河原に落ちていた日記帳

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【読書備忘録】小松和彦『妖怪学新考』(1994)

 現在の妖怪学の理論的な枠組みを確立した研究者である、小松和彦氏。

 本書はその「小松妖怪学」のエッセンスが詰め込まれた研究書になります。

 何故か今まで読んでいなかったので、今回は講談社文庫版をじっくりと読んでみました。

〈内容紹介〉Amazon商品紹介欄より引用
 日本人にとって、妖怪とはなにか。科学的思考を生活の基盤とし、暗闇すら消え去った世界においてなお、私たちはなぜ異界を想像せずにはいられないのだろうか。「妖怪」とは精神の要請なのか、それとも迷信にすぎないのか――。古代から現代にいたるまで妖怪という存在を生みだし続ける日本人の精神構造を探り、「向こう側」に託された、人間の闇の領域を問いなおす。妖怪研究の第一人者による、刺激的かつ最高の妖怪学入門。

 

 本書は妖怪関連の研究で度々引かれており、現在の妖怪学の理論的な基礎となっています。また本文全体が平易な文章で書かれているため、学術的な妖怪研究がどういったものなのかを知ることのできる、一般向けの妖怪学入門書であると言えます。

 ただ先にも述べた通り、本書には小松和彦氏による妖怪学のエッセンスが凝縮されています。そのため個人的には、本書は妖怪学一般と言うより「小松妖怪学の入門書」として位置づけられると思います。

 小松氏による著作として他に『妖怪文化入門』という本もありますが、こちらは河童や天狗など妖怪たちの先行研究や議論についてまとめた文献案内の性格が強いのに対し、本書は小松氏の提唱する妖怪学の枠組みをまとめた著作、と言えましょうか。

 では早速、本書の目次から内容を見てみましょう。

 

はじめに―新しい妖怪学のために

第一部 妖怪と日本人
一 妖怪とはなにか
二 妖怪のいるランドスケープ
三 遠野盆地宇宙の妖怪たち
四 妖怪と都市のコスモロジー
五 変貌する都市のコスモロジー
六 妖怪と現代人

第二部 魔と妖怪
一 祭祀される妖怪、退治される神霊
二 「妖怪」の民俗的起源論
三 呪詛と憑霊
四 外法使い―民間の宗教者
五 異界・妖怪・異人

おわりに―妖怪と現代文化
あとがき

 まず小松氏は序文において、従来の妖怪学が「妖怪」という迷信を科学的に撲滅するためのものか、または滅びゆく妖怪伝承を記録するだけの学問となっており、現代において積極的に意義を見出せる研究とはならなかったと指摘します。

 そして、妖怪を通じて人間の精神史を探る研究の必要性を唱え、その「新しい妖怪学」を以下のように提唱しています。

新しい妖怪学は、人間が想像(創造)した妖怪、つまり文化現象としての妖怪を研究する学問である。妖怪存在は、動物や植物、鉱物のように、人間との関係を考えずにその形や属性を観察することができるものではなく、つねに人間との関係のなかで、人間の想像世界のなかで、生きているものである。したがって、妖怪を研究するということは、妖怪を生み出した人間を研究するということにほかならない。要するに、妖怪学は「妖怪文化学」であり、妖怪を通じて人間の理解を深める「人間学」なのである。〔p11〕

 妖怪学を「人間学」と位置付けた上で小松氏は、妖怪を生み出す人間の精神誌を描き出す「妖怪の民俗誌」「妖怪の心理学」「妖怪の社会学」、妖怪が歴史上どのように想像されてきたかを探る「妖怪の歴史学」、妖怪が芸術文化においてどう描かれてきたかを分析する「妖怪の文学史」「妖怪の芸能史」「妖怪の絵画史」「妖怪の口承文芸」、などといった様々な研究領域を想定し、妖怪に関する網羅的な研究を構想しています。

 一般的には「妖怪研究=民俗学」というようなイメージが広まっており、実際に今年の講書始の儀の報道では、小松氏は「民俗学」の肩書で紹介されていました。しかし小松氏自身は、妖怪研究を民俗学に限らず、様々な学問的立場から発信すべきであると主張していることには注意していいでしょう。

 本書では妖怪に関する話題について幅広く論じられていますが、その中でも重要なのは、「妖怪」という語彙に学術的な概念規定を行ったという点ではないでしょうか。

 民俗学において妖怪という問題を初めて取り上げたのは柳田國男その人ですが、柳田は妖怪という存在を「神への信仰が零落したもの」として捉えたことは有名です。しかし小松氏はこの零落説を批判し、「神から妖怪へ」という図式だけでなく、「妖怪から神へ」という方向性も成り立つことを主張し、「妖怪」と「神」の関係を以下のように説明します。

「神」とは人々によって祀られた「超自然的存在」であり、「妖怪」とは人々に祀られていない「超自然的存在」なのである。別のいい方をすれば、祭祀された「妖怪」が「神」であり、祭祀されない「神」が「妖怪」ということになるのである。〔p201-202〕

「神」と「妖怪」が可変的な概念であることが示されており、それらは「祀り上げ」と「祀り下げ」という作業によって変化していくと主張したのです。

 この「祭祀されない+超自然的存在」を「妖怪」とする捉え方は、その後の妖怪研究における理論的な枠組みとして広く受け入れられたようです。勿論これはあくまで小松氏による概念規定であり、それとは全く別の概念を設定することも可能でしょうが、これほどまでに「妖怪」を端的かつ明確に捉えられる説明は他にないのではないでしょうか。

 これ以外にも、本書には妖怪学の論点の基本的な捉え方が多く論じられており、最早妖怪学の「古典」と称しても過言ではないと思います。現在における妖怪学の言説の多くは、多かれ少なかれ「小松妖怪学」の影響を受けているのではないでしょうか。

 しかし学問に「完璧」など存在しない、というのも普遍的な真理。本書の刊行から四半世紀を経た現在では、小松氏の妖怪論を如何に乗り越えていくかが今後の妖怪学の課題なのかもしれません。知らんけど(予防線)。

 また現在は、本書では時代的に想定できなかったネット上の仮想空間が、妖怪の跋扈する新たな異界として現出している社会でもあります。小松氏は「新しい妖怪学」を提唱しましたが、これからも常に「新しい妖怪学」が生み出されていくことを期待したく思います。