河原に落ちていた日記帳

趣味や日々の暮らしについて、淡々と綴っていくだけのブログです。

【読書備忘録】『南方熊楠 人魚の話〈STANDARD BOOKS〉』(2017)

南方熊楠 人魚の話 (STANDARD BOOKS)

 図書館で借りて読みました。

 民俗学者博物学者として著名な、南方熊楠(1867~1941)の随筆集です。

 

〈内容紹介〉Amazon商品紹介欄より引用
 生誕150周年の知の巨人の膨大な原稿を1冊に精選。自然科学、民俗学、宗教学等を横断し、古今東西を渉猟できる未知の読書体験。

 燕石を所持する人間は至福の人だということになる―生誕150周年、全身で学問を謳歌した知の巨人、ここにあり。

 

 わたしは元々民俗学を齧っていた身なので、南方熊楠という人物についても一応知ってはいました。

 神社合祀反対運動や柳田國男との交流・確執、また昭和天皇への粘菌献上など、その生涯は様々なエピソードで彩られています。

 複数の学問を横断する膨大な知識を有し、正に「知の巨人」と呼ぶに相応しい博学ぶりと同時に、同時代人から引かれるような奇人変人ぶりを発揮したことでも有名です。

 しかしそうした逸話だけを又聞きしていた私は、熊楠その人による学問に今まで触れたことがありませんでした。そんな折に図書館の書棚を眺めていてこの本を見つけ、頁数も手ごろだったので手に取ってみたというわけです。

 読了後、民俗学の立場からは熊楠の学問はどのように捉えられているのかが気になり、『精選 日本民俗辞典』(2006)を開いてみました。本辞典は、現在刊行されている中では最新の民俗学事典である『日本民俗辞典』(上下巻)の精選版です。

 しかし驚いたことに、本辞典には「南方熊楠」が立項されていなかったのです。

 無論、元々の『日本民俗辞典』にはちゃんと項目があるのですが、精選版の方に立項されていないということは、穿ってみれば彼の仕事が学史的にはあまり重要視されていないということの証左ではないでしょうか。

 有名すぎるくらい有名でありながらも、学史上での位置付けがなされていない。
 そこが却って、熊楠という男の特異性が浮き出ているようにも思います。

 

 駄文を一通り連ねたところで、本題である書籍の内容について紹介してみます。

 本書は平凡社が出している「STANDARD BOOKS」という随筆シリーズの一つです。主に自然科学者の執筆した随筆を集め、手ごろなサイズの本として一書に収めています。

 本書に関しては、出版された年がちょうど熊楠生誕150周年となることから編纂がなされたのだろうということが、栞の謳い文句から窺えます。

 その内容は、随筆集らしく様々な内容の随筆が並んでいます。
 一つひとつの文章はあまり長くないため、古い文体に慣れさえすれば、暇な時間に軽く読むことができるでしょう。

 しかしそんな短い文章からでも、熊楠の博学さは充分に味わうことができます。
 彼の論の立て方は、一つのテーマに関する事象を古今東西様々な文献から引用し、読者の眼前に提示するというもの。膨大な知識量でもって、読む者を圧倒させます。

 しかしそんな圧倒的な情報を提示する中、唐突に下ネタを挟んでくるのはご愛敬。

 例えば、表題作でもある「人魚の話」では、途中こんな一節が出てきます。

(人魚と姦淫する話が多いことに関して)すでに我が国馬関辺では、鱝魚(アカエイ)の大きなを漁して砂上に置くと、その肛門がふわふわと呼吸に連れて動くところへ、漁夫夢中になって抱き付き、これに婬し畢り、また、他の男を呼び歓を分かつは、一件上の社会主義とも言うべく、どうせ売って食ってしまうものゆえ、姦し殺したところが何の損にならず。情慾さえそれで済めば一同大満足で、別に仲間外の人に見せるでもなければ、何の猥褻罪を構成せず。[p98]

