河原に落ちていた日記帳

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【読書備忘録】藤野七穂『偽史源流行』(雑誌連載、2000~01年)

 今回は刊本ではなく、今は亡き通俗歴史雑誌『歴史読本』で平成12年1月~13年12月の2年間、全24回に渡り連載されていた連載稿、『偽史源流行』について書いてみます。カテゴリをどこにするか地味に迷いましたが、読書であることに間違いはないでしょう。

 著者は「偽史ウォッチャー」の肩書を名のる藤野七穂氏。当然ながら在野の作家の方です。単著は確認できませんが、超常現象の懐疑的調査を行う団体「ASIOS」に参加されており、現在はそこを主な活動拠点とされているようです。

 『偽史源流行』は、みんな大好き『竹内文献』『宮下文献』『上津文』等の所謂「古史古伝」と呼ばれる偽書群(偽史群)を、非常に緻密な文献批判を通してその「源流」に迫った連載稿です。当時としては画期的な、いや現在においても本稿の価値は輝きを失っていないと言えるでしょう。

 しかし非常に残念なことに、本稿はこれまで単行本としてまとめられてはいません。ASIOSのサイトによると、藤野氏は「現在、雑誌連載稿『偽史源流行』の単行本化のため筆入れ中。」とのことなのですが、いつまで筆入れを続けるおつもりなのでしょう。

 私は永遠にでも単行本化を待ち続けるつもりですが、その内容までも指を咥えて待ち続けるわけにはいかないので、図書館に通って20年近く前の『歴史読本』を書庫から24冊引っ張り出してもらい、片っ端から複写してきました。図書館の司書さんにすこぶるご迷惑をお掛けしたことを、ここにお詫び致します。

 『偽史源流行』各稿の題名を並べると、以下のようになります。

  1. 偽史」情報の氾濫と錯綜
  2. 偽史は分類できるのか
  3. 偽史の"共通の核"と系統
  4. 『宮下文献』の発見と公開
  5. 竹内文献』の伝来と開封
  6. 『九鬼文献』の登場と《天地言文》の謎
  7. 『上津文』の流布と「鈔訳」本の板行
  8. 『安倍文献』と『神伝上代天皇紀』の出現
  9. 『神皇紀』から原文へ還れ
  10. 房事度数の「差」に着目せよ
  11. 《開闢神代暦代記》の虚構を剝ぐ
  12. 《神霊宝巻》訳文はいつ書かれたか?
  13. 幻の《神霊宝巻》原文を分析する
  14. 『九鬼文献』の虚と実
  15. 虚構と孤立の二つの「ウガヤ王統譜」
  16. 神社復興運動のなかの『宮下文献』
  17. 《神霊宝巻》を天津教史に読み解く
  18. 反大本運動のなかの皇道宣揚会
  19. 偽史神代文字の闇
  20. 越字とサンカ字の出所を疑う
  21. 三角寛報告40年目の真実
  22. 『上津文』の伝来過程再考
  23. 『上津文』序文の真偽を見極める
  24. 『上津文』成立と『古史成文』の呪縛

 全体を通して見ると、本稿は大きく6つのパラグラフに分かれています。勝手に、以下のように纏めてみました。

第1回~第3回: 「偽史」総論

第4回~第8回: 各「偽史」の伝来過程

第9回~第15回:「偽史」の源流を暴く

第16回~第18回:「偽史」成立過程の考察

第19回~第21回:神代文字とサンカ字

第22回~第24回:『上津文』成立考

 

 まず冒頭の第3回までは、本稿で取り上げる「偽史」についての説明に頁が割かれています。藤野氏の言う「偽史」とは、従来「古史古伝」「超古代史」と呼ばれてきた書物のことを指しており、「古史古伝」「超古代史」が肯定的意味合いが強いのに対して、分析的・客観的な立場を表明する用語〔第1回・p233〕」として設定されています。藤原明氏の言う「偽書」と、同様の対象を指すと考えていいでしょう*1

 第1回では、偽史研究界隈のあまりの粗雑さがまず指摘されており、混乱を極める偽史研究に風穴を開けるため、本連載における目的が以下のように示されています。

 第一に研究史を掘り起こし、出来うる限りの関係史料にあたって、文献個々の出現過程をたどる必要があるだろう。第二にそのうえで全体を見渡して見る必要がある。個別的に研究されてきた、偽史を「群」として見た場合に何かが見えてくるのではないか。(中略)偽史群のなかに、相互に干渉を持つものがあった場合、AからBが生まれたということも言えるかもしれない。依然として評価と史的位置の定まらない、偽史の新たな意味づけがなされるのではないか。〔第1回・p238〕

