河原に落ちていた日記帳

趣味や日々の暮らしについて、淡々と綴っていくだけのブログです。

戦前日本のネッシー報道【雑誌記事編】

『科学画報』1934年6月号表紙

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 前回の記事(↑)では、戦前の新聞でネッシー(ボビー君)がどのように報じられていたのか、色々ご紹介しました。

 さて今回は、戦前の雑誌ではネッシーがどのように扱われていたか、という点に焦点を当てていきます。

 とは言え現状、私が存在を確認できているのは国立国会図書館デジタルコレクションに収録されている以下の5つの記事だけです。恐らく未発掘の雑誌記事も数多いと思うので、これからの調査の進展に期待です(私の探し方が悪いだけかもしれないので、情報提供も無責任にお待ちしております)。

  1. ネス湖の怪物 廿世紀の不思議」『国際写真新聞』第49号(1934年2月)
  2. 「イギリスの湖に謎の怪物現る」『少年倶樂部』1934年3月
  3. 天田吳彥「ネス湖に世界を驚ろかす大怪獸の出現」『科学画報』22巻5号(1934年5月)
  4. 渡邊貫「ネス湖怪物の正體吟味」『科学画報』22巻6号(1934年6月)
  5. 山勢豊「ロツホ・ネスの怪物は果してゐるか」『雄弁』26巻9号(1935年9月)

※戦前の資料では「ネッシー」という呼び名は一切出てきませんが、当記事では便宜的に当該の怪物をそのように呼称します。

ネス湖の怪物 廿世紀の不思議」
 『国際写真新聞』第49号(1934年2月12日発行)

「天池之濱大江之濆 曰有怪物焉」
 不遇な唐の文豪は就職自薦狀の劈頭に、こう言つて先づ大氣焰を擧げて居るが、廿世紀の文明世界に所謂「常鱗凡介之品彙匹儔に非る」怪物が現れたとすれば、「それこそニユース」だ。「ロツホ・ネス」の怪物が、全世界ニユースダムの神經を極度に緊張させて居るのも無理があるまい。

 無記名で1ページのみの短い文章。記事冒頭で引用されている漢文は、韓愈の一節のようです。当時は誰でも知っているような一般教養だったのでしょうか?

 全体的な論調としては、ネス湖に怪物がいるということについて割と肯定的な記事で、「怪物と言つても、垣根にかゝつた瓢箪か、さもなくば枯尾花の類だらうと當代の文化人諸君は、最初頭からけなしてかゝつたものだが、(中略)懐疑派もスツカリ兜を脱いで了つた」とのこと。怪物の正体については、クジラやセイウチといった説に触れた上で、「爬蟲類「華かなりし頃」の遺物」という説をこの記事では推しています。

 記事の後半では、「エヂンバラの獣醫學生アーサー・グラント君」が深夜にオートバイで湖畔を運転中、道路上にいたという怪物の目撃談が紹介されています。グラント君が月明りで見たところによると、

  • 首は長く頭は小さくウナギのよう。大きな楕円形の目。
  • 身体は黒色または暗褐色。
  • 背に突起が2つ。腹の方に、前後にヒレのような脚が2本。
  • 尻尾の長さは5~6フィート。先は尖っておらず丸くなっていた。
  • 全長は15~20フィート。

とのこと。月明りで一瞬見たにしてはけっこう詳しい描写です。現場には「三本趾の足跡が残つて居た」ということで、証言に一定の信ぴょう性を持たせています。初期のネッシーはけっこう陸に上がっていたことが分かりますね。

 ちなみにグラント君、動物学も少しかじってはいるがこんな怪物は初めてとのことで、「蜥鰭類と海豹族の雑種ぢゃないでせうか」とコメントしています。「蜥鰭類」とはどうやら魚竜の一分類らしいですが、海豹(アザラシ)と交雑はしないでしょう。

 そして当地ではその怪物のことで話題がもちきりになり、一目見ようと観光客が大勢押し寄せるようになったという話で締めくくられています。そのエピソードの一つに、「スコットランドの映画会社がネス湖の怪物を映した映像をロンドンの映画館で公開した」というちょっと気になる話が書かれています。その映像は今残っていないのでしょうか。

