初めに書いておきますと、この話にオチはないです。
どういうことかと申しますと、タイトルそのままの話でして、「雪男を殺して食べたという体験談が中国の雑誌に載っていた」というニュースが新聞で報道されたことがあるのです。
個人的な話で恐縮ですが、わたくし最近は新聞で報道されたUMA記事を探して収集するという、我ながらどうかと思う活動……と言うか趣味に勤しんでおります。
そう書くと、新聞の縮刷版を地道にめくってUMA記事がないかひたすら確認するという、目の負担が凄そうな作業を想像するかもしれません。しかし実際には、朝日・毎日・読売の三大紙については、大きめの図書館に行けば過去の記事の見出しを検索できるデータベースがあるので、思っているよりは楽な作業です。情報技術の発展に感謝。
そしてある時、ヒマラヤの超大物UMAである「雪男」を検索にかけて古い記事から順番に確認していたところ、妙に気にかかったのがその記事だったのです。
そして読売新聞でも、79年4月20日夕刊の「話の港」というコーナーで同じ報道がなされています。つまり日本の三大紙全てで、「雪男を食べた」というニュースが取り上げられたことになります。
……という風に書くと、けっこう注目度の高いニュースだったかのように見えますが、記事の扱いとしては三紙とも、社会面の端っこに小さく載せる程度のものでした。恐らくは世界の珍聞・奇聞の紹介といった感じで、紙面を軽く埋めるには丁度いいくらいの話題性だったのでしょう。
具体的にどういったニュースだったのか、とりあえず読売新聞に掲載された記事を一部引用してみます。
…このほど発行された中国の科学季刊雑誌「化石」(一九七九年第一号)に、「雪男」を実際に見たという目撃者たちの話が載った。
掲載された目撃例は十三。「長さ二十㌢の髪だった」などという農民の話のほか、十七年前には人民解放軍兵士らが、ヒマラヤ東部の雲南省で雪男を殺し、その肉を食べた、というような生々しい体験報告や、二、三年前のごく新しい目撃例も紹介されている。(『読売新聞』1979年4月20日 夕刊15頁)
さすが食文化大国の中国、雪男まで美味しく(かどうかは分かりませんが)料理してしまうとは……という感想ですが、これ以上の情報が無いので正直雲を掴むような感じです。朝日・毎日の記事も概ね同じ内容で、「中国の人民解放軍が雲南省で雪男を殺して食べた」以上の詳細は分かりません。
なかなか興味深いニュースなのですが、どこかもう少し詳しく報じたメディアはないものか……と思いながら調べていると、当時の雑誌にこんな記事が載っているのを見つけました。
なるほど、週刊誌がネタにしそうな話題ではあります。しかし数行の新聞小ネタ記事と比べれば、多少なりとも情報量はありそう。そんな訳で、さっそく図書館の書庫に眠っている42年前の週刊誌を引っ張り出し、その内容を確認してみました。
文春の記事によると、雪男の食レポが載った『化石』という雑誌は、北京で発行されている地質・考古学専門誌とのこと。旧石器時代の遺跡や、一億年前のトンボの化石などの論文が並んでいるそうですが、そんな硬派な雑誌に何故か、未確認動物の大型特集記事が組まれていたのだとか。
記事のタイトルは、「野人之謎向科学挑戦」というもの(上の画像にもありますね)。「野人」とは、中国で目撃談が多々ある、いわゆる獣人型UMAとされるものです。
中国では1974年から湖北省の神農架を中心に野人の目撃例が多発し、中国政府も調査隊を結成して計3度の野人捜索に乗り出したほどで、70年代当時の中国社会では、こうした未確認動物への関心が高かったことは確かです。恐らく『化石』の野人特集も、そうした時代の文脈が根底にあるのだと思います。
文春の記事では、その野人特集の内容がけっこう詳しく紹介されているのですが、ここで記事タイトルにもなっている雪男グルメの部分を引用してみましょう。
以下、比較的最近の事例がつづく。まず1962年。ヒマラヤ山脈に近い雲南省南部の奥地で原人を見たという報告がいくつもあったが、信頼するに足るのは、解放軍の国境守備隊の兵士が、雪男を殺して食ってしまった、という話だ。
このときは「雪男考察隊」という研究家グループが調査におもむいたが、結局は肯定も否定もできずに帰ってきている。ただし珍しい手長ザルの標本は何体も入手したという。
当時、中国の食糧事情がどうであったか、雪男を標本として残すより食べてしまわねばならないほど逼迫していたのかどうかはわからないが、この記事の筆者も、いかにも残念そうにこのくだりを書いている。(『週刊文春』1979年5月10日号、p.152-153)
以上です。扇情的な記事名の割にはあっさりした解説で終わってしまいました。これぞタイトル一本釣り……
以降は中国内での野人の目撃例や、採集された毛・フンなどの分析結果、そして動物学者の小原秀雄氏によるコメントなどが続きますが、雪男の食べログとは直接関係がないので省略。
結局詳しいことはよく分からないままで、新たに加わった情報としては「雪男考察隊」なる調査グループが関わったということぐらいです。このグループというのも素性が不明ですが、民間の団体でしょうか?