 本来、学問的には上のような作業を一番初めに行うべきなのでしょうが、偽史に関しては誰も表立ってやろうとはせず、不毛な真偽論争が繰り返されてきました。偽史を「偽りの歴史」として客観的に史料批判を加え、史的な位置づけを与えようとする態度自体が、藤野氏の仕事の重要なポイントだと言えましょう。

 第2・3回では、これまで個々の研究者の主観に従い好き勝手に分類されてきた偽史を、それぞれの共通項("共通の核")を見出し系統的なグループ分けが試みられています。藤野氏による偽史のグループ分けは、以下の通り〔第3回・p235-236〕。*2

Ⅰ『先代旧事本紀』(旧事紀)系
先代旧事本紀』(十巻)『先代旧事本紀』(三十巻、白河本)『先代旧事本紀大成経』(三十一巻、鷦鷯本)『先代旧事本紀大成経』(六巻)

Ⅱ『秀真政伝紀』系
『秀真政伝紀』『三笠紀』『神勅基兆伝太占書紀』

Ⅲ『上津文』(「ウガヤ文献」)系
『上津文』『宮下文献』『竹内文献』『神伝上代天皇紀』『安倍文献』

Ⅳ『但馬国司文書』系
但馬国司文書』『但馬世継記』『但馬郷名記』

Ⅴ『和田文献』系
東日流外三郡誌』『東日流六郡誌』『東日流六郡誌大要』など

Ⅵ『桓檀古記』(韓国文献)系
『桓檀古記』『檀奇古史』など

Ⅶ 独立系
契丹古伝』『物部文献』『甲斐古蹟考』『大御食神社神代文字社伝記』『カタカムナのウタヒ』など

 藤野氏はこの内、Ⅰ~Ⅴまでのグループを「偽史」として認定し、そのうち本稿ではⅢ『上津文』(「ウガヤ文献」)系の偽史に絞って考察が進められます。理由としては、「神代文字」と「ウガヤ王朝」*3という"共通の核"が存在し、それら共通項から源流を探り得るためだとしています。*4

 

 第4回からは、いよいよ個々の偽史の分析に入っていきます。

 第4回~第8回は、藤野氏が「ウガヤ文献」として分類した『宮下文献』『竹内文献』『上津文』『安倍文献』『神伝上代天皇紀』という各文献の伝来過程が要領よく整理されています。その上で各文献は、いずれも近代以降に世に現れたものであることが明らかにされます。

 続く第9回~第15回では、それぞれの文献はいずれも『上津文』の記述――より正確に言えば、明治10年(1877)に刊行された『上津文』の抄訳版『上記鈔訳』を基にして、近代以降新たに創作された偽史であることが暴かれます。

 個人的にはこの部分が『偽史源流行』の白眉だと思っており、緻密な史料批判から偽史の記述一つひとつが『上記鈔訳』へと繋がっていく展開は、非常にスリリングで知的興奮に満ちた論述となっています。「偽史」に興味のある方なら、この部分は是非とも実際に読み進めて頂くことをお勧めいたします。

 ではどういった理由があって、偽史は創作されねばならなかったのか。第16回~第18回では、それぞれの偽史が作り出された動機を、偽史周辺の歴史的背景から解説されています。『竹内文献』や『九鬼文献』は、それぞれ天津教や皇道宣揚会という神道新宗教の教典として書かれたという見通しが述べられていますが、『宮下文献』は水利権を巡って創作された偽文書が原点となり、膨大な偽史が作り出されていったのではないかと藤野氏は推測しており、興味深い見解です。

 続く第19回~第21回では、偽史には付き物の「神代文字」に関する考察が行われています。注目すべきは、第20・21回で行われる「サンカ字」の考究です。

 サンカとはかつて実在した、主に山や河川を舞台に非定住的な生活を送っていた漂泊民を指す包括的な呼称ですが、そのサンカが使っていたとされる独自の文字が「サンカ字」です。サンカ字は小説家の三角寛の「研究」により、一般に紹介されたという経緯がありますが、そのサンカ字が『上津文』で用いられる神代文字「豊国文字」と似ていることから、『上津文』伝承の実在を示す傍証として位置付けられてきました。

 しかし藤野氏は、結局のところサンカ字や三角の紹介したその他のサンカ伝承も、『上記鈔訳』を基に三角自身が創作したものだと論証しています。『上記鈔訳』自体は質の低い抄訳版だという評価が浸透しており、真書派の研究者にもあまり顧みられてはいない様子ですが、藤野氏の論及による限り『上記鈔訳』が偽史界隈に与えた影響はかなり大きかったと言えるでしょう。