 面白いのは、「湖畔の村人は「ボビイ」「ボビイ」と兄弟の様に大事にして、「主の禱」を忘れることがあつても、「ボビイ」様々を讃美すること*1を忘れない」という部分。新聞記事でも見た通り、やはり初期のネッシーは「ボビー」なのです。

(2022/8/13追記)

 上記に、ネス湖の怪物の映像が映画館で公開されたという話題を書きましたが、恐らくその詳細と思しき話が、ピーター・コステロ著/南山宏訳『湖底怪獣』(1976年、KKベストセラーズ)にありました。

 同書によると、1933年12月2日にマルコム・アーヴィンという人物が撮影したとのこと。そのフィルム自体は失われたそうですがスチール写真が現存しており、同書の冒頭に掲載されています。ただ、それを見る限りでは何か黒い波が写っているようにしか見えず、生物なのかどうかさえよく分からない写真です。

(追記ここまで)

 

「イギリスの湖に謎の怪物現る 世界中大さわぎとなる」
 『少年倶樂部』21巻3号(1934年3月号)

 子供向け雑誌に紹介されたネッシー。無記名で紙幅の2分の1程度の小さな記事です。短いので全文ここに引用できちゃうくらいですが、念のため一部だけ抜き出してご紹介。冒頭でネス湖の概要を簡潔に示してから、以下のように続きます。

 ここに世にも不思議な怪物が現れて、全世界の人々を驚かせてゐます。
 その起りは昨年の五月頃、湖の水面に、背中が眞黑で顔が馬のやうなとても大きい怪物がぽつかり浮かび、いつの間にかスーッと消えるといふ噂が立つたのです。
(中略)ある人は、前世紀に住んでゐた動物だらうといひ、ある人は水蛇の變り種だといつてゐますが、おそらく今地球のどこにもゐないものらしく、これが捕れば更に大さわぎでせう。(ロンドン・ニュースより)

 挿絵には湖面に浮かぶ3つのコブらしきものが描かれていて非常にそれっぽいのですが、これには何らかのイメージ元があったのでしょうか。

 ネッシーの話題はこの程度ですが、それよりも目についてしまうのは隣の記事「外國人が想像した人間魚雷」。その内容は「海外では、日本は人間を魚雷に乗せて特攻させる恐ろしい国だと、ありもしないことを喧伝している!けしからん!」という感じ。

 最終的な結末を知っている現在から見れば、魚雷ではなかったけど同じようなことしちゃったね……という微妙な気分になること請け合い。謎の怪物への盛り上がりよりも、日本に迫り来る戦争の気配を色濃く感じてしまいます。

 

 

天田吳彥「ネス湖に世界を驚ろかす大怪獸の出現」
 『科学画報』22巻5号(1934年5月号)

 最近の國際トピックの中に、方々の海洋や湖沼に出没する大怪獸を目撃したと云ふ幾つかニユースを、是非一枚加へなければならない。機械文明に食傷した近代人の末梢神經が、かゝる太初の幻影を生んだのか、或はホントに原始時代の大怪獸が、時機到れりとばかりに、人類に對して猛然と示威運動を開始したのか、何れにしても、聞流しに出来ない話ではある。

 戦前の科学雑誌に掲載されたネッシー記事です。執筆者の天田吳彥という人物については詳細不明。

 内容としてはネス湖の怪物をまず紹介したあと、同時期に話題となったカリブ海*2の怪物の話にも触れられています。「今度は大西洋東岸で、ネス湖以上の奴が現はれたと云ふので、日本の一流新聞迄が初號ミダシでデカデカと報道したものである」とあるのは、恐らく毎日新聞などによる報道を指しているものと思われます(前回のブログを参照)。

 記事によればそれら怪物の目撃情報を信用すると、いずれも20メートルを超える動物になってしまうとのこと。既知の動物で匹敵するものは絶滅した恐竜の「雷龍」*3くらいしかおらず、怪物の出現が事実であれば「ドエライことが起るのである」。

 ですが、やはりそこは科学雑誌。最終的には怪物について懐疑的な論調になり、いわゆる大海蛇の伝承と同じく人間の想像力が生み出した怪物ではないか、と論じられています。

 今度のカリビヤ君も、未だ海に馴れない船員の眼に、白長鬚鯨か、海蛇(どうかすると一〇呎からの大きな奴もゐるから)が、途方もなく大きく映じたのでは無からうか。又ネス君にした所で、度々現はれるとは云ふものゝ、一枚の冩眞も撮つてない始末なので、何処迄信を置いていゝか、一寸迷はれるのである。それにその樣な、動物の戸籍に未登記の怪物が實在してゐるなら、その死骸か、でなければせめて、その骨片か肉片位は、見付ける事があつていゝ筈である。

