河原に落ちていた日記帳

趣味や日々の暮らしについて、淡々と綴っていくだけのブログです。

【読書備忘録】斉藤光政『戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」』(2019)

戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」 (集英社文庫)

戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」 (集英社文庫)

 

東日流外三郡誌』…これを「つがるそとさんぐんし」とすぐさま読める人は、ほぼ間違いなく物好きと言っていいでしょう。

 90年代、東北地方でとある騒動が持ち上がりました。青森県のとある農家から見つかった膨大な古文書群が、全て現代人による偽作であるという疑惑が巻き起こったのです。それら膨大な古文書の総称が、『東日流外三郡誌』です。

 果たして『東日流外三郡誌』は、本当に偽作されたものなのか。だとすれば、一体誰が偽作したのか。地元から遠く離れた日本中の研究者たちをも巻き込み、激しい真偽論争が繰り広げられます。

 本書はこの騒動を中心的に取材し、『東日流外三郡誌』の真相を追求し続けた新聞記者による、息も詰まる濃密なルポルタージュです。

〈内容紹介〉Amazon商品紹介欄より引用
 すべてがインチキだ!
 「東日流外三郡誌」の真贋論争の中心にいた青年記者がその真相を暴く―
 立花隆氏、呉座勇一氏など各界著名人たちに注目された迫真のルポルタージュ!

 青森県五所川原市にある一軒の農家の屋根裏から、膨大な数の古文書が発見された。当初は新たな古代文明の存在に熱狂する地元。ところが1992年の訴訟をきっかけに、その真偽を問う一大論争が巻き起こった。この「東日流外三郡誌」を巡る戦後最大の偽書事件を、東奥日報の一人の青年記者が綿密な取材を重ね、偽書である証拠を突き付けていく―。事件後見えてきた新たな考察を加えた迫真のルポ。

 

 本書は元々、2006年に新人物往来社から単行本が刊行され、2009年の文庫版刊行以降しばらく絶版の状態が続いていたのですが、今年集英社文庫から再版されました。

 再版に当たっては大幅な加筆・修正が行われており、末尾にはその他の「偽史」と絡めて騒動の考察を行った新章が付け加えられています。

 最近は原田実氏による超古代史本が2冊刊行されている他*1、藤原明氏の『日本の偽書』も再版され、一部の超偏った層には堪らない流れが来ているんじゃないですかこれは。

 そんな訳で本書も、その超偏った層からは抜群の知名度を誇るルポであり、自分が今まで読めていなかっただけに今回再版されたことは非常に嬉しく思います。

 

 この『東日流外三郡誌』騒動、原田氏の著作などから予め大体の経過は知っていたのですが、本書でこうして詳しく騒動のあらましを読んでいると、本当に苦笑いするしかないと言いますか、こんな荒唐無稽な出来事が本当に起こったのかと、呆然とする気にもなります。

 膨大な古文書を偽作したのは、その「発見者」を自称する和田喜八郎その人。著者である斉藤光政氏と並び、本書の裏の主人公とも言える存在です。

「発見者その人が偽作者」というパターンはその他多くの偽書にも当てはまるパターンなのですが、『外三郡誌』で特異なのは、偽作した「古文書」の膨大すぎる量です。

 当初は恐らく経済的な困窮から古文書の偽作に手を付け、それを売りつけることで生活の糧を得ていたのだろうとされていますが、そうした「古文書偽造」という形で手に職をつけてしまったがために、どんどんと文書の量が膨れ上がっていったのだと思われます。

 当然、その「古文書」群が有名になるにつれ、研究者から現代語の混入などの欺瞞が指摘されていきます。するとその指摘を回避するための新たな文書が偽造され、正に嘘に嘘が塗り重ねられていく始末。

 また和田喜八郎にはオカルト趣味でもあったのか、「ムー大陸」や「ノストラダムスの大予言」、その他の「古史古伝」などのオカルトネタまで文書の内容に取り込まれ、壮大と言うよりは最早何でもアリの支離滅裂なトンデモ文献と化してしまったのでした。

