河原に落ちていた日記帳

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【雑記】日本で初めて紹介されたネッシー写真?

 前回、前々回ではそれぞれ、戦前日本のマスメディアでネッシーはどのように報じられていたのか見てきました。

 この調べ物の副産物として、小ネタとして使えそうな搾りカスがちょっぴり溜まったので、いくつかまとめてみたいと思います。

 今回は、「外科医の写真」以前に実はネッシーの写真が日本で紹介されていた?という話題です。我ながら小ネタすぎる。

 

 テレビ番組でネッシーの話題が出ると、義務なのかと思えるほど頻繁に持ち出されるのが「外科医の写真」です。これは1934年4月21日に英新聞のデイリー・メール紙(誰が呼んだか「イギリスの東スポ」)で初めて掲載されたもので、それ以降のネッシー像に多大なる影響を与えました。結局現在ではフェイクだと判明した写真ですが、ネッシーの代表的なイコンとしての地位は揺るぎないままです。

 しかし不思議なことに、「外科医の写真」発表当時に日本でこの写真が話題となっていた形跡が今のところ見当たりません。その詳細は前回・前々回の記事を読んで頂ければ幸いです。

 しかしながら集めた資料をよくよく見てみると、なんと「ネス湖の怪物の写真」だというものが当時の新聞に載っているではありませんか! しかも「外科医の写真」発表以前の新聞記事です。

 とりあえず、その記事を以下に示しましょう。

 

 これは、1934年1月29日の毎日新聞に掲載された「眞か僞か、世界の謎 ネス湖の怪物を訪ふ」という記事です。記事の内容としては、ネス湖に訪れた毎日新聞社特派員による紀行文といった感じのものです。*1

 しかし記事本文はともかくとして、今見ておきたいのは記事の右上の方。ネス湖の概略図とともに、何やらさりげなく怪しげな影らしきものが見えます。

 

ネス湖附近の略圖とマンチエスター・ガーヂアン紙に現れた怪物の寫眞」

 

 これは! 「外科医の写真」以前に、確かにネッシーの写真なるものが日本の新聞に載っているではありませんか。最初この記事を見たときはさりげなさすぎて、うっかり見逃してしまっていました。

 ただ、こんなネッシー写真なんてあったかしらん? 「外科医の写真」以前に撮られたものとなると、たぶんヒュー・グレイの写真(1933年11月)か、マルコム・アーヴィンのフィルム(1933年12月)くらいしかないと思うのですが……。

 ちなみにこれが、「世界最初のネッシー写真」と言われるヒュー・グレイの写真です。何かが写っているのでしょうが不鮮明すぎてさっぱり分からず、「白鳥が水に頭を突っ込んでいるところ」だの「犬が棒を咥えて泳いでいるところ」だのとみんな思い思いのことを言っている写真です。

https://www.nazotoki.com/wp-content/uploads/2019/06/nessie3.jpg
(出典:超常現象の謎解き「世界一有名なUMA『ネッシー』」

 うーん、しかし新聞記事とは何か印象が違う。

 でもこの時点のネッシー写真なんてこれぐらいしかないしなぁ……と思いながら画像検索をしていると、こんな写真が目に飛び込んできました。

 

https://imgc.eximg.jp/i=https%253A%252F%252Fs.eximg.jp%252Fexnews%252Ffeed%252FReal_Live%252FReal_Live_32075_12a5_1.jpg,zoom=1200,quality=70,type=jpg
(出典:エキサイトニュース「湖に潜ろうとするネッシーの姿!? 「ヒュー・グレイの写真」の謎」

 写真自体は全く同じものですが、陰影の強調の加減が違います。実は前者のものはコントラストをかなり強調したもので、オリジナルに近いバージョンは後者の写真かと思われます。

 そしてこのバージョンを見たとき、気付きました。写真に写っている黒い影の部分だけを抜き出すと、毎日新聞に載った写真と酷似したものになる、ということに。

 

 

 恐らくコントラストの強調具合やアスペクト比などの違いによって、ヒュー・グレイの写真は見る者に与える印象が微妙に異なってくる面白写真なのだと思います。試しに「Hugh Gray」で画像検索してみると、色んなバージョンのヒュー・グレイの写真が出てきます。

 

 という訳で、戦前の日本でヒュー・グレイの写真が紹介されていた、ということはほぼ確実だと思います。しかし同時代の資料を見てみても、今のところ同じ写真を紹介しているものが他に見当たらず、それどころか当時の科学雑誌に「ネス君にした所で、度々現はれるとは云ふものゝ、一枚の冩眞も撮つてない始末*2と書かれるなど、全然知られていない状態だったようです。

 なぜ当時における「ほぼ唯一のネッシー写真」が知られていなかったのかは分かりませんが、毎日新聞の写真の載せ方がさりげなさすぎて、当時の人たちもあまり気付かなかったのではなかろうか……と想像したりします。

 そんなわけで結論としては、「1934年1月29日の時点で日本にネッシーの写真は紹介されていたが、全然広まらなかった」というのが実情だったと思われます。

 だからどうした! と言われそうな話ですが、こういう細かい事実の検証も大事だろうと思うので、ここはひとつ納得してください。

*1:特派員の名は石川欣一〔1895-1959〕。後に石川氏は、「ロホ・ネスにモンスターを見ざるの記」という随筆を書いています(1936年『随筆 ひとむかし』所収)。

*2:天田吳彥「ネス湖に世界を驚ろかす大怪獸の出現」『科学画報』22巻5号(1934年5月号)