 ネス湖の怪物を撮った写真がない……「画報」というだけあり図版が多く載っていて見栄えのする記事ですが、確かによく見ると怪物の図版はいずれもイラストです。

 さて、前回のブログでも書いた通り、有名な「外科医の写真」の初出は1934年4月21日のデイリー・メール紙上のこと。一方この雑誌記事は1934年5月号の『科学画報』なので、一応「外科医の写真」発表後という時系列にはなります。ただ原稿の執筆時期や校正、そして雑誌の発売日といった諸々の要素を考え合わせると、「外科医の写真」の情報が記事に反映されていないのはむしろ当然のことと考えるべきでしょう。

 余談ですが、「外科医の写真」を差し引いても、この時点でネッシーの写真が一枚もないというのは正確ではありません。実は1933年11月の時点で、ヒュー・グレイという人物が「怪物を捉えた」と称する写真を撮っていたりします。ただこの写真というのが非常に不鮮明で、何が写っているのかさっぱり分からない代物なので、当時この情報は日本に広まらなかったものと思われます。

(余談ですが、日本におけるヒュー・グレイの写真の受容状況については以下の記事で少し触れています)

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渡邊貫「ネス湖怪物の正體吟味」
 『科学画報』22巻6号(1934年6月号)

 5月号に引き続き、『科学画報』で2回連続の登場となったネッシー。なんと表紙ではネッシーの想像図が一面に描かれており(ブログ冒頭画像)、インパクトのある表紙となっています。

 ただし、執筆者の渡邊氏によるネッシーに対する見方は厳しいものです。非常に、非常に厳しいです。以下、その舌鋒鋭い批判を一部引用してみると……

……何んとか面白おかしい話でもデッチ上げてみねばなるまいが、同じデッち上げるにしても、ネス湖の怪物位馬鹿馬鹿しい話はあるまい。日本でも一流の新聞が眞面目臭つて報導した所から見れば、本元の英國あたりの騒ぎが相當のもんであつたことは容易に想像される、第一圖のやうに大の男が手辨當で大童になつて怪物の正體を寫眞に取らうといふ態は正氣の沙汰ではない。(中略)一體、科學といふものに「驚異」だとか「大發見」とか「世界一」だとかいうふ最大級の形容詞を付けることが既に非常な誤りで、この點我が科學畫報の如きにも大いに責任があるが、そのために靑少年をして科學に對する誤った認識を持たせて飛んでもない結果を生じ易い。このロホ・ネス湖の事件も誤った科學知識が生んだ喜劇である。

 もう少しこう何というか、手心というか……

 ちなみに執筆者の渡邊貫[1898-1974]は地質学上において有名な人物で、「地質工学」という用語を提唱したことで知られており、ネット上でもいくつかその業績を論じた文章が出てきます*4。一科学者として、ネス湖の怪物という「非科学的」な話が許せなかったのでしょうか。

 面白いのは、批判の中に「映畫の「キング・コング」やコナン・ドイルの“Lost World“の夢が餘程手傳つてゐる」という指摘がある点です。実は③の記事でも、映画『キング・コング』(1933)に言及する部分がありました。古生物型のネッシーの目撃談が増えたのは、当時の特撮映画の影響ではないかという説は現在でもよく主張されることですが*5、そうした見方が当時からあったことが分かります。

 さて、その後は(当時における)科学的な事実を提示して、現在に「前世紀の怪獣」が生きている可能性が否定されています。渡邊氏いわく、巨大な爬虫類が氷河期を生き延びることはできない、とのこと。人々は大昔の恐竜の図だけを覚えて、その後の気候変動等の科学的な知識を頭から消し去ってしまうため、現在目撃された怪物と絶滅動物を結びつけてしまうのだ、という趣旨の主張がなされています。

 そして心理学における「集団幻覚」という概念を持ち出し、様々な怪物の目撃談も人間の思い込みによる誤認であろう、という話に収束していき、最初から最後まで一貫してネッシー完全否定の論調が貫かれています。今時、「オカルト否定派」な人でもネッシーに対してここまで怒らない気がしますが、当時は割とリアリティを持たれていたことの裏返しでしょうか。