 で、話がここまでならただ古文書を偽造する詐欺師がいたというだけのことなのですが、これに地元のお役所まで騙されてしまったのだから始末に負えない。何と正式な自治体史の資料編に『外三郡誌』の内容が掲載されてしまい、嘘の古文書に箔がつけられてしまったのです。

 また和田喜八郎の「商売」により、地元の神社に偽の「御神体」が売りつけられるなど、具体的な被害まで色々と引き起こしてしまっています。地域の歴史を嘘八百で上書きしてしまう訳ですから、ただ事ではありません。

 ここへ更に話をややこしくするのが、『外三郡誌』信奉者として活発なキャンペーンを行う「学者」の存在です。

 その学者というのが、当時昭和薬科大学教授であった古田武彦氏。彼が真書派の代表として、偽書派への個人攻撃を含めた様々な活動を繰り広げることにより、事態は混迷の一途を辿ります。

 結局のところ、筆跡鑑定で『外三郡誌』の字と和田喜八郎本人の筆跡が一致することが証明されたことにより、論争としては「和田本人による偽作」ということで既に決着はついていたのですが、古田氏は陰謀論を使って偽書派に抵抗するという乱心ぶり。

 そんなこんなで、かつての部下であった原田実氏には偽書派の急先鋒として反旗を翻される始末。また和田の古文書偽造に手を貸した疑惑まで暴露されており、本書では全く良いところなしの古田氏ですが、彼は自らの支持者とともに結成した研究会に籠城することにより、保身を図ります。

 結局2015年に永眠する最後の時まで、真書説を曲げることの無かった古田武彦氏。孤立を深めた晩年は、氏にとって幸せだったのでしょうか。

 

 さて、そんな複雑怪奇な経過を辿った『東日流外三郡誌』騒動を文章化した本書。斉藤氏が騒動の取材に手を付けるきっかけは1992年に起きた訴訟から始まるのですが、和田による偽作自体は1940年代から既に始まっていたらしく、時系列はかなり複雑です。

 しかしそんなややこしい事件の全貌を、全く飽きさせることなく読ませる筆力は、流石は新聞記者という印象。登場人物は一般人でも実名で書かれており、非常にスリリングな感覚で読むことができます。

 事件の経過とは別に、何故このような荒唐無稽な偽書が受け入れられてしまったのかという考察も加えられており、偽史受容の展開として参考になる部分もあります。『竹内文献』や旧石器捏造事件など、他の偽史騒ぎと比較した言及もなされています。

 また本書は、世の「学問」が抱える問題点を炙り出すことに成功しています。本書を読んでいて気になってくるのが、歴史学者の影の薄さです。

 まず『外三郡誌』信奉者である古田氏の専攻は、歴史学と言うよりは仏教思想です。そして偽書派の代表論者である安本美典氏も、専攻は心理学です。同じく偽書派として活動した原田実氏、齊藤隆一氏といった面々も、ほとんどが在野の立場で活動している人々です。本来この騒動に言を述べる立場にあるはずの歴史学者が、あまり姿を見せないのです。

 どうして歴史学者は、『東日流外三郡誌』に沈黙したのか。それは第16章で紹介された、「日本中世史を専門とする研究者」の発言に端的に表されています。

これまで、なぜわれわれが外三郡誌問題に取り組んでこなかったのか? その答えは簡単です。学問として取り組むに値しないものだったからです。研究者にとって、外三郡誌とはそんなレベルのしろものなのです〔p326〕

 取り上げるに値しないものなので、初めから相手にしない。至極当然の態度ではあるのですが、アカデミズムが黙殺したことによって、『外三郡誌』は歯止めがかからないまま一般にじわりと浸透していったという面もあるのではないでしょうか。

 たとえ歴史学者が批判を行っていたとしても、『外三郡誌』の信奉者を黙らせることはできないでしょうから、偽史との向き合い方は難しいものがあります。しかし最近の「江戸しぐさ」問題や、つい先日話題となった「非実在神学者」カール・レ―フラーの問題からも分かる通り、偽史とは現在進行形の問題なのです。

 なぜ、偽史は世間に受容されてしまうのか。

 本書の『東日流外三郡誌』事件は極端な事例であるかのように見えながら、実は偽史というものの本質が極めて明確に表れた出来事のように思えてなりません。