これ以上の情報を得るためには、件の『化石』誌の記事を直接確認するぐらいしかありませんが、今から40年以上前の中国の雑誌を入手する当てもなく、今のところここで手詰まりとなっています。(そもそも入手できたところで、私は中国語が読めないのですが……)
文春の記事でもあまり情報量がないことを思うと、原文からしてそこまで詳細に書いていない可能性もありますが、できることならば原典資料を重視したいところ。何か情報をご存知の方がおられたら、お知らせ頂ければ私が勝手に喜びます。
(2021/10/11・追記)
てなことを書き散らしておりましたら、なんとTwitterにて、専門家の方から本当に情報提供を頂きました。
情報を下さったのは、北海学園大学の中根研一教授。中国の「野人」について、文化史的な観点から積極的に研究を行われている方で、自らが学生時代に行った野人探索の様子を記録した『中国「野人」騒動記』という著書も記されています。
さて中根教授によりますと、件の『化石』誌に掲載された野人特集記事の原文を所持しておられたとのことで(流石です)、問題の箇所の日本語訳をして頂けました。以下、ツイートを引用いたします。
遅くなりましたが、中国の『化石』誌(1979年第一期)掲載記事「「野人」之謎 向科学挑戦」を発見しました。
— なかけん (@naka_kane) 2021年10月9日
袁振新・黄万波による初期の調査結果をまとめた記事で、その時点で収集された「〈野人〉目撃談」を複数紹介。
雲南の「食〈野人〉事件」部分は短いので全訳します。https://t.co/geaSG7mDeM pic.twitter.com/5B4N3f1Z4F
翻訳ここから
— なかけん (@naka_kane) 2021年10月9日
***
1962年、雲南省シーサンパンナの密林の中から、「野人」を発見したというニュースが伝わってきた。その中で最も信頼できる情報は、国境警備兵士が「野人」を打ち殺し、その肉を食べたというものだ。
[それを受けて]すぐさま「野人」調査隊が組織された。
半年ほど密林の中での厳しく苦しい調査を経て、あるケースについてはテナガザルを「野人」と思い込んだものと証明されたが、さらにいくつかの手がかりについては、肯定も否定もできなかった。
— なかけん (@naka_kane) 2021年10月9日
調査隊は多くの貴重なテナガザルの標本を手に入れた。
***
翻訳は以上。
原文は全て「野人」ですね。
— なかけん (@naka_kane) 2021年10月9日
当時「中国の野人」は無名のため、日本の報道では敢えて「雪男」としたのかもしれません。
原文の「雲南野人」記事直前にはヒマラヤの雪男の記述があり、そこでは「雪人(雪男を表す中国語)」となってますので、日本語で新聞記事にする際に混同した可能性もありますね。
…とのことでした。原文はそもそも「雪男」ではなかった!
まぁそれはそれで良いのですが、そうなると何故日本の報道では、申し合わせたかのように野人を「雪男」としたのか、という新たな謎が出てきます。言語の壁や情報の壁など、様々な要因が予想されますが、話が反れるのでここで深追いはしません。
ちなみに上記のツイートのツリーには、この野人記事の執筆者や、他の野人食べ食べ事例についてのツイートがぶら下がっているので、是非ご覧になることをお勧めします。
中根先生、こんな小ネタのブログ記事のためにご足労頂き、ありがとうございました。
(追記ここまで)
さて私たちの感覚では、お腹が空いたとしてもあまり雪男には食指が動かなさそうですが、実は「UMAを食べた」という証言やエピソードは割と各地にあったりします。
有名なところでは、コンゴのUMA、モケーレ・ムベンベを食べて全滅したピグミーの集落の話がありますが、日本でも「ツチノコを食べた」という話がちょこちょこ残っています。
今回紹介した雪男の話も、「UMAグルメ事例」の一つとして数えることができるでしょう。皆さんも未確認と思われる動物を見つけたら、是非捕まえて食べてみて下さいね。