河原に落ちていた日記帳

趣味や日々の暮らしについて、淡々と綴っていくだけのブログです。

【日記】京都の祇園祭へ。

f:id:iamr0b0t4:20180714221058j:plain 綾傘鉾

 梅雨が明けて良い天気が続くので、京都の祇園祭へ行って来ました。

 とは言え初めてでも何でもなく、京都の大学へ通っていた頃は毎年ぶらぶらと見物していました。

 祇園祭は日本を代表する祭礼の一つであり、また近年ユネスコ世界遺産に登録されたことも手伝って、毎年無駄に多くの観光客が訪れます。

 とにかく暑いわ人も多いわで帰る頃にはへとへとになるのが関の山なのですが、何だかんだで卒業した今でも通ってしまいます。

f:id:iamr0b0t4:20180714221650j:plain 菊水鉾

 そもそも祇園祭とは東山にある八坂神社の例祭であり、その起源は平安時代の「御霊会(ごりょうえ)」に遡るとされます。「御霊」とは非業の死を遂げた人物の怨霊のことで、当時は御霊が人々に疫病等の災厄をもたらしていると信じられていました。
 そうした御霊を鎮めるために行われた祭礼が「御霊会」であり、つまり祇園祭は元々怨霊を鎮めるための祭りであったということになります。

 八坂神社自体の歴史も複雑で、江戸時代までは「祇園社」と呼ばれることが普通で、これが「祇園祭」の名称の由来ともなっています。当時はいわゆる神仏習合の状態であり、祇園社天台宗支配下にありました。八坂神社と呼ばれるようになるのは、明治以降の神仏分離以降です。

 現在の八坂神社はスサノオを祭神としていますが、江戸時代までは「牛頭天王」という仏教由来の神が祀られていました。牛頭天王は元々仏教の守護神ですが、日本においては疫病を司る疫神として信じられるようになり、そこでこの神を祀り鎮めることによって疫病が抑えられるという信仰が発達していったのです。
 祇園祭は、元々は疫神の象徴たる牛頭天王を祀る祭礼だったと考えられます。

 現在、祇園祭を観光している人々は、こういった歴史を知らずにただ有名で賑やかだからという理由で来ている人も多いでしょう。しかし、別に信仰心を持つ必要はないと思うので、こうした歴史を知った上で祇園祭を見物していくのも面白いと思います。*1

f:id:iamr0b0t4:20180714225405j:plain 函谷鉾

 さて、毎年7月17日が前祭の山鉾巡行ですが*2、私は巡行を見物したことはありません。なぜって暑いし、人もいつもに増して多いし……

 しかし実はわたくし、山鉾巡行に一回だけ引き手として参加したことがあります。それと言うのも、大学の講義として祇園祭の運営に関わる授業を受けたことがあるからです。

 日本三大祭の一つにも数えられる祇園祭に関われることに加え、簡単なレポートを書けば単位も貰えるというお得さにより、毎年受講生を多く抱える人気講義です。

 男子は前祭における綾傘鉾の巡行を担当することになるため、暑いながらもまたとない貴重な体験となります。

 そんな美味しい話に飛びつかない訳もなく、当然私もその講義を受講していました。が、現実とは理不尽なもので、その年の巡行日にタイミングよく台風が直撃。多くの府県で暴風警報が出る中、何故か京都市だけ警報が出されず、巡行は強行されることに。

 激しい風雨で体を蝕まれながらも無事に巡行を終えましたが、真夏なのに関わらずしばらく寒さで体が震えていたことを今でも思い出します。

 

 そんなことを思い出しながら四条通をぶらぶら歩いていたところ、偶然にも学生時代の友人と再会することに。

 祭りの中心地から離れ、高瀬川沿いのとあるカフェに入り、積もる話に花を咲かせたのでした。*3

 私が注文したのは、チョコレートのカクテル。普段このような洒落た店などまず入ることがないのですが、偶に入ってみると楽しいものです。そうした店はだいたい値段が高いのが欠点ですが。

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 何だかんだでもうすぐ宵宮、そして山鉾巡行ですが、今年は晴れたらいいですね。

*1:ちなみに祇園祭で一番有名な山鉾行事は、室町時代辺りに成立したものと考えられています。しかも現在、八坂神社は山鉾行事にほぼ関与しておらず、八坂神社の祭礼と山鉾行事はそれぞれ独立した別の祭りと言っても過言ではありません。その辺も様々な面白い歴史が関わっているのですが、長大になるのでここでは触れません。

*2:後祭は7月24日。

*3:これだけ書くと何ともオシャンティーな人に見えますが、かなり下世話な話にも花咲かせていました。