 ところでこの記事で気になることは、文中に「第八圖は新聞社の寫眞班がネス湖で撮影した怪物の姿だというふことであるが、どうやらこれも一個の古い木の幹ではないだらうか」とあるのですが、その「第八圖」というのを見ると翼竜の想像図であり、怪物の写真などどこにもないのです。

 と言うより、本文に則するとどうやら当初は図版が第十圖まで載る予定だったのが、何故か怪物の写真だという第八圖が掲載されず、第九圖と第十圖の数字が一つ繰り下げられたことで、本文と図版の整合性が取れなくなっているようです。そのため渡邊氏の言及している怪物の写真というのが何だったのか、今となっては謎です。*6

 

 

山勢豊「ロツホ・ネスの怪物は果してゐるか」
 『雄弁』26巻9号(1935年9月発行)

 一昨年の秋から昨年の春にかけて、科學を誇る二十世紀の世界を驚倒させたロツホ・ネスの怪物──と、ノッケから持出したところで、健忘症の近代人諸君は大概もうお忘れのことと思ふが……。

 言論雑誌で取り上げられたネッシー。これは「誰でも聞きたい話」という特集の一つとして掲載された記事です。執筆者の山勢豊という人物については詳細不明。

 しかし、記事冒頭が上に引用した一文で始まる辺り、1935年の時点でネッシーへの関心はかなり減退していたことが窺えます。本文中に「騒ぎが既に沈まつてしまつた昨年の五月」という一節があるところから見ても、戦前日本においてネッシーは継続的な話題とはなれなかったようです。

 記事の前半は、ネッシーがどのように話題になっていたのかのおさらい。既に①の『国際写真新聞』でも見たことのあるエピソードが書かれており、特に目新しい情報はありません。そして後半では古めの目撃例を持ち出し、「この怪物先生、今後何時如何なる機會にまた飛び出して來るか勿論解らない」「この怪物先生、或は風雲を得て大洋に乗出して了つたかも知れないのだ」と、とりあえず可能性だけ残して締められています。

 内容自体はそう見るべきところはない記事ですが、是非とも注目したいのは、例の「外科医の写真」が「ロツホ・ネスの怪物をカメラに収めた唯一の寫眞」として掲載されているということです。そう、今のところこの記事が、私が確認できている限りでは日本で一番早くに「外科医の写真」を紹介している資料ということです。

 とは言え、日本ではこれが初出だとはもちろん断言できません。国会図書館デジタルコレクションでは出てこない雑誌記事も少なからず存在することでしょうから、今後この下限が更に遡るであろうことを期待しています。

 なお蛇足ですが、この記事が掲載された特集「誰でも聞きたい話」の他の記事を見てみると、黄表紙鐵輔「成吉思汗は果して義經か」*7小熊虎之助「幽靈は存在するか」*8など気になる記事目白押しなので、気になる人はチェックしてみてください。

 

2022/12/23 追記

 国会図書館デジタルコレクションがリニューアルされたことにより、資料本文の全文検索が可能になったためネッシーについて調べ直したところ、『雄弁』より遡る資料を発見できました。

 具体的には、1934年7月の『河と海』という雑誌に掲載された「さかな・をちこち(5)」という記事において、「外科医の写真」の存在を確認できました。新生デジコレで分かったこともまた記事に書くつもりなので、乞うご期待。

*1:原文では「こと」は合字

*2:原文「カリビヤ海」

*3:ブロントサウルスのこと

*4:大島洋志「温故知新 渡邊貫の地質工学再考」など。

*5:例えば ダニエル・ロクストン、ドナルド・R・プロセロ著、松浦俊輔訳『未確認動物UMAを科学する モンスターはなぜ目撃され続けるのか』(2016年、化学同人)など。

*6:ついでに言うと、魚竜(イクチオサウルス)の図として載せられているイラストがどう見ても首長竜だったり、全体的に編集がガチャガチャしています。

*7:黄表紙鐵輔[1907-71]:高橋鉄名義での活動が有名。小説家、性風俗研究家。

*8:小熊虎之助[1888-1978]:心理学者、超心理学者。明治大学教授、日本女子大学教授を務めた。