河原に落ちていた日記帳

趣味や日々の暮らしについて、淡々と綴っていくだけのブログです。

【日記】「ショーン・タンの世界展」へ行ってきた。

http://kyoto.wjr-isetan.co.jp/museum/images/exhibition/shaun_flyer_01.jpg

 現在京都駅ビル内にある美術館「えき」にて、「ショーン・タンの世界展――どこでもないどこかへ」が10月14日まで開催されています。

 ショーン・タンという作家を私は今まで知らなかったのですが、幻想的な宣伝ポスターを見て心惹かれたので試しに行ってみたところ、これがもう想像以上に素晴らしいものでした。

 まずショーン・タンとはどういった作家か、美術館公式HPにプロフィールがあったのでそこから引用してみます。

 1974年オーストラリア生まれ。
 幼いころから絵を描くことが得意で、学生時代からSF雑誌で活躍。 西オーストラリア大学では美術と英文学を修める。オーストラリア児童図書賞など数々の賞を受賞。2006年に刊行した『アライバル』は現在23の言語で出版されている。イラストレーター、絵本作家として活躍する一方、舞台監督、映画のコンセプト・アーティストとしての活躍の場を拡げている。約9年の歳月をかけて映画化した『ロスト・シング』で2011年にアカデミー賞短編アニメーション賞を受賞。
 同年、アストリッド・リンドグレーン記念文学賞も受賞。

引用元

 と言うわけで、現在も絶賛活躍中の方です。

 今回の展示を巡ってみてまず印象に残るのが、その奔放な想像力。

 奇妙な建物が立ち並ぶ光景の中を、おかしな生き物たちがわちゃわちゃと動き回る、そんな空想的な世界観がまず一番に目につきます。

 しかし作品一つひとつをじっくりと見ていくと、そうした一見ファンタジーのような世界の底には、極めて現実的で、かつ普遍的なテーマが流れていることがわかります。

 移民の生活を題材とした『アライバル』然り、日常に紛れ込んでしまった「異物」の居場所を探す物語『ロスト・シング』然り。

 また、作品によって様々な絵柄や表現技法が使い分けられているのも特徴的。人物描写が非常に写実的だと思えば、独特なデフォルメが加えられていたり、作品によってはコラージュなどの技法も用いられていたり。

 しかしそうした個性豊かな作品の数々が、全体として不思議な調和を保って一つの展示会場の中に集められているように感じます。うまく言えませんが、それがショーン・タンの持つ「作家性」というものなのかもしれません。

 

 さて、この展示の売店コーナーには図録も販売されていましたが、私はそれよりもショーン・タンの作品自体に触れたく思い、同所で販売されていた『アライバル』を購入しました。

アライバル

アライバル

 

「アライバル(Arrival)」とは、ここでは「到着した人」「新参者」の意味。

 先に述べた通り、いわゆる「移民」を題材とした作品です。

 本書を「絵本」と紹介する人もいれば、「グラフィック・ノベル」なる聞きなれない言葉で表現する人もいます。手法としては一つの頁にいくつかのコマ割りを施した、漫画のような構成がとられていますが、セリフや擬音などの文字を用いた表現は一切使われていません。

 読者は登場人物の置かれている状況やその心情などを、全て文字のない絵から想像しながら読み進めることになります。しかしだからこそ、本書に込められたメッセージ性がかえって色濃く強調されて浮かび上がってくることになります。

 主人公が「アライバル」として訪れるのは、とうていここと同じ世界とは思えない奇妙な風景が広がる街。まさに「どこでもないどこか」。

 しかしその非現実的な世界観で描かれる物語は、非常に現実感溢れるものなのです。

 例えば、主人公がパンを買うため言葉の通じない店の人に頑張って意思疎通を図るものの、結局よく分からない何らかの食べ物を渡されてしまうというシーン。怪訝な表情ながら試しに食べてみると、意外と悪くないな、という顔をしたり…

 新しい場所というのは、どこであっても最初は何もかもが奇妙に思えるもので、徐々にその奇妙さに自分自身が溶け込んでいくものなのでしょう。

 主人公が触れ合う人々は、それぞれ何らかの事情からこの奇妙な街に「アライバル」として訪れた人たち。劣悪な環境から逃げてきた人や、戦争の果てに流れ着いた人など…

 明るい事情から移り住んだのではなくとも、新たな土地でたくましく生きる人々の姿が、幻想的な光景のなか、非常に現実感のある筆致で活き活きと描かれています。

 全体としては決して明るい雰囲気とは言えませんが、日常を生きる人々のたくましさ、その姿の美しさが活写されており、本当にいい買い物をしたと思います。

 ショーン・タンの、懐かしくもシビアで、それでもなお優しさに溢れた「大人のためのおとぎ話」とでも言うべき世界。そこに入り込んでしまいたくなるようなような、しかし恐ろしくも思えるような、不思議な感覚に陥った一日でした。