河原に落ちていた日記帳

趣味や日々の暮らしについて、淡々と綴っていくだけのブログです。

【雑記】ヒマラヤの女幽霊、あるいは化けたゴリラのこと

 オチのないシリーズ第3弾です。

 今回は簡単に言うと……何をどう言えば簡単になるのか分からないので、とりあえず先を読んでもらうのが早いです、はい。

 

 何かと申しますと、今回もまた一片の新聞記事を紹介したいのですが、その記事名をまずは掲げてみましょう。

  • 『読売新聞』1954年2月9日朝刊4頁
    雪男めぐる伝説 線路にパラソルの女 動かぬ車、乗せた機関士は発狂

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↑実際の紙面

 この見出しだけを見て、どういった内容なのか見当がつく人はいるんでしょうか。

 記事を読む前に、当時の時代背景を説明しますと、1950年代とはヒマラヤの雪男が非常に注目を集めた時代でした。

 戦後間もない頃、それまで鎖国的な政策をとっていたネパールが海外に門戸を開くようになったことで、ヒマラヤ登頂が世界的なブームとなっていました。日本でも登山隊のヒマラヤ制服は盛んに報道され、それに合わせてヒマラヤに潜むと言われる雪男の情報も、国内に入ってくるようになったのです。

 雪男への関心は世界的にも徐々に高まり、1954年には英新聞のデイリー・メール社が、雪男の捜索隊を派遣しています*1。そして日本では、読売新聞がデイリー・メールと特約を結び、雪男探検隊の情報を独占的に報道していました。

 今回紹介する記事は、そうした背景の下に書かれたものだということを、まず押さえておきたく思います。

 

 さて記事の内容ですが、まずヒマラヤの雪男は科学の力が未だ及ばない謎であるということを前置きに、「このスノーマンをめぐっていろいろな伝説がシェルパ族の間に伝わっているが、その一つをこゝにご紹介しよう」と、以下の「伝説」が紹介されています。少し長いですが、本文をそのまま引用しましょう(原文には改行がないため、筆者が適宜改行を加えています)。

 話は数年前にさかのぼる。汽車が山すそをうねって昨年エヴェレストを征服したテンシン・ノルキーの故郷ダジャリーンに向かっていた。*2

 大きく馬てい形にカーブしたところを曲ったとたん、前方にパラソルをさしたようえんな若い女が軌道の真ん中に立っていた。『危い』とさけびながら機関士は急ブレーキをかけた。普通なら絶対に助からないのだが、不思議にも汽車は彼女のパラソルにぶつかっただけで〝ケガ〟一つしなかった。

 冷汗が出るような一瞬間だったが、機関士は彼女の均整のとれた美しいからだつき、ハダざわりのよさそうなドレス、ヒザまでたれているやわらかな頭髪をみのがさなかった。彼は一目ぼれしてしまったのだ。

 機関士は鉄道規則違反を知りながら『どうぞお乗りください』と彼女を汽車に乗せてしまった。これがたたったのか、機関士はとうとう気違いになってしまった。

 彼女はソナダという小さな田舎駅でなんのあいさつもなく降りてしまった。機関車は止まったまま動かなくなった。機関士はあらゆる手をつくしたが機関車は動かず、ついに機関士は精魂つきて気が狂ってしまったのだ。

(『読売新聞』1954年2月9日朝刊4頁)

 とりあえず話を纏めますと、「謎の美女を汽車に途中乗車させたところ、機関車が止まり機関士が発狂した」ということです。伝説というよりは、怪談的な話ですね。

 さて、話を読んでどのように感じられたでしょう。「雪男が全く関係ない」というのはもう脇に置くとして、全然複雑な話でもないのによく分からない、というのが私の印象です。

 汽車に轢かれても無傷という防御力の高さという点では、確かに異様な女性ではありますが、文章を読む限りでは他に異常なところはないように見えます。汽車が原因不明の故障を起こすのはいいとして、最終的に機関士が錯乱するという結末も、えらく唐突な印象です。

 もしかすると元の情報源では、もっと話の細部が詰められていたのかもしれませんが、肝心の「元の情報源」が何なのか不明なので、こればかりは分からないとしか言えません。

 この奇妙な怪談話のあと、記事では女性の正体についての考察が加えられているので、その部分も引用してみます(こちらも改行を加えました)。

 姿を消した彼女は普通の乗客ではなかった事がまもなくわかった。「チュレイル」に違いない。「チュレイル」は化けたゴリラで、表面は美女をよそおい、人間の愛を求めて結婚しようとしたりする悪魔だという。

 また一説によると新しい墓の中に住んでいるガイコツともいわれる。このガイコツも人間の愛を求め、むしろゴリラよりもとり入るのがうまいという。

(『読売新聞』1954年2月9日朝刊4頁)

 人間の愛を求め、美女に化けて男に取り入るゴリラ(ガイコツよりは下手)……うーん面白い絵しか浮かばない。

 そして最後は「雪男と関連してこの「チュレイル」もヒマラヤの〝ナゾ〟の一つ。」と、雑に締められています。

 ちなみに記事末尾に「(佐伯)」と署名があるので、佐伯某さんが書いた記事ということは分かりますが、この方については調べていないので今のところ詳細不明です。

 

 さて徹頭徹尾よく分からない記事でしたが、DFカンスト美女の正体と目されている「チュレイル」とはいったいどういう存在なのでしょう。

 とりあえず私の手元にあった『世界現代怪異事典』(朝里樹著、2020年)を引くと、「チュレル」というインドの妖怪が立項されています。さすがです。

 インドで語られる怪異。お産の際、もしくは不浄な儀式により死んだ女性がなるという邪悪な霊で、口がなく、足が逆向きに生えた姿をしている。人が多い場所に美しい女の姿で現れ、若い男を誘惑するが、これに心を許すと男が老人になるまで取り憑くという。

