河原に落ちていた日記帳

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【日記】奈良県橿原市八木の愛宕祭へ。(2018/8/25)

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 奈良県橿原市の八木地区で、8月23~25日の3日間にかけて行われる、愛宕祭へ行ってきました。

橿原市公式ホームページでの紹介

 大学の卒論執筆時にこの祭りの存在を知り、ずっと行きたいと思いつつなかなか行く機会がなかったのですが、今年になってやっと見物することができました。

 23日に台風が直撃したので、どうなることやらと思っていたのですが、24日以降は通常通り行われていたので安心しました。

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 祭りの舞台となる橿原市八木地区は、古代以来交通の要衝として発展した地域であり、南北に走る中街道(下ツ道)と東西に走る初瀬街道(横大路)の交差点を中心として集落が形成されました。

 江戸時代以降は宿場町としての発展を遂げ、伊勢神宮へのお蔭参りに行く旅人たちで賑わう町場となりました。現在でも宿場町だった頃の景観の名残を、あらゆる場所で見ることができます。

 そんな典型的な近世都市である八木で、夏休みの終わり間近、3日間に渡り愛宕祭は開かれます。祭りのはっきりとした起源は不明ですが、当地の愛宕信仰に関する最古の記録として、「寛保二年」(1742)と記された愛宕講の掛け軸が残っているため*1、江戸中期から何らかの祭祀は行われていたのかもしれません。

 愛宕信仰とは、京都愛宕山を中心として全国に広がる火防の信仰であり、愛宕山への代参を伴う愛宕講は近畿一円でよく見られます。八木の愛宕祭も、元々は宿場町の火防を願う行事だったのでしょうが、段々と宿場全体を祭礼空間とする都市祭礼として発展していったと考えられます。

 八木の愛宕祭について、学術的な先行研究は手薄なのですが、岡絵理子氏による建築学の視点からの論考が、PDFファイルとしてダウンロードすることができます。
祭りの舞台となる町並み・住まいに関する研究

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 八木の愛宕祭には、2つの特徴があります。

 まず一つ目は、上記の写真のような「愛宕さん」と呼ばれる仮設の社が、地区のあちこちで建てられることです。

 「愛宕さん」は祭りのときだけ作られ、祭壇のみを建てるものや、立派な祠を伴うもの、また玄関など住宅内に祭壇を置くものなど、様々な形態で祀られています。ちなみに記事冒頭の写真にある旧愛宕町(現高愛町)の愛宕社だけは、仮設ではなく常設の社となっています。*2

 ここで言う「町」とは、いわゆる行政地名としての市町村名ではなく、江戸時代より続く小字の単位を指しています。「愛宕さん」は元々、古くからの「町」の単位で建てていたものと思われますが、戦前・戦後の市街地化とともに「愛宕さん」を建てる地域がどんどん広がり、公式ページによると現在は38ヶ所で建てられているとのこと。

 公式ページからダウンロードできる愛宕祭マップ(PDF)を見ると、かなりの広範囲で「愛宕さん」が設置されていることが分かります。

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 「愛宕さん」の中には、乾物や野菜を組み合わせた、目を惹く供物が供えられたものもいくつかありました。

 近くにおられたご婦人に少しお話を伺ったところ、「海のものや山のものを組み合わせて、豊作などの願いを籠めていると聞いている」とのことでしたが、「別のところでは、供え物は神様の顔を表しているらしい」とも仰っており、決まった解釈はないのかもしれません。

 ちなみに岡絵理子氏の論文によると、8月23日の朝からは「その年の世話役が、愛宕神社宮司とともに全ての「愛宕さん」を巡回する〔p1957〕」とのことなのですが、八木地区の周辺には特に大きな愛宕神社が見当たらないため、誤りかもしれません。

 住民の方の一人に伺ったところ、神社の宮司が「愛宕さん」のお祓いを行うのは確かなようですが、その神社を特定することはできませんでした。ただ、「名前は忘れたけど内膳の方の神社」と仰っていたので、この点はすごく気になるところです。

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 八木の愛宕祭におけるもう一つの特徴は、「立山」(たてやま)と呼ばれる住民手作りの造り物が各地で飾られることです。

 この立山も、祭りの期間中だけ飾られるもので、時事ネタなどを題材として毎年異なる趣向のものが飾られています。こうした造り物は、近世都市の祭礼に特徴的に見られる文化として、近年民俗学でも注目されています。*3

 立山は、最も多い頃は高度成長期に25ヶ所で作られていたそうですが*4、時代が下るにつれ立山づくりが負担となり、現在では上述の高愛町のみが毎年作るくらいになっているようです。今年は、「八木音頭」の風景を立山として作っておられました。

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 しかし他の場所ではやっていないかと言えばそうでもないようで、ゲリラ的に有志の方々が立山を作ることもあるようです。今年は「幸運のイノシシ」と称して、張りぼてでイノシシの立山が飾られていました。

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  また、2010年頃から関西大学の住環境デザイン研究室の学生さんたちが、実践プロジェクトとして立山作りを行っているようです。今年で8年目であり、地元小学校でのワークショップ等を通して立山を作っているとのこと。 大学が地域にどう貢献できるのかというのは、大きなテーマです。

oakeri.jimdo.com

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 こうした昔から続く文化を味わえるほか、いかにもお祭りという雰囲気ももちろん楽しむことができます。街道沿いには多くの祭り屋台が出て賑わう他、街道沿いの小学校のグラウンドでは、愛宕祭の特設会場となり様々なイベントが開かれます。私は腹ごしらえにベビーカステラをむしゃむしゃしていました。

 看板の「四百年の伝統と歴史」という文字に関しては、400年という年代の典拠がよく分かりませんが、江戸時代から続く祭礼ということで、江戸時代の始まりを愛宕祭の始まりとして設定したのでしょう。

 あまり遅くまで滞在することはできませんでしたが、八木やその周辺の橿原市全体が、歴史的にも文化的にも興味深い地域性を持っている場所なので、どこかの機会でゆっくりと物見散策をしたく思っています。

 

〈参考文献〉
・岡絵理子 2014「祭りの舞台となる町並み・住まいに関する研究ー橿原市八木地区の愛宕祭を事例に」『日本建築学会計画系論文集』79巻703号 →ダウンロード
・鹿谷勲 2010「八木の愛宕祭りと立山」(奈良県教育委員会編『八木の歴史と文化』)

*1:鹿谷勲 2010

*2:何故一ヶ所だけ常設の愛宕社があるのかは不明ですが、[鹿谷 2010]では旧愛宕町が「愛宕信仰の受容と普及に関して、何らかの役割を果たしたのではないか〔p78〕」と推測しています。

*3:笹原亮二・西岡陽子・福原敏男 2014『ハレのかたち―造り物の歴史と民俗』岩田書院、等を参照のこと。

*4:岡 2014