河原に落ちていた日記帳

趣味や日々の暮らしについて、淡々と綴っていくだけのブログです。

【読書備忘録】長山靖生『偽史冒険世界 カルト本の百年』(1996)

偽史冒険世界―カルト本の百年 (ちくま文庫)

偽史冒険世界―カルト本の百年 (ちくま文庫)

 

 図書館の書庫から引っ張り出してもらって、読みました。

 分かる人には分かる、「源義経ジンギスカン説」「日猶同祖論」「超古代史」などなどのトンデモ歴史言説を、その説が現れた時代状況から考察した名著です。

〈内容紹介〉Amazonの商品紹介欄より引用
 どうしてカルトにはまるのか?義経=ジンギスカン説、日ユ同祖論、ムー大陸…。だれもが少年時代に一度は胸躍らせて読んだトンデモナイ歴史や奇想天外な冒険の世界を、大人になっても抜け出せない人もいる。それらの人々のバイブルともいうべきカルト本とその背景を日本近代百年のなかにさぐる。大衆文学研究賞受賞作。

 

 わたくし、最近「偽史」や「偽書」と呼ばれるものにハマっております。要するに、本書が紹介しているようなトンデモ歴史学ですね。

 ただしハマっているとは言いつつ、信じてはいません。

 偽史に限らず、私はオカルト全般に興味があるのですが、そういった如何わしい類のものも一つの「文化」と言えると思います。世間からのけ者扱いされながらも、途絶えることなくしっかりと命脈を繋ぎ続けるオカルトという不気味なものについて、自分なりの文化史を描きたいという夢を、ひっそり持っていたりします。

 そしてオカルト言説の興味深いところは、荒唐無稽に見えて実は時代の風潮を色濃く反映しているという点です。

 オカルトの範疇に入るかどうかは議論があるでしょうが、本書で紹介された「偽史」というものも、実は時代の要請によって生み出されたものなのです。

 ちなみに長山氏は、こうしたトンデモ歴史言説が多く出現した現象を「偽史運動」と呼んでおり、「第一義的には捏造による文献史料や遺物などに基づいてでっちあげられた歴史を意味し、さらにはそうした架空の歴史を政治的に利用しようとする社会運動〔p5〕」と定義しています。

 さて、偽史に託された”時代の要請”とは、具体的には何だったなのか。大ざっぱに纏めて言うと、日本の近代化によって生じた、日本人としてのアイデンティティ獲得という問題です。

 本書は全6章構成で、それぞれの章で「源義経ジンギスカン説」「南方幻想」「日本人起源説」「日猶同祖論」「神代文字」「竹内文書」という、トンデモ歴史学の代表格が詳細に紹介されています。

 今でこそ三流のカストリ雑誌に興味本位で取り上げられる程度の位置付けですが、これらの偽史言説の深奥にはほぼ共通して、日本人という「民族」の根源を、架空の歴史で飾り立てようとする意図が見えてくるのです。

 例えば義経ジンギスカン説で言えば、「源義経は実は海外へ落ち延びてジンギスカンとなった。つまり現在の中国大陸の諸民族には日本人の血が多く流れており、そんなことができる日本人はすごいんだ!」という感じ。

 更に過激なのは『竹内文書』という歴史書です。その内容は、世界中全ての地域・民族は日本が起源であるとする、最早SFと見紛う壮大すぎる"超古代神話"です。その中には、モ-ゼやイエスが古代の日本に来ていたという無理のありすぎる記述も大量にあり、却って物好きからの人気が高いのですが、内容は言うまでもなくでっち上げ。実際は天津教という神道新宗教の教祖である竹内巨麿という人物が、天津教の経典として創作したものです。

 現在の価値観では(いや、当時でも)噴飯物の言説ではありますが、こんな無茶苦茶な説が出てくるのにはそれなりの理由があるというもの。

 明治維新後の近代化による諸外国との接触により、日本は近代国家としてそのアイデンティティを模索する必要に迫られました。その大きな方向性として、日本人の「本質」を探るために「古き良き日本」を探求する向きが出てきます。

 黎明期の日本民俗学もそういった時代状況から発生した学問ですが、「日本人の根源」を探求する試みを極端に推し進めた結果が、上記の「偽史」として生まれてきたと言えるでしょう。

 偽史とは正に、近代化の過程で生み出された鬼子なのです。

 以前に「韓国起源説」というものが話題となったことがありましたが、かつて日本でも似たようなことをやっていたと思うと、案外一笑に付すこともできませんね。

 

 さて本書では、こうした偽史が生み出された歴史的背景を非常に明快に解き明かしています。

 刊行された年はあの地下鉄サリン事件の翌年であり、長山氏はオカルト的な言説が過激な形で広まることへの危機感を持ち、本書の筆を取られたのでしょう。20年以上前の本ですから、今としては疑問に感じる記述もあるにはありますが、奇妙な歴史言説がSNS等で拡散される現在でこそ、本書を手に取る価値があると言えるのではないでしょうか。

 特に近年では、あの悪名高き「江戸しぐさ」が有名になったことからもわかる通り、「偽史」は現在進行形の問題だと言えるのです。

 好事家的にオカルトへと手を出すのも悪くはないと思いますが、なぜオカルトが飽きられることなく常に世に現れるのか、オウム事件が風化しつつある今、もう一度考えてみる必要がありそうです。

 

〈蛇足〉
 本書はあくまでも、在野のライターである長山氏が一般向けに偽史を紹介したものですが、近年になり偽史運動をアカデミズムの立場から分析した論文集『近代日本の偽史言説』が刊行されています。

 私も今すぐにでも読みたく思っているのですが、地元図書館所蔵のものが何故かここ数ヵ月ほど一向に返却されておらず、いまだ読めないままでいます。

 買うには少し躊躇せざるを得ないお値段ですし、どうすべきか……