(『世界現代怪異事典』p23-24)

 ほほう、つまりインドで語られる女性の幽霊ということですね。

 こちらの項目では『妖怪と精霊の事典』(ローズマリ・E・グィリー著/松田幸雄訳、1995年)が参照文献として挙げられているので、そちらも確認してみました。

チュレル churel

 インドで、お産のとき、もしくは不浄な儀式によって死んだ、女の邪悪な幽霊。もとは、チュレルは、幽霊が逃げないように死体をうつ伏せに葬った、低いカーストの者の幽霊であった。チュレルは、どれもみな、足の向きが逆で、口をもっていない。彼らは、ごみごみした場所に現れる。美しい若い女の形をして現れて、若い男たちを誘惑し、彼らが老人になるまで取りついている。チュレルが出ると言われる場所では、悪魔祓いが行われる。

(『妖怪と精霊の事典』p318)

 また図書館で調べていたところ、『図説妖精百科事典』(アンナ・フランクリン著/井辻朱美訳、2004年)にもチュレルの項目があったので、それも引用してみます。

チュレル CHUREL

/チュレイル Chureyl/ダヤン Dayan

 インドの邪悪なヴァンパイア、もしくは魔女で、出産中に死んだ女の霊。若い男を捕えて、その男がしなびて使いものにならなくなるまで精を吸い取ったり、子どもの心臓や肝臓を食べたりする。口がなく、多くの妖精と同じようにその足は前後逆さまになっている。秘密の真言マントラ)を後継者に伝えるまで、死ぬことができない。

(『図説妖精百科事典』p268)

 細部に異なる部分はありますが、

  • 出産中に死んだ女性の幽霊
  • 若い男性を誘惑し取り憑く
  • 口がなく、足が逆向きに付いている

……といった要素が、両者に共通して解説されているチュレルの特徴です。

 さて、気づいた方もいるかもしれませんが、上記の解説ではいずれもゴリラの「ゴ」の字も出てきません

 それも当然のことで、そもそもヒマラヤ周辺にゴリラなんぞいないのですから、インドの妖怪の解説で「ゴリラの化け物」など出てくるはずがありません。私が文献で確認したチュレルの解説は上記の3冊のみですが、恐らくどれだけ詳細な事典を見てもゴリラは出てこないと思います。

 一応ネット上でのチュレルの解説も確認しようと思い、英語版Wikipediaの「Churel」の項目を見てみましたが、言うまでもなく「Gorilla」の文字列はありませんでした。

Churel - Wikipediaen.m.wikipedia.org

 ちなみに日本版Wikipediaではチュレルの項目がないのですが、Pixiv百科事典では立項されています。参考文献としてヒンディー語の資料が挙げられており、妙にガチ度の高い記事ですが、無論ゴリラ云々という解説はありません。

チュレル (ちゅれる)とは【ピクシブ百科事典】dic.pixiv.net

 色々と挙げてみましたが、ゴリラはユーラシア大陸ではなくアフリカ中央部に生息する動物であるという事実がある以上、おかしいのは読売の記事の方だと言わざるを得ません。

 一つの可能性としてあり得るのは、元々の情報ではゴリラではなく「大猿」とか「化け猿」とかの何かだったのが、読売に情報が届く頃には伝言ゲーム式に「ゴリラ」に変化してしまった、または記者が勝手に翻訳してしまった、というところかもしれません。

 しかしそうだとしても、上に挙げたチュレルの解説ではいずれも「出産中、または出産前後に死亡した女性の霊」だとされており、大猿かそれに類するものが化けたものだとする言説は見られません。幽霊という点から言えば、読売の記事でもう一つ挙げられている「新しい墓の中に住んでいるガイコツ」という説の方がまだ近いですが、それでもだいぶんニュアンスが異なります。

 もしかすると、チュレルとは異なった、何か別の妖怪の言説が混ざってしまった可能性もあるかもしれませんが、結局ソース元が不明なので何とも言えません。

 記事で紹介された話の展開がよく分からない、そしてチュレル自体の解説も何に依っているのかよく分からない、そもそもこの記事が書かれた文脈もよく分からないという、分からないことずくめな話でしたが、そもそも海外の妖怪の情報というのは調べるのが難しいものです。

 もしかすると、私が知らないだけで「チュレルはゴリラが化けたもの」だと書いてある文献があるのかもしれません。本稿もまた、皆様からの情報提供を無責任にお待ちして終了したく思います。冗談抜きにオチのない話ですいません。

 

〈以下、至極どうでもいい蛇足〉

 ネットで「インド チュレル」と雑に調べてみると、「インドでセクシーな宇宙人が道端で歩いているところがビデオに撮影された」という、いかにも東スポが好きそうなニュースが多数ヒットします。(一例

 見てみると、確かに白い人型の何かが悠然と道を歩いている姿が映されており、これが「チュレルではないか」などと一部で言われたようです。

 ただ残念なことに(?)下の記事によれば、真相は単に「全裸で徘徊していた女性」だったらしいです*3。ぶっちゃけ宇宙人よりもそっちのが怖い。

 ただし、「何故この女性が全裸で歩いていたのか定かではない」とのことなので、チュレルである可能性もワンチャンなくはないですが……。

www.ndtv.com

 

*1:探検の顛末は、『雪男探検記』(レーフ・イザード著/村木潤次郎訳)にまとめられています。

*2:筆者註:「テンシン・ノルキー」は、1953年にエドモンド・ヒラリーと共にエベレストの初登頂に成功したチベット人シェルパの、テンジン・ノルゲイのこと。「ダジャリーン」=ダージリン

*3:前回と同じく、ひよわなヤギさんのツイートで知りました。