が溢れだす描写はあるのですが、これまた村上氏特有の無機質な文体もあり、とりあえず事務的に涙を流しているようにも見えてしまいます。

 そして特に何も解決しないまま、主人公は気になる女の子とセックスしてから〔ハードボイルド・ワンダーランド〕の物語は「世界が終わる」ことで幕を閉じます。

 当記事ではあまり触れられませんでしたが、〔世界の終り〕の主人公も、結末では非常に中途半端な選択をして終わります。
 影を殺し「街」の中で幸せに暮らすのでもなく、影と共に「街」の外へと脱出するのでもなく。

 

 読了後、改めてこう思いました。「変な小説だナァ」と。

 下巻表紙裏のあらすじには「村上春樹のメッセージが、君に届くか⁉」という一文があるのですが、恐らく私には届かなかったと見ていいでしょう。
 それは多分私の脳が、こうしたメッセージを受け取れるようには出来ていないということだと思います。こればかりは仕方のないことです。

 もちろん読了後、何も感じなかったわけではないのですが、それは何かが見えそうで見えないモヤモヤとした捉えどころのない思考や感情であり、到底整理して文章化できるものではありません。

 しかし考えるに、それはそれで一つの捉え方としてはありなんじゃないか、とも思います。

 読了後、軽くネット上で今作のレビュー記事を調べて読んでみました。それぞれ見解の違いはありますが、どれも非常に明快に、そして分かりやすく今作に籠められた「意味」を解釈しておられました。

 しかしそれらを読むたびに、軽い「落胆」のようなものを覚えたのも事実です。それは決して、個々のレビューに対し上から目線な反感を覚えたわけではありません。
 ただ、その明快な一種の「答え」を見ることによって、自分が作品を読んだ後に湧き出たモヤモヤとした感情が薄まってしまったように思えたのです。

 モヤモヤとしたものに輪郭を描き、理解しやすい形にして受け入れる。それは一つの手ではあります。

 しかし、モヤモヤしたよく分からないものを、敢えてよく分からないまま受け止める。そうした受容の仕方も悪くはないのではないでしょうか。

 結局私はこれからも、村上作品をぼつぼつと読み続けることでしょう。そしてその度に、「よく分からん変な小説だナァ」と呟くはずです。ファンの方は怒るかもしれませんが、それでもいいんじゃないかな、と思っています。

 村上春樹、本当に変な小説家です。

*1:とは言え先述の通り、村上作品をそうたくさん読んでいるわけではないので、今後この評価が変わる可能性はあります。