河原に落ちていた日記帳

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【読書備忘録】川村邦光『出口なお・王仁三郎』(2017)

 スピリチュアル界隈では常識の如く広まっている「手かざし」という民間療法がありますが、その日本での発祥は、明治期に成立した神道新宗教「大本」が用いた宗教的治療法が源流だと言われています。

 宗教法人「大本」(正式名称に「教」は入らないのですが、普通名詞との区別がややこしくなるので、当記事では以下「大本教」と表記します)は、元々は京都府丹波地方の貧農であった出口なおの神憑りによって興った宗教です。当初はあくまで地方の一集団でしかなかったなおの教団は、出口王仁三郎という「聖師」の存在により一つの宗教として体系化され、大正期~戦時中にかけて拡大していくことになりました。

 大本教自体が戦後に大きな勢力となることはありませんでしたが、その元信者たちが興した新たな宗教(世界救世教生長の家など)が更に分派を繰り返していくことで、大本教の影響を直接・間接的に受けた新宗教が次々と生まれていくことになりました。

 本書は様々な神道新宗教の文字通り「大本」となった大本教の二大教祖、出口なお王仁三郎の生涯を追った評伝です。

〈内容紹介〉ミネルヴァ書房公式HPより引用
 出口なお(1837~1918)・王仁三郎(1871~1948)「大本」の教祖。
 激動の近代日本に直面する中で「大本」を創唱し発展させた、開祖なおと聖師王仁三郎。本書では、二人が開祖・聖師となる過程を近代日本と民俗社会の相剋の中から辿るとともに、その思想の創造性を考察する。

 

 わたくし元々「偽史」や「スピリチュアル」、それらを含む「オカルト」と呼ばれる文化現象に興味があり色々とそれ関連の本を読んでいるところなのですが、オカルトの歴史を遡っていくと、けっこうな割合で大本教という存在に行き当たることがあります。

 そもそもオカルトというもの自体が多かれ少なかれ宗教的な要素を孕んでいるのですが、中でも大本教は現在のオカルトシーンに少なくない影響を与えた宗教だと言うことはできるでしょう。*1

 オカルト界隈以外では、高橋和巳によるベストセラー小説『邪宗門』に登場する新興宗教「ひのもと救霊会」のモデルになったことでも知られます。と言うより、世間的にはそっちの方が有名か。

 オカルトの歴史を辿る上で避けて通れない巨塔である大本教、その成り立ちを知りたいという気持ちから本書を手に取ってみたのですが……

 何と言いますか、すごく"濃い"。

 貧しい暮らしの中から神憑りを起こし、教団を作り上げていったなお。それを共同で整備・拡大させた王仁三郎。そして権力による二度の弾圧に見舞われながらも、根強く活動を続けていった大本教

 私が元々持っていた、数行以内に収まってしまうくらいに簡易な大本教の歴史を、大幅に刷新せざるを得なくなるような、内容の濃さでありました。もっとも「初めての大本教」的な興味で読んでみた私としてはなかなか手に余る内容で、読了まで時間がかかってしまいましたが…

 著者は、なおによる神からのお告げを記した「筆先」や、王仁三郎の『霊界物語』、また弾圧時の裁判記録など、様々な史料に当たって二人の遍歴を描いていきます。そして当時の時代背景・宗教的な状況から二人の宗教思想を読み解き、位置付けていきます。

 子細に史料を追っていくと、なおと王仁三郎の思想には少なからず差異があることが分かります。そもそも二人が祀っている神からして違う。

 当然二人の間には大きな対立が生じ、教団内部の葛藤も絶えなかったようですが、それでも出口なお出口王仁三郎という二人一組のペアでなければ、恐らく大本教が現在にまで影響を及ぼす教団とはならなかったのでしょう。

 神憑りから得た病治しの霊力などで、地方での信徒を獲得していった出口なお。しかしその時点では彼女は地域の「拝み屋さん」的な存在に過ぎず、そこから巨大教団として成長を遂げるには、出口王仁三郎という強烈な個性を持った審神者(サニワ)が必要だったのです。

 なおの死後、王仁三郎は様々なメディア戦略を用いて信徒を増やし、二次大戦中には天皇親政を目指すナショナリスティックな皇道主義を含んだ世直しの構想を強力に唱え、時の政権から治安維持法違反・不敬罪と見なされ徹底した弾圧がなされてしまいます。

 しかし一般の信者たちは皇道主義といった難解な思想よりも、病気治し・世直しなどの素朴な信心を持っていた様子ですが、そこから発展して王仁三郎こそを救世主(メシア)と見なすような信仰が、権力の側から異端視・邪教視されたのでしょう。

 終戦後、弾圧から解放された大本教ですが、往時の勢いを取り戻すことはなく、ポツダム宣言の3年後に王仁三郎は死去。艮の金神を身体に降ろして教えを広めたなおと、「大化物」とさえ呼ばれたカリスマ・王仁三郎によって引っ張られ成長を遂げた大本教を総括して、著者は以下のように述べます。

 この秘教の内実は政治的な色合いを除けば、きわめて素朴なものである。世界が一挙に更新されて、土と水の恩によって、ささやかな生活物資に恵まれた世が出現し、心身を律して、心身ともに満たされる世界に暮らすことである。ごく簡素な世界である。すぐにでも手に届きそうな、働きつつ憩う、質朴な世界、なおの筆先に記された「水晶の世」にきわめて近い。だが、それは高橋和巳の『邪宗門』に描かれたように、なかなか実現しそうにない、未成の歴史として、今でもあり続けている。〔p440〕

 泣ける。別に信者ではないけれども。

 どうしようもないつらさに日々心身を消耗しながら生きていかざるを得ない人間としては、この素朴な「水晶の世」がいかに眩しく輝いて見えることか。ただなんとなく幸せでいたい、その願いが決して届かないものだからこそ、「ユートピア」は常に幻想され続けなければならないのです。

 

 ちなみにこの大本教、主張自体はかなり右翼的なのですが、戦後は国家権力から弾圧されたという史実をもって、「反体制派の宗教」として左派層からの関心を持たれるようになったようです。なんだか節操なしとも思えますが、それはそれで思想史的には興味深い。

 ちなみに著者の川村邦光氏個人も政治的立ち位置は左寄りであるらしく、あとがきでは唐突に現在の天皇の在り方に対する激しい批判が繰り広げられているのですが、まぁそこら辺はぶっちゃけどうでもいいとして。

 本文では川村氏個人の政治思想はそれほど反映されていない印象ですが、ところどころ王仁三郎に贔屓気味の記述になるのは若干気になるところではあります。ただそれを差し引いても内容の濃い本書、想像以上に充実した読後感を得られました。

 何かと陰謀論的なウワサも多い大本教。評価の是非は兎も角として、いったん冷静にその思想性を知ってみるのもいいのではないでしょうか。

*1:大本教だけがそうだとは言いません、念のため。