河原に落ちていた日記帳

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【読書備忘録】原田実『偽書が描いた日本の超古代史』(2018)

偽書が描いた日本の超古代史 (KAWADE夢文庫)

偽書が描いた日本の超古代史 (KAWADE夢文庫)

 

 本屋に並ぶ商品の背表紙をとりとめもなく眺めていると、無意識の内に「知られざるユダヤの陰謀」とか「神代文字セラピー」といった文字に目を惹かれ、まだまだこういうアヤシゲな話題は人気があるんだなぁと実感する次第です。多分永遠に人気なのでしょうね。

 本書のタイトルにもある「超古代史」もそうしたアヤシゲな話の一つで、『古事記』や『日本書紀』など「正統」の史書にはない、独自の古代伝承を伝えた文献を指します。しかしそれらは、実際には近世~近代に創作された「偽書」だと断じられており、学術的な目線を向けられることはほとんどありません。

 有名なものとしては『竹内文献』『秀真伝』『東日流外三郡誌』等が挙げられますが、本書はそうした偽書の数々を一般向けに紹介したものとなります。

〈内容紹介〉※本書表紙裏より引用
 記紀とは異なる、神話・伝説時代の驚きの歴史とは?

 その偽書はどのように現出し、真贋の論争に決着はついたのか?

 奇想天外な“史料”のセンセーションを追う!

 

 一口に「偽書」と言えども歴史学的には様々な性格の文献が当たりますが、本書で問題にされているのは、「記紀とは大きく異なる古代伝承を描いた文献で、成立年代を実際に書かれた近世~近代期から遥かに古く遡らせたもの」と言えます。つまりは、従来「古史古伝」という言葉で一般に膾炙してきた文献のことですね。

 本書では、どのような偽書が取り上げられているのでしょうか。目次の順に並べてみましょう。

  • 竹内文書たけうちもんじょ
  • 富士宮下文書』ふじみやしたもんじょ
  • 九鬼文書くかみもんじょ
  • 『物部文書』もののべもんじょ
  • 『守矢家文書』もりやけもんじょ
  • 『上記』うえつふみ
  • 『秀真伝』ほつまつたえ
  • カタカムナ
  • 『南淵書』なんえんしょ
  • 『大成経』たいせいきょう
  • 『伊未自由来記』いみじゆらいき
  • 但馬国司文書』たじまこくしもんじょ
  • 『真清探當証』ますみたんとうしょう
  • 『幣立宮縁起』へいたてのみやえんぎ
  • 契丹古伝』きったんこでん
  • 『桓檀古記』かんだんこき
  • 東日流外三郡誌つがるそとさんぐんし

 実に盛りだくさんですね。竹内・宮下・九鬼・上記・秀真伝・契丹古伝・桓檀古記・東日流あたりは有名どころですが、『守矢家文書』『真清探當証』『幣立宮縁起』は本書で初めてその存在を知りました。

 著者の原田実氏は、いわゆる「古史古伝」の紹介本を過去にもいくつか著しています。しかし本書で画期的なのは、タイトルに「古史古伝」という言葉を採用しなかったということでしょう。

古史古伝」なる用語はオカルトファンの間ではかなり有名でありながら、学術的な用語としては全く適さないということは既に指摘されてきました。本書では対象が曖昧で、かつ信奉的な意味合いの濃い「古史古伝」という言葉を外し、「偽書」という包括的な用語を採用したことで、それぞれで性格の大きく異なる「超古代史」を(ほぼ)違和感なくまとめ上げられるようになった、と言えるかと思います。*1

 

 本書の構成は、一つ一つの文献の内容・来歴・受容史を簡潔に紹介し、最後にその文献がなぜ「偽書」とされているのかという点も説明する、というオーソドックスな作りです。文庫本ということで値段もお手頃で、また近年の研究も反映されているため、「超古代史」に最近興味を持ったという人なら読んで損はないと思います。

 また先にも述べた通り、「超古代史」の中では比較的マイナーな位置づけにある文献についても触れられているのが嬉しいところ。

『守矢家文書』については、文献そのものが「超古代史」と言うよりも、アカデミズムの学者たちによる「古代史」の創出という偽史運動的な営為の様相が興味深かったです。

『幣立宮縁起』は、熊本県の幣立神宮という神社に伝わるとされる縁起ですが、そこから窺えるのは『竹内文書』を髣髴とさせる新宗教的トンデモコスモロジー。幣立神宮自体はまだ新宗教として独立しているわけではないようですが、神道新宗教の教義などを調べてみると、こういう「超古代史」的な教典がゴロゴロと出てくるのかもしれません。

 本書はそんなトンデモ文献でも、強くやり玉に挙げて批判するような色彩は薄いのですが、最後の『東日流外三郡誌』についてはかなり厳しい姿勢で批判が行われています。何しろ著者の原田氏自身がその偽書騒動に深く関わっていた経緯があるため、それに対する思いも特段深いものがあるのでしょう。

 原田氏は『東日流外三郡誌』の章の最後に、偽書に惹きつけられる人々の心理を以下のように分析しています。

 歴史研究は、現代人である私たちと相いれない世界観・価値観を持つ人々の間に分け入っていく行為である。しかし、自分の世界観・価値観の正しさを信じすぎる人にとって、その旅路は辛いものとならざるをえない。
 そこで、そういう人は過去の好みの人物に自分の世界観・価値観を投影したり、自分異近い世界観・価値観で書かれた偽書に引き寄せられたりすることもある。
 私は古田[註:古田武彦]に師事して、史実を捻じ曲げようとしたり、荒唐無稽な偽書に騙される者の心理をも、間近で学ぶことができたのである。〔p220〕

 恐らく今後も偽書偽史)は手を替え品を替え、生み出され続けていくものと思います。現在必要なのは、こうした偽史の類をただのオカルトネタとして片付けず、一つの社会的事実として学術的な目を向け、直視していく姿勢ではないでしょうか。

*1:しかし考えてみると、「古史古伝」はオカルト用語としては非常に便利な言葉ですね。