マナチ(註:マナティーのこと)は南米と西アフリカの江河に住む。二属ともあまり深い所に棲み得ず。夜間陸に這い上がり草を食い、一向武備なき柔弱な物ゆえ、前述の通り人に犯されても、ハアハア喘ぐのみ、好いのか悪いのかさっぱり分からず。さて人間は兇悪な者で、続けざまに幾日も姦した上、これを殺し食う。それゆえ、この類の全滅は遠からず。[p103-104]

 現在こんなことを言ったら、様々な方面から怒られてしまいそうです。
 柳田國男なども、熊楠の唐突な下ネタには辟易していたとのことですが、恐らくこうした下ネタを含めて彼の「学問」だったのかもしれませんね。

 また本書の白眉の一つに、大正14(1925)年に執筆された「人柱の話」があります。こちらは青空文庫に全文が公開されているため、web上で読むこともできます

 本論において熊楠は、例の如く古今東西様々な文献から人柱の事例を網羅し、途中で次のように述べます。

本邦の学者、今度の櫓下の白骨一件などにあうと、すぐ書籍を調べて書籍に見えぬから人柱など全くなかったなどいうが、これは日記に見えぬから、わが子が自分の子でないというに近い。大抵マジナイごとは秘密に行うもので、人に知れるときかぬというが定則だ。それを鰻屋の出前のごとく、今何人人柱に立ったなど書きつくべきや。こんなことは、篤学の士があまねく遺物や伝説を探って、書籍外より材料を集め研究すべきである。[p119]

 要するに「日本でも人柱は行われていた」と彼は主張しているのですが、文中の「今度の櫓下の白骨一件」とは一体何のことでしょうか。

 この部分に注釈が付けられていないことが私にとって不満点なのですが、これは執筆当時に話題となっていた、皇居の人柱事件です。

 簡単に説明すると、時は大正14年関東大震災で倒壊した皇居の二重櫓の改修工事中に、何体もの人骨が古銭とともに掘り出され、「さては人柱では」と騒動になった事件です。

 公的には「工事中に亡くなった人夫を埋葬した跡」と結論付けられ、早々に幕引きが図られたのですが、世間ではゴシップ的な話題が盛んに喧伝されました。

 当時の知識人たちも様々な反応を示し、人柱実在論から否定論まで幅広い視点から議論が行われました。熊楠の「人柱の話」も、この事件を受けて書かれたものです。人柱や人身御供といった話題が、学術的に盛んに論じられた時代でした。

 しかし人身供儀の問題が、これ以降学問の表舞台で論じられることはほとんどありませんでした。
 それはこの話題が、日本民族論と強く結び付いてしまったからと考えられます。要は「日本人が人柱や人身御供なんて野蛮なことを行っていたわけがない」という、学問的というよりは多分に感情的な論理で語られてしまうようになってしまったのです。
 かの柳田國男も、かつては『一目小僧その他』で人身供儀の実在を説いていたのですが、後に(多分に民族主義的な)否定論へとシフトしています。

 しかしそんな中、南方熊楠は人柱に対してある種の超然とした態度をとっていたらしく、「こんなことが外国へ聞こえては大きな国辱という人もあらんかなれど、そんな国辱はどの国にもある[p121]」とまで言い放っています。
 ここまであっけらかんとした発言は、当時においてはかなり珍しかったのではないでしょうか。

 そういった訳で、本書にはこうした時代状況を窺える興味深い論考も収められてはいるのですが、やはりそうした解説に乏しいということが不満点でした。

 熊楠には他にも多数の評伝や論考集が出ているので、気が向けば今後は熊楠関連の書籍を手に取ってみようと思います。

 また不勉強なことに、柳田國男折口信夫などによる民俗学の古典的著作にもほとんど目を通せていないので、気になったものから読んでいきたく思います。

 

〈蛇足〉

神、人を喰う―人身御供の民俗学

六車由実『神、人を喰う 人身御供の民俗学』(2003)

 民俗学者による学術的な人身御供論として、他の追随を許さぬ名著だと思います。

 過去の人身御供を巡る議論を踏まえながら、人身御供譚の新たな解釈を示しています。

 なお六車氏は後に『驚きの介護民俗学』を著しており、全く別のベクトルではありますがこちらも名著です。