 なおサンカについて少し書き加えておくと、かつて日本には世間から「サンカ」と呼ばれた、漂泊生活を送る人々が実在したのは確かだと考えられます。ただし「サンカ」とはあくまで他称であり、そう呼ばれた人たちが「サンカ」を名のることはありませんでした。言わば定住民側からの僭称のようなものであり、実際には多様な集団がそれぞれ別々の生活を送っていたと思われますが、近代以降の政治的な思惑により、漂泊生活を送っていた人々は段々と定住化を余儀なくされました。

 そうした「サンカ」に興味を持ち、調査研究を行った人物が作家の三角寛ですが、創作にまみれた彼の「研究」により、「サンカ」と呼ばれた人々の実態はかえって幻想に覆い隠されてしまったきらいがあります。現在まで「サンカ」の研究はほぼ在野の研究者に一任されており、無邪気なジプシー幻想に覆われてしまったのは残念なことです。

 

 話を『偽史源流行』に戻すと、結局のところウガヤ文献系統の偽史の源流は『上記鈔訳』に一元化され、『上津文』自体はいつ頃成立したのかという点に問題が絞られます。最後の第22回~第24回は、『上津文』の成立過程の考究に頁が割かれています。

 藤野氏の結論としては、『上津文』には本居宣長古事記伝』(寛政2(1790)年)や平田篤胤『古史成文』(文政元(1818)年)を踏まえて書かれたと思しき記述が多く見受けられることから、成立の上限は江戸後期を遡るものではない、とします。

 ただし藤野氏は、『上津文』創作の動機や偽作者の特定には慎重な立場です。現在においては、吉森健氏が「発見者」たる幸松葉枝尺を偽作者とする説を詳細に検討されており*5、今のところ「幸松偽作説」が蓋然性の高い説かと思われます。

 そういった訳で、「ウガヤ文献」系統の偽史の源流は『上津文』であり、その成立は江戸後期以降である、という主張が本稿『偽史源流行』の結論として纏められるかと思います。しかし、藤野氏も最後で以下のように述べるように、『上津文』成立過程は未だ完全には解明されていないと言えるでしょう。

  Ⅲ系統の偽史が『上記鈔訳』(明治十年)を基としたように、宗像本・大友本の原型となるものが存在した可能性は否定できない。ウガヤ王統譜を中核とする書物を原『上津文』と呼べるとしたら、その原『上津文』から宣長・篤胤の影響下に宗像本・大友本[註:現在伝えられる『上津文』2系統の写本のこと]が作られたのではないか。〔第24回・p222〕

 この「原『上津文』」の実在性や実態は不明ですが、いずれにせよ今後の偽史研究において『上津文』は伸びしろの大きい文献だと言えるのではないでしょうか。

 また本稿では考察の対象から外されている『秀真伝』は、その成立を『上津文』よりも古く遡ることができ、近代的「偽史」の一つの萌芽として捉えられるかもしれません*6。なぜこの時代に、「記紀」以前の伝承を騙る偽史が次々と生まれてきたのか、そうした疑問は今後の研究の進展に期待する他ありません。

 そんな訳で本稿『偽史源流行』は、在野の立場からの発信でありつつも、学術的な偽史研究の叩き台として十分堪え得る完成度の高い連載稿だと思うのですが、何度でも言いましょう、残念ながら現在まで単行本化がなされていません

 近年の論考集『近代日本の偽史言説』*7では、いくつかの論考で藤野氏の仕事が引き合いに出されているため、アカデミズムから無視されている訳ではないのでしょうが、やはりこうした重要な論考が一雑誌の連載として埋もれてしまっている現状は残念に思えます。私は『偽史源流行』の単行本化をいつまでもお待ちしています。

*1:藤原明 2004『日本の偽書』文春新書

*2:なお、藤原明氏はまた別のグループ分けを試みており(藤原明 2004「近代の偽書―"超古代史"から"近代偽撰国史"へ」時枝務・久野俊彦編『偽文書学入門』柏書房)、偽史の分類について現在共通した見解はないと言っていいでしょう。そもそも「古史古伝」という曖昧な括り方を解消してしまうと、これら偽史のグループ分けも解体の方向へと向かわざるを得ないのかもしれません。

*3:神武天皇以前に「ウガヤフキアエズ王朝」が72代続いたとする、記紀には見えない特異な王統譜のこと。本稿では「ウガヤ王朝」の記述が含まれる偽史を称して「ウガヤ文献」としています。

*4:そのため『秀真政伝紀』や『東日流外三郡誌』については考察の対象からは外されているので、ご注意を。

*5:春藤倚松大友本で見えてきた 偽書ウエツフミの作者」「偽書ウエツフミの作者 幸松葉枝尺と大友本

*6:『秀真伝』については、吉田唯『神代文字の思想 ホツマ文献を読み解く』(平凡社、2018年)を参照のこと。

*7:小澤実編 2017『近代日本の偽史言説勉誠出版